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ブックマーク / blog.szk.cc (55)

  • ネオ労働価値説の到来?

    技術の進化と労働」というテーマは、もう10年も前からずっと話題になっているものの、そこで取り上げられる技術が日々アップデートされることもあって、尽きることのない関心を集めている。実はそれぞれの技術がもたらす影響は異なっているかもしれないし、話題になっていない技術が水面下で僕たちの生活を変えつつあるのかもしれないのだけれど、ともあれ、注目ポイントを変えながら「今度こそ人間の仕事がなくなるのではないか」という話が繰り返されている。 目下、もっともホットな話題は「創造的な分野における生成AIの利用が奪う雇用」だろう。具体的にはイラスト生成の分野において、この問題が大きくクローズアップされている。 とりわけ重要なのが、生成AIが学習に用いるデータが、制作者の同意を得たものでない場合、そして、それによって生成されたイラストが、もとの制作物と似たようなものになる場合に、その著作権上の扱いをどうするか

    ネオ労働価値説の到来?
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    non_117 2024/09/19
  • 夏に受けた取材を振り返る

    もう20年近く、いわゆるマスコミに取材を受ける側なのだけれど、面白いことにこうしたお仕事のタイミングは集中することが多い。何か特定の事件が起きて、それについての取材が集中するというのではなく、それぞれ独立のテーマであるというのも不思議なのだけれど、この夏はたまたまそういうタイミングだった。普段はあまり取材のお仕事の紹介をすることもないのだけれど、振り返りがてら、掲載しきれなかった部分も紹介しておきたい。 オリンピックと誹謗中傷 8月の半ばに掲載されたのが共同通信配信記事のコメント。オリンピック選手への誹謗中傷が相次いだことを受けて、閉会のタイミングで配信されたようだ。 掲載されたコメントの趣旨としては「ネット上で誹謗中傷が相次ぐのは、プラットフォームが注目を集めることによって収益を得る『アテンション・エコノミー』になっているから」「プラットフォーム事業者による投稿削除とともに、選手側もSN

    夏に受けた取材を振り返る
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    non_117 2024/09/19
  • 「地雷」が多すぎる

    すっかりが読めなくなっている。 忙しいからではない。自己啓発に毒されて仕事に全力を出すのが癖になっているからでもない。 原因は、現代の情報過多だ。 この社会では、どんな商品に出会うときにでも事前の評価がついて回る。であれば「新刊紹介」などのようなプロのレビューがその代表だ。リアル書店を歩いていて偶然出会うもあるだろうけれど、それすら「あの作家の最新刊」とか「屋大賞ノミネート」とか「ネットで100万人が泣いた」とかの周辺情報が、判型の3割、4割を覆うように貼り付けられている。 そうするとこちらも、あらゆるを色眼鏡で見てしまうようになる。レシピですら「味の素使ったっていいじゃん、美味しいよね」とか「丁寧にひいたお出汁は日文化だよね」という強い思想を自分の中に確認しないと手に取れない。 そう、誰が気にするでもないのに、どんなを開いても、それが事前の情報によって文脈付けられていて

    「地雷」が多すぎる
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    non_117 2024/07/08
  • それでもまだ成長期

    最近、あるデータを見ていて気づいたのだけど、こと働き方に関して言うと、自分の世代とその下の世代を比較したときに、僕らは「好きなことを仕事にしたい」「リーダーシップや決断力のある上司が理想」という傾向が強いようだ。サンプルの偏りとか調査設計の問題はあるにせよ、どことなくイメージが浮かぶ結果だと思った。なんといっても、自己主張することと、自分を軸に考えることが結びついているのだと思う。 それは同世代から少し下くらいまでの人たちを見ていても感じるところだ。SNSでも隙あらば自分語りが展開されるし、「セルフブランディング」なんて言葉も飛び交っていた。心理学的には承認欲求の中でも「称賛獲得欲求」というのだけど、世の中の立場がどうあれ、まず自分に注目を集めたいし、称賛されたいという意思の強い人が目立つ。ちょうどベンチャーブームだとかSNSの登場だとかが重なった20世紀末から21世紀初頭にかけての動きが

    それでもまだ成長期
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    non_117 2024/04/17
  • デザインだけが批判たりうる

    批判的な思想の弱さ この数年、というかコロナ禍以後、「思想」というものに対してまったく期待が持てなくなっている。個別の思想の内容に、ではない。ほんとうなら、何かを伝え、誰かと別の誰かをつなげるはずの言葉が、誰かを傷つけたり、というより、傷ついたぞ、どうしてくれるんだと詰め寄られたり、そのせいで人々がいがみあったりするものになっていることに辟易している。あるいは、ちょっとした言葉尻を気にして「そういうこと言うとまた炎上するのでは」と怯えたり、センシティブになっている人を見かけたりするのも苦しい。 まず確認しておきたいのは、ここでいう「思想」はいわゆる哲学とか現代思想とか、あるいは文化人類学や精神分析、宗教学など、とりわけ人文系の学問と関わりの深い理論的な思考のことを指している。だから、個人の経験に基づく信念とか、世の中を生き抜く知恵みたいなものとは違って、「役立つ」ことを必要としていない。強

    デザインだけが批判たりうる
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    non_117 2024/04/17
  • Twitterが「終わる」とどうなるのか « SOUL for SALE

    Twitterがいよいよヤバいらしい、という話が、再び話題になっている。イーロン・マスクが経営権を握って以降、似たような話は何度も囁かれていたが、今度こそは物だ、ということのようだ。 ことの発端は日時間の7月1日から2日にかけて、Twitterが全ユーザーに対して1日あたりの閲覧数を制限したことだ。上限の投稿数についてはたびたび変更が繰り返されたものの、春に行われたAPIの有料化に続いて大きなインパクトを持つ出来事だといえよう。 背景にあるのは、Twitterに対するスクレイピングがサーバーにもたらす過負荷らしい。ただこのスクレイピングも、そもそもAPIの有料化によってデータを取得できなくなったユーザーが代替策として行っているものである可能性が高い。さらに、Twitter内部のバグによってセルフDDos状態になっているとの指摘もある。単純に技術的な問題というよりは、経営の判断ミスがネガ

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    non_117 2023/07/03
  • 0311-0508

    2023年5月8日をもって、この3年、日社会を統制していた「コロナ対策」は、特別扱いされることがなくなる。勤め先の大学でも先だって、この日をもって「コロナ特別対策部」が解散され、すべての制限が撤廃されるというアナウンスがあった。「コロナ対策の終わり」と「コロナの終わり」はまったく別のものだろうけれど、両者を同じものだと受け取る人は少なくないだろう。 学生ですし詰めの満員電車や、観光地の長蛇の列を見ていると、ああ、この3年はほんとうに非日常だったのだなと実感する。人のいない京都のお寺や美術品をじっくり見て回ることができたのはありがたかったけれど、「あれはあれでよかった」なんて到底言えない。そのくらい、苦しいことだとか、永遠に失われたものが多かった3年だったと思う。 大阪大学のグループの研究によると、「新型コロナ感染禍に接した直後(2020年1月)の心理を1年後に回顧させると、過小評価する

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    non_117 2023/05/08
  • ひらめきのことば探し

    47歳の誕生日は、この数年でもなかったくらい、複雑な心境だった。自分の人生を振り返ると5年おきくらいに大きな転機が訪れるのだけれど、昨年秋から今年にかけての半年くらいの間、「もうこれまでの自分とは考え方も、やり方も変えなければいけない」という確信が日に日に強くなり、その新しい姿を求めて悩み、考え抜く時間がすごく多かったと思う。 実際、この春からとある企業の顧問に就任したり、その他にも新しいプロジェクトが始まったりしたこともあって、その「転機」は頭の中だけのことではなく、縁あって実際的なこととしても起きたのだけれど、それによって、これまでの自分の価値観や考え方の中にあった迷いや甘さのようなものを捨てなければいけなくなっている。 LifeのPodcastでも話したことだけれど、特にこの半年は、スピリチュアルな言葉を参考にすることが多かった。オカルトという意味ではない。そもそも合理的に考えたり解

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    non_117 2023/04/18
  • 「もう何の話もしたくない」

    「鼓舞激励」を貫いた1年 今年、何人もの教え子に「先生が死ぬときは絶対に突然死ですよね」と言われた。突然でない死があるのかよく分からないが「早く死ねばいいのに」と思われながら死ぬよりはいいんじゃないかな。そもそも、明日生き延びるために今日したいことを我慢して、それで明日死んだら意味ないじゃんその我慢。 ただそこまで言われるからには、それ相応にアクティブだったのだと思う。2022年の頭に立てた目標は「鼓舞激励」だった。特に大学の仕事では人を勇気づけること、進む先によい未来があると信じさせることを目指して、アウトプット活動に勤しんだ。年の前半は、学部の広報用サイトをリニューアル、後半には受験生向け動画の企画・監督を手掛けた。3年ぶりの対面イベントが多く、卒業生や仕事で関わる企業人と学生をつなぐ企画も動かした。この数年続けてきた研究活動も書籍化された。去年までの2年間が、立ち止まらないために必死

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    non_117 2023/01/17
  • 意見を持つということ

    社会調査や世論調査をめぐる、ひとつの興味深い議論がある。 それは、「誰も聞く相手のいない状態で表明された意見を、どう考えるか」というものだ。 僕たちはたいてい、何かの意見を表明するときに、どんな相手が聞いているのかを意識する。不特定多数に聞かれる場面では、できるだけ主張をマイルドにしたり、批判されそうな意見を言わないようにしたりする。逆に、自分と同じような立場、同じような意見をもつ人ばかりだと思える場面では、他の場面より強くそのことを主張するかもしれない。つまり、相手が誰であるかによって、僕たちの言うことは変わる。 さらに、その意見は自分と相手との関係や、自分の信念の強さや態度の明確さにも関係する。上司から「最近の新入社員は心が弱いよな」と言われたときに、部下が「ほんとにそうですよね」と同意したとしても、それは相手が上司であり、自分には新入社員についての強い意見がないことの現れかもしれない

    意見を持つということ
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    non_117 2022/05/20
    「個人」という前提が怪しいシーンはいろいろあるよなあ。
  • 理念を共有するパワー

    学者が論文を書くときのプロセスにはいくつかのパターンがある。先行研究を広く批判的に読み込んだ上でリサーチ・クエスチョンを立てるというのが正統派のやり方だと思うのだけど、僕が好きなのは、先行研究と最新の事例や現象を組み合わせて、既存の枠組みをアップデートするような研究だ。なので、書いたときにはまだはっきりしなかったけれど、あとになって振り返ったときに、この指摘はいまのこれを示しているのではないか、と思えてくることがある。 たとえば『ウェブ社会のゆくえ』(2013)は、後にポケモンGOが登場した際、現実空間と情報空間の関係を表す理論枠組みとしてたびたび言及されたし、社会学の教科書で書いた「グローバリゼーション」(2017)は、執筆時点でまだ起きていなかったトランプ現象やブレグジットの背景とされた、格差が生み出すグローバリゼーションへの反発を主題としていた。書いた方は、あまり自分の論考を振り返る

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    non_117 2022/03/24
  • 「プーチンの戦争」のユニークさ

    2022年2月に発生したロシアによるウクライナへの軍事侵攻は、国際関係論、あるいはグローバリゼーション論の観点から、非常に多くのユニークな要素を持っている。現在までのところ情勢は不安定であるだけでなく、侵攻したことそのものだけでなく、様々な点で専門家の予想を裏切る事態が起きていて、起きていることを意味づけたり、今後を予測したりするのは容易ではない。しかしながら、そうした「予想外」も含めて、現段階で言えること、考えられることを残しておいて、状況の変化を見極めることも重要だろう。というわけでこのエントリでは、ここまでの流れで見えてきている、今回の出来事のユニークな点を挙げておきたい。 (1)はじまりも終わりも不合理な戦争 まず国際関係論の専門家を困惑させ続けているのは、今回の軍事侵攻がどう見ても不合理である点だ。ロシアの思惑は、どうやら電撃作戦によってキーウ(キエフ)を陥落させ、ウクライナに傀

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    non_117 2022/03/08
  • 下り坂の世界のケア

    ケアについての議論が流行している、と思う。背景にあるのは、フィジカルなものであれ、メンタルなものであれ、ケアの必要性を感じている人が増えていること、さらにその奥の、この社会全体が「衰退のプロセス」にあることだろう。沈みゆく船で「マイナス幅を減らすだけの仕事」を頑張れる人は、そんなにいない。 問題は、ケアする側とされる側の不釣り合いな関係だ。ケアされたい人の数に比して、ケアしたい人の数は少ない。しかもケアのようなサービス労働は、機械化などによって生産性を高めることが難しい。ひとりの話を聞くのに面談で1時間かかっていたものがオンライン面談に切り替えて10分ずつ6人と面談できるようになって効率がよくなったと言われても、ケアの質が上がったとは言いきれないだろう。 ケアが必要な人は増えていくのに、それを担う人は増えない。その解決策のひとつとして注目されているのが「ケアしあう」関係だという。たとえば男

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    non_117 2022/02/09
  • 「外野の野次」との付き合い方

    自分自身もそうなのだけど、周囲からも、ネットやSNSを見なくなったという声を聞くことが増えた。もともとROM専(見るだけで発言はしない人)の割合が諸外国と比較して高いのが日のネット文化の特徴だけど、「見るに値する情報」がめっきり減ってしまったということの現れなのかもしれない。 実際、世の中はどこでもささくれ立っているから、流れてくる話題も、日々の感染者、それを受けての政治に対する文句、誰かと誰かの仲違い、炎上した芸能人、美容広告、事件、事故と、喜怒哀楽の中でも感情に偏りの激しいものばかりだ。こういうとき、何か言ってやりたくなるような話題こそ気をつけろ、と大学のときに授業で聞かされていなかったら、あるいはコメンテーターとして「何か一言」を求められるような立場にいなかったら、おしゃべりの好きな僕はいろんなことに首を突っ込んで燃えていたかもしれない。 そもそも、なんだってこんなに疲れることをし

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    non_117 2022/01/31
    「主語がでかい」問題と同じ構造をしているなあ。 賢いはずの知人が「自分はいいっぱなしの酒屋談義がしたいのであって真面目に議論をしたいわけではない」と言っていたのを思い出した。
  • ランキングから降りる

    大学教員になってから、年の暮れというものの感覚がずいぶん変わった。確かに学生たちの卒業論文・修士論文が大詰めの時期だからあまり気の休まることはないのだけど、一方でレギュラーの授業がない時期だというだけで、あるいは事務職員との打ち合わせや会議が入らないということだけで、普段よりものんびりできるようにも思える。考えごとをする時間が増えるから、1年を振り返りながら、余計なことばかり考えてしまうのは若い頃と変わらないのだけれど。 ただ今年に関しては、振り返っても「辛かった」「苦しかった」という思いがフラッシュバックするばかりで、あまり有意義なところはないかもしれない。たしかに昨年のように多くのものが止まってしまうという状態ではなくなった。だけど、「どの程度まで動くかは各自の判断に任せる」という世の中全体の方針が、昨年以上に僕たちをバラバラにしたように感じる。どのくらいリモートワークを続けるのか。い

    ランキングから降りる
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    non_117 2022/01/05
    “つまり、あらゆる人類、あらゆる社会に共通の「必要」は存在しない。”
  • 「負け戦」に立ち向かう

    政府への不信が直接の原因ではない 3度めになる緊急事態宣言が出されて1週間。大型連休と重なることもあって宣言のアナウンスメント効果も期待されたが、現実には感染防止どころか、むしろ拡大する傾向にある。人々の行動抑制に対する効果のタイムラグを考えても、今回の「宣言」とそれに伴う措置が成果を挙げられていないのは明らかだ。 どうしてこうなってしまったのだろう。ネット上では、行動制限を促す一方でオリンピック開催に向けて突き進む政府の方針の一貫性のなさに呆れ、「もう従うだけバカバカしい」という声も散見されるようだ。だが、「政府の方針」と「行動を抑制する人が増えない」ことの間に、直接的な因果関係を見るのは難しい。来、このふたつは独立の出来事であり、「政府は危険だと言っているが、コロナなんてただの風邪なのであり、感染防止なんてしなくてもいい」と考えない限り、両者が論理的に結びつくものではない。 東京都の

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    non_117 2021/05/06
  • 続・社会学は何をしているのか

    以前のエントリで触れたように、社会学という学問は往々にして誤解にさらされるものだ、と、当の社会学者自身が思っている。社会学が他の学問より誤解を受けているという証拠はないけれど、少なくとも研究対象になるものが、専門家以外でも触れることのできる、多くの人が経験したことのある出来事だからこそ「社会学者の見方は間違っている」と非難されることが多くなるのは確かだろう。その非難は、学術を専門としない当事者だけでなく、同じ対象を扱っている他分野の研究者からなされることもある。 たとえば昨年開催された日社会学会におけるシンポジウム「社会学への冷笑と羨望――隣接分野からのまなざし」は、そのような他分野からの視点を学会的に取り入れようという意欲的な試みで、僕自身は参加しなかったのだけれど、とても刺激的なやりとりがあったようだ。学会員向けのニュースレターによると、環境経済学の専門家から指摘されたのは、環境問題

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    non_117 2021/02/01
    "それは研究手法がまずいのではなくて研究が面白くないということなので" これがポイントで、インターネットで炎上している人たちの発言は研究として面白くないのだろう。何か面白い構造を指摘するものでもない。
  • 立ち止まるか、動くか――2020年のまとめ

    時間の停止した世界で 昨年は、数年に一回とも言えるほどにたくさんの仕事をした年だった、と1年前のブログには書かれている。そして、「どうせなら、いい時間にしたい」という、人生観の変わる年であったとも。おそらく、とても充実していたのだろう。 その点について言えば、今年も、ほんとうに充実した年だった。ただし決してポジティブな意味ではない。2月頃からコロナ禍が国内でも顕になり、そのタイミングで学部執行部の仕事を引き継いだ。最初に行ったのは、600名以上いる新入生のガイダンスをオンライン化すること。そして、1年生の必修科目の教材のオンライン化だった。 4月の緊急事態宣言のさなか、こうしたオンライン化を乗り切れたのは、偶然がいくつも重なったからだ。昨年度までにノーコードでスマホサイトを構築するノウハウはできていたし、「THE FIRST TAKE」に感化されて1月には買い揃えていたレコーディング機材も

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    non_117 2021/01/03
  • 社会学は何をしているのか

    「何をしているのか分からない」 社会学部の教員をしているとぶつかる壁のひとつに「社会学を宣伝することの難しさ」がある。社会学部の教員も学生も、「社会学部って何をするところ?」とよく聞かれるのに、それに答えられないというのだ。もっとも「じゃあ経済学部では何を勉強するか知ってる?」と聞いても「経済のことを勉強するんでしょ」という、おそらく経済学者なら間違いだと言うだろう回答しか返ってこないわけだから、「社会学は説明が難しい」というのも思い込みでしかないのだけれど。 一昔前の日の教科書では、「社会学は常識を疑う学問です」なんて書かれていた。けれどこの説明も、もう古臭いものになっている(この辺についてはこのや講義動画を参照)。最近の説明としては、日社会学会の社会学部への進学を考えている人向けのサイトで示されている「異なる価値観をもった人間たちが多数集まって形成されるこの社会を解き明かす学問」

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    non_117 2020/09/16
  • オンライン化で失われたもの

    もしも僕がいま、二十歳の大学生だったら、それはもう相当に怒っていたと思う。 高校までは再開して、アルバイトでは感染対策をした上で通常の業務を行うのが当然と言われ、それなのに大学は年度内ずっとオンライン。大学からの説明は不十分であるか、説明があったとしても「大学への通学は感染リスクが高いから仕方がない」「ただし学費は満額いただきます」だ。大学教員のブログを見れば「大学は感染対策を甘く見ている。今後もずっとオンラインの覚悟を持つべきだ」「大学は不当に批判されている、私たちも頑張っているのに」とくる。ついでに言うなら、学生の授業環境の改善について指針を示すのではなく、おおむね大学の対応に文句をつけ、学生にもそのような見解を共有するだけであることも多い(なお、給料とボーナスが例年通り支給されていることについては伏せられている)。 もちろん僕は教員側なので、そうした学生の主観的な思い込みには、いくつ

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    non_117 2020/08/17