夏目漱石は、死の2年前の大正3年、『文士の生活』というエッセーを発表しています。その冒頭はこんな文章です。 《私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲けて居るとか、種々な噂が世間にあるようだが、皆嘘だ。巨万の富を蓄えたなら、第一こんな穢(きたな)い家に入って居はしない》(1914年3月22日、大阪朝日新聞) すでに大作家となって久しい漱石に対して、世間は口さがない噂を流したわけですが、ここで注目すべきは、漱石が言う「こんな穢い家」という言葉です。 漱石は終生借家で暮らすんですが、この家はホントすごいんですよ。 《私の書斎の壁は落ちてるし、天井は雨洩(あまも)りのシミがあって、随分穢いが、別に天井を見て行って呉(く)れる人もないから、此儘(このまま)にして置く。何しろ畳の無い板敷である。板の間から風が吹き込んで冬などは堪(たま)らぬ。光線の工合(ぐあい)も悪い
私のメインHP「まちかどの西洋館」の別館で、 私の所有する古写真・古絵葉書・戦前の建築書籍を展示しています。 2024-04 « 123456789101112131415161718192021222324252627282930 » 大正11年、第1次世界大戦の終結を記念して東京上野で平和記念東京博覧会が開催され、 その会場内に文化村という住宅展示場が設けられ、14棟のモデル住宅が展示されました。 この絵葉書はその文化村に出品されたモデル住宅を紹介したもので、全部で16枚セットとなり、 会場に展示さていた住宅が全て収録されています。 ※以前、同じ平和記念東京博覧会文化村住宅の絵葉書を紹介しましたが、その時点では11枚しかなく、 今回新たに16枚すべて揃った状態で入手しましたので、前回紹介時に欠けていた5枚分を追加して 再構成しました。 なお、今回追加した5枚と前回紹介分の絵葉書と色合い
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