4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」 3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日本漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。 「万和(ばんな)」(典拠は文選(もんぜん))、「光風(こうふう)」(楚辞(そじ))、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき