pilgrimagerのブックマーク (65)

  • 四国巡礼編(13)修行の道場(5)竹林寺(31番札所)~清瀧寺(35番札所) - 旅拝

    【修行の道場(高知県)】 [第31番札所:五台山 金色院(こんじきいん) 竹林寺] ・御尊:文殊(もんじゅ)菩薩 ・創建年:(寺伝)神亀元年(724年) ・開基:(寺伝)行基 ・住所:高知県高知市 ※88ヶ所霊場の中で唯一文殊菩薩像を御尊とする。 お遍路14日目。 昨晩ネットカフェのブース席で睡眠を取ったが、周囲の物音で熟睡出来ず明け方に出発。竹林寺に到着したのは午前6時半過ぎだった。 早朝ということもあり、寺院の空気が清々しい。この日一番目の納経者となった。 以下、竹林寺の寺伝より。 神亀元年(724年)に聖武天皇が唐(中国)の五台山(文殊菩薩の聖地)で文殊菩薩に拝する霊夢を見た。 五台山に似た山を見つけ出すという天皇の命を受けた行基が、この地が霊地であると感得し栴檀(センダン)の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂を建てて安置した。 その後、大同年間(806年~810年)に弘法大師がこ

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  • 四国巡礼編(12)修行の道場(4)国分寺(29番札所)~善楽寺(30番札所) - 旅拝

    早いもので東日大震災から10年が過ぎました。 亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。 防災意識を持って生活したいと思います。 それでは以下、編(四国巡礼編)です。 【修行の道場(高知県)】 [第29番札所:摩尼山(まにざん) 宝蔵院 国分寺] ・御尊:千手観世音菩薩 ・創建年:天平勝宝8年(756年)以前 ・開基:行基 ・住所:高知県南国(なんこく)市 ※別称:土佐国分寺、土佐の苔寺(こけでら) お遍路13日目の朝、目覚めると少し空腹を覚えた。しかし、今日の午後19時までは水以外口にしないと決めていた。24時間断を達成出来るのか不安だったが、とにかくやるしかない。 幸いなことに、ドライブイン27で会った区切り打ちの遍路と道中で再会し、会話しながら歩いたことにより空腹を我慢出来た(一人で歩いていたらもっと辛かっただろう)。言葉を交わすことで、エネルギーの交流があったのではない

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  • 四国巡礼編(11)修行の道場(3)大日寺(28番札所) - 旅拝

    【修行の道場(高知県)】 [第28番札所:法界山 高照院 大日寺] ・御尊:大日如来 ・創建年:(寺伝)天平年間(729年~749年) ・開基:(寺伝)行基 ・住所:高知県香南(こうなん)市 お遍路12日目。目覚めて傷口を確認すると、足のマメがほぼ治っていた。 足の裏の古い皮膚と新しい皮膚の間に水が溜まりマメとなっていたのだが、接着剤で張り合わせたかのようにその隙間が無くなっていた。古い皮膚の一部が剥がれて新しい皮膚がむき出しになっていた部分は、新しい皮膚が昨日より硬くなっていた。 立ち上がって歩いてみると普通に歩くことが出来る。普通に歩けることがどれだけ有難いことなのか、今回身を以(もっ)て体験した。 アロエの効力は自分の想像以上だった。アロエすごいというのが当時の率直な感想だが、今振り返るとドライブイン27のおかみさんの想いの力も大きかったと思う。傷付いた旅人に対する慈愛のエネルギー

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  • 四国巡礼編(10)修行の道場(2)神峯寺(27番札所) - 旅拝

    【修行の道場(高知県)】 [第27番札所:竹林山(ちくりんざん) 地蔵院 神峯寺(こうのみねじ)] ・御尊:十一面観世音菩薩 ・創建年:(寺伝)天平2年(730年) ・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願) ・住所:高知県安芸(あき)郡安田町 お遍路11日目の朝、この旅で一番の苦境に立たされていた。 昨晩、(自分の知識の範囲内ではあるが)足のケアをしたつもりだったが、マメの状況は相変わらずだ(但し、布団でゆっくり睡眠を取れたおかげで、疲労は軽減されていた)。 早朝に宿を出て歩き出したが、やはり足のマメが痛む為普通には歩けなかった。 とにかく行けるとこまで行こうという気持ちで少しずつ足を進めた。 国道55号をしばらく歩くと、遍路道との分岐に出た。遍路道は山道になるが、ショートカット出来る為国道沿いに進むより1km以上短縮となる。 また、硬いアスファルトの上を歩くよりも足への衝撃が軽減されると

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  • 四国巡礼編(9)修行の道場(1)最御崎寺(24番札所)~金剛頂寺(26番札所) - 旅拝

    【修行の道場(高知県)】 お遍路9日目の朝、目覚めると、両足の裏に複数のマメが出来ていた。 昨日から足の裏に違和感を感じていたが、ついに出来たかという感じだ。 マメの原因は幾つか考えられる。 (1)歩行距離の延長 今までは歩いても30km程だったが、昨日は40km近く歩いてしまった。 札所では重いリュックを置いて身軽になれる時間が取れるのだが、昨日は札所が無かった為、歩く距離に対して休憩の回数が少なかった可能性も考えられる。 (2)足のケア不足 日没後まで歩いて疲れ切った状態で野宿した為、昨晩寝る前にきちんと足のケアをしなかった。 (3)認識の甘さ 以前会ったベテラン遍路より、「マメが出来ないよう気を付けるように」と言われていたが、マメが出来たとしても何とかなるだろうと甘く見ていた。 今までの人生でも足の裏にマメが出来たことがあったが、その時は大きな問題にはならなかったということで、気楽に

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  • 四国巡礼編(8)発心の道場(7)薬王寺(23番札所) - 旅拝

    【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第23番札所:医王山 無量寿院(むりょうじゅいん) 薬王寺] ・御尊:薬師如来 ・創建年:(寺伝)神亀3年(726年) ・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願) ・住所:徳島県海部(かいふ)郡美波(みなみ)町 お遍路7日目。「キクヤ堂」(善根宿)を遍路仲間達と発った。 今日で区切り打ちを終えて帰る遍路もいた為、寂しさもあったがこれが旅だ。 薬王寺まで約20kmの道中、徳島の思い出について語り合い、感慨深い思いを抱きながら歩いた。 薬王寺に着いたのは午後13時半過ぎだった。 (写真は、堂) 薬王寺の寺伝によると、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したとされる。 その後、弘仁6年(815年)に平城上皇の勅命を受けた弘法大師が再興した。 大師が彫ったとされる薬王寺御尊の薬師如来は「後ろ向き薬師」と呼ばれているそうだが、参拝時は知らな

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  • 四国巡礼編(7)発心の道場(6)鶴林寺(20番札所)~平等寺(22番札所) - 旅拝

    【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第20番札所:霊鷲山(りょうじゅざん) 宝珠院(ほうじゅいん) 鶴林寺(かくりんじ)] ・御尊:地蔵菩薩 ・創建年:(寺伝)延暦17年(798年) ・開基:空海・桓武天皇(勅願) ・住所:徳島県勝浦郡勝浦町 ※別称:お鶴(さん) ※余談になるが「勝浦」という地名は、那智勝浦町(和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡や、勝浦市(千葉県)にも存在する(上記の地域では、2月~3月に大きなひな祭りイベントが開催される)。伝承によると、阿波国から天富命(あめのとみのみこと)と共に黒潮に乗って船で移住した勝占(かつうら)の忌部(いんべし)氏の名が由来となったとする説がある。尚、徳島市には勝占町も存在する。 お遍路6日目。 この日は二つの遍路ころがしを越える難所を通るということで、「寿康康寿庵(じゅこうこうじゅあん)」(善根宿)に滞在したお遍路達は皆早朝に起床し、各自準

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  • 四国巡礼編(6)発心の道場(5)恩山寺(18番札所)~立江寺(19番札所) - 旅拝

    【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第18番札所:母養山(ぼようざん) 宝樹院 恩山寺(おんざんじ)] ・御尊:薬師如来 ・創建年:不詳(天平年間末?) ・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願) ・住所:徳島県小松島市 お遍路5日目。 この日見た夢の言葉だろうか、「道行く一人一人が仏様」と旅日記に書き記している。 さて、次の18番札所恩山寺までは20km近く歩かなくてはならない。 道中、新町温泉という銭湯に立ち寄る為、徳島の市街地を通るルートを選択した。距離的には少し遠回りになるが、温泉に入れるのは有難い。 「栄タクシー」(善根宿)から歩き出してしばらく歩いた頃、お店の開店準備をしていた女性に声を掛けられた。お店の中に招かれた後、温かい飲み物等をお接待頂いた(感謝)。 このお店の名前は「ビューティーサロン ガラスの城」という美容室だが、ネットで調べても見つからなかった。お店の名前を変え

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  • 四国巡礼編(5)発心の道場(4)大日寺(13番札所)~井戸寺(17番札所) - 旅拝

    【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第13番札所:大栗山(おおぐりざん) 花蔵院(けぞういん) 大日寺] ・御尊:十一面観世音菩薩 ・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年) ・開基:(寺伝)空海 ・住所:徳島県徳島市 ※別称:一の宮寺 3日目の晩から4日目の朝にかけて、テントの中で何度も目を覚ました。疲労から来る眠気で一旦寝るものの、寒さですぐに目を覚ましてしまう(寝袋だけでは寒さを防げなかった)。 日中はウィンドブレーカーを羽織(はお)って事足りたが、やはり防寒着を持ってくるべきだった。 出発前に家でテントを組み立てる練習はしていたものの、実際に屋外でテント泊を試していなかったのが悔やまれた。夜の寒さについて自分の認識が甘かったと思う。 結局睡眠不足のまま朝を迎えた。疲労も抜けておらず体調は万全とは言い難かったが、速やかにテントを撤収して先に進まなくてはならない。 今日の目的は、16

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  • 四国巡礼編(4)発心の道場(3)焼山寺(12番札所) - 旅拝

    【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第12番札所:摩廬山(まろざん) 正寿院(しょうじゅいん) 焼山寺(しょうざんじ)] ・御尊:虚空蔵(こくうぞう)菩薩 ・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年) ・開基:(寺伝)役小角(えんのおづぬ(おづの、おつの))(役行者)(えんのぎょうじゃ) ・住所:徳島県名西(みょうざい)郡神山町 寺伝によると、大宝年間(701年~704年)に役小角が開山し、蔵王権現を祀(まつ)ったとされている。 その後、弘法大師がこの地を訪れた際、神通力を持ち火を吐いて村人達を襲っていた大蛇を岩窟に封じ込めた。 大蛇によって焼かれた山ということで、大師が「焼山寺」と名付けたと言われている。 3日目の朝、早朝5時半過ぎに鴨島温泉鴨の湯の善根宿を出発。 まずは11番札所藤井寺(ふじいでら)へと向かう。道中朝陽を拝んだ。 藤井寺に着き、堂と大師堂にて納経(お経を唱えた)。 い

    四国巡礼編(4)発心の道場(3)焼山寺(12番札所) - 旅拝
  • 四国巡礼編(3)発心の道場(2)安楽寺(6番札所)~藤井寺(11番札所) - 旅拝

    (各札所の写真をUPしたいのですが、自分を写した記念写真のみの場合は掲載無しとなることをご容赦下さい。) 【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第6番札所:温泉山 瑠璃光院(るりこういん) 安楽寺] ・御尊:薬師如来、胎内仏:薬師如来 ・創建年:(寺伝)弘仁6年(815年) ・開基:(寺伝)空海 ・住所:徳島県板野郡上板町 2日目の朝、目覚めてから改めて荷物の確認をした。 (1)どうしても必要な物と(2)あった方が良い物に分け、(2)については後で買えるものは宿の方に処分してもらうことにした。 ほとんど減らせる物は無かったが、気分的に少し楽になった。 ・宿に置いて行った物:折り畳み傘、洗顔フォーム、歯磨き粉 出発前に、昨日助言を頂いた方よりみかんを頂いた。 更に宿の方からマッチと5円玉を頂いた。5円=御縁ということらしい。マッチはこの後札所での参拝時に使わせて頂いた。 朝から皆さんにお

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  • 四国巡礼編(2)発心の道場(1)霊山寺(1番札所)~地蔵寺(5番札所) - 旅拝

    (ブログを書くことを想定しておらず)メモ書き程度しか書き記していない旅日記と、撮影した写真を見ながら、当時の情景を思い出して記事を書いていきたいと思う。 【発心(ほっしん)の道場(徳島県)】 [第1番札所:竺和山(じくわさん) 一乗院 霊山寺(りょうぜんじ)] ・御尊:釈迦如来 ・創建年:(寺伝)天平年間(729~749) ・開基:(寺伝)行基・聖武天皇(勅願) ・住所:徳島県鳴門市 ※別称:一番さん 霊山寺の寺伝によると、奈良時代天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅願により行基によって開創されたとされている。 弘仁6年(815年)に弘法大師(空海)がこの地を訪れ、21日間(三七日)留まって修行された際、天竺(インド)の霊鷲山(りょうじゅせん)で釈迦が仏法を説いた情景に似ていると感得。インドの霊山を和国(日)に移すという意味で「竺和山霊山寺」と名付け、四国88ヶ所霊場開創祈願を

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  • 四国巡礼編(1)プロローグ - 旅拝

    新年明けましておめでとうございます。 昨年ご訪問頂いた皆様に心より感謝申し上げます。 今年もよろしくお願いします。 それでは以下、四国巡礼編です。 チベットを旅した後、日常の生活に埋もれていく中、ふと巡礼者たちのひたむきな姿が憧憬となって脳裏に蘇る。 あの時の感動を再び体験したいという気持ちがむくむくと湧き上がってきた。 この日という国で、巡礼者になれる場所といえば真っ先に思い浮かぶのが四国だ。そうだ四国へ行こう。 2006年、四国遍路の資金を貯め旅を始めることにした。 四国遍路に出発する前に新たに購入したもの。 ※アウトドア用品は、登山用品店が立ち並ぶ神田神保町・小川町(東京都千代田区)近辺で買い揃えた。 ・リュック(バックパック):大き目のサイズを購入(最大容量55ℓ)。 ・テント:登山用品店を色々巡ったが最終的にニッピン神田店で購入。値段が3万円以上と当初の予算を越えていたが、1人

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  • おまけ(その11)不思議な縁の話 - 旅拝

    ※西蔵編(40)台北~基隆~石垣島~宮古島~那覇のおまけ記事 上記の記事を書くにあたり田中綱常氏について調べたところ、エルトゥールル号遭難事件に辿り着いた。 この時、私がかつて紀伊大島に行ったことがあることを思い出した。 旅をした当時は旅日記を付けておらず写真も撮っていない為、記憶を辿るしかないが、記録の意味で書き記しておきたいと思う。 私にとっての初めての一人旅は学生時代の国内旅行(関西)だった。 一人旅をするにあたり、まず大阪を見たいと思った。(建前ではなく)音をぶつける人情味のある街、そして美味しいものがべられる街として興味があったのだと思う(勝手な先入観だが)。 1週間程の旅行だが、大阪を拠点にして周辺地域を観光している。 確か最初は難波(なんば)(大阪市中央区)周辺のカプセルホテルに泊まったと思う。周囲のいびきがうるさくて眠れなかった為、1、2泊した後に宿を移動している。 当

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  • 西蔵編(40)台北~基隆~石垣島~宮古島~那覇 - 旅拝

    台北に1泊し急ぎ足で観光した後、夕方の列車で基隆(きりゅう)( Ji Long )(キールン)(かつての名称は「鶏籠」(発音同じ))に向かった(所要50分)。 バスだと台北から始発があり座れたのだが、列車が好きなので座れなくても苦にならなかった。 通勤客が多い車中で、ある女性に突然話しかけられた。 その女性の名前は東龍宮の宮司、石( shi )卉栒( dan hui )さんだった。基隆に分壇(分堂)があるとのこと。 東龍宮は、日の明治時代の海軍軍人・貴族院議員田中綱常(つなつね)氏(1842~1903)を神様として祀(まつ)っているそうだ(情けない話だが、氏のことをこの時初めて知った)。 田中綱常氏について調べてみた。 田中綱常は薩摩藩出身の軍人・政治家で、最終階級は海軍少将。 海軍「比叡」艦長時代、エルトゥールル号遭難事件にて救助された乗組員を母国(オスマン帝国)まで送り届け、オスマン

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  • 西蔵編(39)台北 - 旅拝

    沖縄行きのフェリー(クルーズフェリー飛龍、現在運行中止)の出発日が翌日だった為、台北は1泊2日の滞在となった。 台北到着日に、有村産業株式会社(フェリー運航会社)の台北オフィスに行きチケットを購入(基龍から那覇まで3900台湾ドルだった(当時のレートで約13000円))。 また、日大使館を訪問している。 翌日、昼間に駆け足で台北を観光した。観光したのは下記の通り。 ・国立故宮博物院 国立故宮博物院は、フランスのルーブル美術館、アメリカのメトロポリタン博物館、ロシアのエルミタージュ美術館とともに、世界四大博物館の一つとされている(四大博物館の選定には諸説有)。 所蔵品約70万点のうちほとんどは中国歴代皇帝の収集品で、北京の紫禁城(故宮)にあったものを20世紀前半の中国の戦乱期に移送したものだそうだ。 当時は改装中で展示物が少なかったので、いつの日か機会があればじっくり見たい。 ・順益台湾

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  • おまけ(その10) The Rivers of the Mandala - 旅拝

    ※西蔵編(38)カトマンドゥ~香港~台北のおまけ記事 後年香港を再訪した際、書店で興味深いを見つけたので紹介したい。 そのの名前は、“ The Rivers of the Mandala ” (著者: Simon Allix , Benoit de Vilmorin )(出版社: Thames & Hudson )だ。 英語で書かれただが、写真や絵を見ているだけでも楽しい。カイラス山も登場する。 参考までに、Simon Allix 氏の動画を幾つか紹介させて頂く。 ・simon allix ⇒ 動画はこちら ・DEMO LIVRES ⇒ 動画はこちら ※上記動画の0:39より” The Rivers of the Mandala ”(書籍)が登場する。 ・Kailash Manasarovar ⇒ 動画はこちら ・Kailash, on the paths of Tibet ⇒ 動画

    おまけ(その10) The Rivers of the Mandala - 旅拝
  • 西蔵編(38)カトマンドゥ~香港~台北 - 旅拝

    を発つ前に検討していたプランの一つとして、ネパール訪問後インドのダージリン( Darjeeling )に行くというものがあった。 しかし、チベット滞在が予想以上に長引いたこともあり、予算が足りないと判断し諦めた。 結局、カトマンドゥ(カトマンズ)( Kathmandu )に4泊した後、飛行機で香港に向かった。 カトマンドゥのトリブバン国際空港は、7年前と比べ、立派な建物になっていた。 カトマンドゥから香港までは4時間のフライトだった(ロイヤル・ネパール航空(現ネパール航空))。 一気に大都会に来てしまい、戸惑った感もあったが、友人達と再会して一息ついた。 (香港の滞在目的) (1)友人達と再会する (2)台湾に片道切符で入国できるか確認しておく (1)友人達と再会する お土産を渡してチベットの旅の報告をした。 チベット自治区への漢民族の流入が止まらず、チベタン(チベット人)の若者が仕事

    西蔵編(38)カトマンドゥ~香港~台北 - 旅拝
  • 西蔵編(37)パタン - 旅拝

    カトマンドゥ(カトマンズ)( Kathmandu )滞在中、近郊の古都パタン( Patan )(世界遺産)を訪問している。 パタンの正式名称はサンスクリット語でラリトプル( Lalitpur )、ネワール語ではイェラ( Yala )で、どちらも「美の都」という意味らしい。 この街に住むネワール族は彫刻や絵画などの芸術に優れ、パタンは工芸の街としても知られている。 パタンの街は、バグワティ川を挟んで、カトマンドゥのすぐ南に位置する。 住民の8割が仏教徒で、ブッダはヴィシュヌ神の化身とされている。 街の中心ダルバール広場の周りには、美しいネパール建築の寺院が数多く見られる。 7年ぶりに見るパタンの街は、昔より整備されているように思われた。 (下記写真は、シヴァ神を祀るクンベシュワール寺院(1392年建立)。五重塔を持つ) (下記写真は、マハボーダ寺院(1600年建立)。(ブッダ・ガヤ(インド)

    西蔵編(37)パタン - 旅拝
  • おまけ(その9)経験について - 旅拝

    ※西蔵編(36)カトマンドゥ(後編)のおまけ記事 年齢を重ねるにつれ、新しいことにチャレンジする意欲が薄れつつある(ロボットのように同じような毎日を繰り返している)。未知の世界に飛び込むことに不安を感じているのかもしれない。 前回の記事で登場した岩崎圭一さんは、無一文で生きられるか試す為に、日ホームレス生活を送っている。 その経験により、無一文でも生きていけるという自信を持って日を離れ、旅を始めたそうだ。無一文状態に対する不安や恐怖を克服しているのがすごいと思う。 何か新しいことを始める前に不安や恐怖といった感情を持つことはある意味仕方の無いことだが、その負の感情は時として足枷(あしかせ)になりうる為、可能であれば手放したい。 自分に出来ることと言えば、視点を変えることだろうか。 何かを成し遂げたいという場合、目標・ゴールを設定しそこから逆算していくというのが一般的だ。 目標を達成す

    おまけ(その9)経験について - 旅拝