数式処理ソフトなんか使ったらダメ人間になると心配の(親・教師は放っておけ)よい子におくる。 昔々、Mathematicaという数式処理ソフトを教えてくれた人がこんなこと言った。 「コンピュータを使って、今まで10の労力が必要だったことが3の労力で済むのだとしたら結構な話だろう。Mathematicaがもたらすのも、それと同じことだけれど少し違う。これまで1000の労力が必要だったことが300程度で何とか可能になって、一生を棒に振る範囲で済みそうになる。自分の分野の先達たちが目標にすること自体をあきらめてきたものが、バトンの形になって手渡される。Mathematicaを使うというのは、そういうことなんだ」 数式処理ソフトは計算できない子を作るか? 数式処理ソフトは微積分もできれば、方程式も解けるし、グラフも描ける。 「解を求めよ」みたいな問題はだいたい解けるから、今でも 「そんなものを生徒・
はじめに こんにちは、Python界の情弱です。タイトルは適当です。なんか最近日本のIT技術者は英語使わないとやばいよね、ってことをふと思っちゃったので、特に根拠もなく、着地点もなくつらつらと書きます。 そもそもどこで英語を使うのか ドキュメントを読む 「日本に住んでて、日本のお客さん相手にしてて、日本の開発者だけで過ごしてれば全然英語使う必要ないじゃん」って感じてる人もいると思うんですよ。 実際それだけで仕事はできると思うんです。ただしプロジェクトで一切新しい技術を使わず日本語情報だけですべてをまかなえるのであれば。 実際プログラム書いてたり、インフラを管理してるとはまることは多々あって、それを解決/回避しようと思って調べ物をすれば、まず間違いなく英語のドキュメントに当たると思うんです。そうした場合英語使わない人はどうするんですかね。諦めて日本語のドキュメントだけ探すんですかね。まあそれ
まず、科学というのは「方法」である。そして、その方法とは、「他者によって再現できる」ことを条件として、組み上げていくシステムのことだ。他者に再現してもらうためには、数を用いた精確なコミュニケーションが重要となる。また、再現の一つの方法として実験がある。ただ、数や実験があるから科学というわけではない。 個人ではなく、みんなで築きあげていく、その方法こそが科学そのものといって良い。 森博嗣 『科学的とはどういう意味か』 P107 森博嗣による、「科学とは」「科学的とは」どういったものか、に関して自らの経験に基づいて書かれたエッセイ。言わずと知れた「理系作家」の書いたものであり、個人的にも一番好きな作家であるので、刊行前から注目していた。 本書では、エンジニアとしての森(彼は自身を「科学者」とは言わない)の、大学教員としての生活――教育や研究の経験――などが踏まえられ、「科学」とはどういったもの
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