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昭和史の検索結果1 - 40 件 / 42件

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昭和史に関するエントリは42件あります。 歴史history訃報 などが関連タグです。 人気エントリには 『「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓:東京新聞 TOKYO Web』などがあります。
  • 「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓:東京新聞 TOKYO Web

    「薩長史観」に彩られた明治150年、勝者が裁いた東京裁判、平成と象徴天皇、トランプ米大統領就任後の世界―。本紙は2015年から、半藤一利さんとノンフィクション作家の保阪正康さん(81)を招いて、上記のテーマで対談していただいた。終了後、一献傾けながら昭和史の秘話を伺う時間は至福のひとときだった。

      「国民的熱狂をつくってはいけない」半藤一利さんが残した昭和史5つの教訓:東京新聞 TOKYO Web
    • 庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由

      『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が、興行収入80億円を超える成績で上映中だ。その監督で、『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズや『シン・ゴジラ』(2016年)を手がけてきた庵野秀明。彼の敬愛する日本の映画監督といえば、その筆頭に数えられるのが岡本喜八監督である。 『激動の昭和史 沖縄決戦』DVD 1996年に雑誌『アニメージュ』が企画した、岡本×庵野対談では、庵野監督が「僕が生涯、いちばん何度も観た映画なんです。100回以上観ています」として、岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)を挙げている。この作品は、庵野監督が初監督作から継続して自作にその様々な要素をとり入れている作品でもある。つまり『激動の昭和史 沖縄決戦』の魂は、庵野監督の手によって、いまも映画館のスクリーンで間接的に甦っているのである。 しかし、なぜ本作が庵野監督にとって、そこまで特別なものになったのだろうか。本人

        庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由
      • コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz

        「欧米コンプレックス」が混乱の発端 「コロナうつ」の発生を懸念する記事が目立つこのごろだが、重度のうつの体験がある私も実際に具合が悪い。もっともこの異常な状況下で元気がよいのは、メディアをジャックする「貴重な機会」を掴んだ一部の(自称を含む)専門家くらいのもので、仮に緊急事態宣言が解除されたところで、自粛要請が生み出した沈鬱な世相は容易に元へは戻らない。 コロナウィルスによる日本での死者自体は欧米に比べて圧倒的に少なく、一般人に求められる予防法が通常の感染症(たとえばインフルエンザ)と大差ないこともわかってきた。それでもメディアが「未曽有の危機」として報道を煽り、あれこれの対策リストを列挙するのは、むしろ国民を「躁的」な状態へ誘導してうつを緩和するためなのかとさえ、感じることがある。 かつてない初めての困難に立ち向かう経験は、人の心を奮い立たせるものがあるし、何より対応に失敗しても、そこま

          コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz
        • 79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日 | 文春オンライン

          ◆ はじめから昭和史ということを考えていたわけじゃない ――国会図書館のサイトで保阪さんの著作を検索しますと、単著、共著、文庫化などを含めて314件もヒットしました。単著だけで100冊以上、その多さにあらためて驚きました。しかも医療問題から会社研究まで幅広い。ジャーナリスティックな手法で、なぜとりわけ昭和史についての取材と執筆を続けてきたのか、伺えたらと思います。 保阪 それはまた単純な話なんです。昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫が割腹自殺をした事件がありましたね。その時に、「ともに死なう」と三島が自衛隊員に呼びかけている檄文を読みました。ともに死のう、ということです。 それを読んで「昔、そういえば『死のう団事件』ってあったな」と思い出した。国会図書館へ行って調べたら、本が書かれていない。じゃあ僕が調べて本にしようと思ったんですね。当時の資料を丹念に調べ、生存者を探して取材し

            79歳“在野の昭和史研究者”保阪正康 妻子持ちの32歳で大学院への道を捨てた日 | 文春オンライン
          • Sonota on Twitter: "「元陸軍伍長のトラック運転手がいた。ある日、私にこんなことを話した。その姑娘をみんなで手ごめにしたあと、気絶していた娘の膣に、そばに転がっていた一升びんを突っこみ、どこまで入るか銃底で叩きこんでみた。そしたら血を噴いて骨盤が割れて死んでしまった、と」色川大吉『ある昭和史』"

              Sonota on Twitter: "「元陸軍伍長のトラック運転手がいた。ある日、私にこんなことを話した。その姑娘をみんなで手ごめにしたあと、気絶していた娘の膣に、そばに転がっていた一升びんを突っこみ、どこまで入るか銃底で叩きこんでみた。そしたら血を噴いて骨盤が割れて死んでしまった、と」色川大吉『ある昭和史』"
            • 下山事件の謎に迫る【1】初代国鉄総裁が命を落とした「昭和史最大のミステリー」、73年後の現場を歩く

              【読売新聞】 2022年7月5日午前9時半、僕は日本橋の三越本店(東京都中央区)前にいた。 朝のデパートに、夏の日差しが降り注ぐ。車が行き交う大通りに面した赤い日よけの陰では年配の女性が一息つき、その前を白い日傘をさした女性が通り過

                下山事件の謎に迫る【1】初代国鉄総裁が命を落とした「昭和史最大のミステリー」、73年後の現場を歩く
              • 歴史学者の色川大吉さん死去 96歳 「ある昭和史」で自分史ブーム | 毎日新聞

                「自分史」の分野を開拓した歴史学者で東京経済大名誉教授の色川大吉(いろかわ・だいきち)さんが7日午前2時43分、老衰のため死去した。96歳。千葉県出身。葬儀は密葬で行う。 中学教師をしつつ社会運動に携わり、「明治精神史」を刊行。市民らで地域史研究を行う「多摩史研究会」を結成した。 庶民の立場から記した「ある昭和史」はそ…

                  歴史学者の色川大吉さん死去 96歳 「ある昭和史」で自分史ブーム | 毎日新聞
                • 作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳 | 共同通信

                  「日本のいちばん長い日」などの著作で知られる作家の半藤一利(はんどう・かずとし)さんが12日午後、東京都世田谷区の自宅で倒れているのが見つかり、死亡が確認された。関係者への取材で分かった。90歳。東京都出身。 東京大を卒業して文芸春秋に入社。「週刊文春」「文芸春秋」編集長を歴任、1994年から著述に専念した。 編集者として坂口安吾らを担当し、歴史研究に開眼。終戦時の軍部関係者らを集めた座談会「日本のいちばん長い日」は、雑誌「文芸春秋」の記事となった後に単行本化され、映画化された。 憲法9条と平和の大切さを次世代に説き続け、2015年に菊池寛賞を受けた。

                    作家の半藤一利さんが死去 昭和史研究で著書多数、90歳 | 共同通信
                  • 昭和史の宝庫!「皇居の防空壕の設計者」まで網羅する「油谷これくしょん」とはなにか? | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン

                    「後世に残らない」生活用品 内容は多種多様 秋田駅より車で30分弱。郊外の田園地帯にあるので、アクセスはあまりよくないが、それでも行ってまず損はない。まだ白くきれいな2階建ての校舎には、所狭しと生活用品が並べられ、誰もが「ひとりでよくここまで集めたな」と驚かされるだろう。ちなみに、入場料は無料だ。 内容は本当に多種多様。めんこ、こけし人形、うつし絵などの玩具から、ビール、日本酒、煙草、缶詰、マッチ、レコード、映画チラシ、ランプ、ちょうちん、化粧品、ミシン、針箱、アイコン、職人道具、カレンダー、カタログ、寺社案内、そして箪笥、リヤカー、荷車、自転車、人力車など大型のものまで。時代も幅広いが、やはり昭和期のものが群を抜いている。

                      昭和史の宝庫!「皇居の防空壕の設計者」まで網羅する「油谷これくしょん」とはなにか? | 74年、あの戦争を語り継ぐ | 文春オンライン
                    • 昭和史研究家・保阪さん、国葬「戦後の歩み否定」:北海道新聞デジタル

                      札幌市出身の昭和史研究家保阪正康さん(82)は27日、北海道新聞東京支社で、安倍晋三元首相の国葬の様子をテレビで見つめた。岸田文雄首相の弔辞内容や国葬としたことの是非について、一緒に中継を見ながら聞...

                        昭和史研究家・保阪さん、国葬「戦後の歩み否定」:北海道新聞デジタル
                      • 昼寝猫 on Twitter: "「日本記者クラブ 記者研修会 昭和史からみた現代 ―東日本大震災後の日本を問う― 保阪正康 ノンフィクション作家 2012年8月31日」P9の右段からです。「東京から家族単位でいっぱい長期契約で泊まっているんです。東京でいろんな… https://t.co/M2OpD8YbbR"

                        「日本記者クラブ 記者研修会 昭和史からみた現代 ―東日本大震災後の日本を問う― 保阪正康 ノンフィクション作家 2012年8月31日」P9の右段からです。「東京から家族単位でいっぱい長期契約で泊まっているんです。東京でいろんな… https://t.co/M2OpD8YbbR

                          昼寝猫 on Twitter: "「日本記者クラブ 記者研修会 昭和史からみた現代 ―東日本大震災後の日本を問う― 保阪正康 ノンフィクション作家 2012年8月31日」P9の右段からです。「東京から家族単位でいっぱい長期契約で泊まっているんです。東京でいろんな… https://t.co/M2OpD8YbbR"
                        • 昭和史の巨人、半藤一利先生 追悼記事 - 幸せなことだけをして生きていきたい

                          昭和史の巨人、半藤一利先生が亡くなられました。 www3.nhk.or.jp 私はすごく影響を受けたので、追悼記事を書く気になかなかなりませんでした。 特集TV放送に合わせて書きました。 ETV特集「一所懸命に漕(こ)いできた~“歴史探偵”半藤一利の遺言~」 (NHKEテレ1・東京)1月30日(土)午後11:00~午前0:00(60分) (NHKEテレ1・東京)2月4日(木)午前0:00~午前1:00(60分) 昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671) 作者:半藤 一利 発売日: 2012/01/01 メディア: Kindle版 昭和史 戦後篇 1945-1989 (平凡社ライブラリー 672) 作者:半藤 一利 発売日: 2012/01/01 メディア: Kindle版 読み直しました。 ほんとに勉強になります。 例えば 半藤一利さんは、40年周期の日本史を語られていま

                            昭和史の巨人、半藤一利先生 追悼記事 - 幸せなことだけをして生きていきたい
                          • 背の君👨‍💼 三島由紀夫&昭和史にはまる💦 日常会話に二二六事件がブッ込まれる( ̄▽ ̄;) - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                            うっかり画像ファイルを消してしまったので過去記事をリライトしています( ;∀;)💦 のんびりとした日常は突然崩れるものでございます😅 我が家では、NHKやBSの受信料のを元をとるぜということで、 チャンネルはBSもしくはNHKでございます(。・ω・。) たまたま「100分 de 名著」三島由紀夫の金閣寺🌟を観てました📺 🌷上リンク引用🌷 三島由紀夫「金閣寺」は、1950年7月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にして創作された、戦後文学の最高傑作とも称される作品です。 戯曲化や映画化も果たし、今も、国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、現代の私たちに「人間とは何か」「美とは何か」を問い続けています。 番組では、戦後日本文学の代表者ともいえる三島由紀夫(1925-1970)の生涯にも触れながら、代表作「金閣寺」に三島がこめたものを紐解いていきます。

                              背の君👨‍💼 三島由紀夫&昭和史にはまる💦 日常会話に二二六事件がブッ込まれる( ̄▽ ̄;) - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                            • 背の君👨‍💼今度は三島由紀夫&昭和史にハマる💦日常会話に二・二六事件ぶっ込まれる💧 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                              うっかり画像ファイルを消してしまったためリライトしています(´;ω;`) のんびりとした日常は突然崩れるものであございます😅 我が家では、NHKやBSの受信料のを元をとるぜということで、チャンネルはBSもしくはNHKでございます(。・ω・。) たまたま「100分 de 名著」三島由紀夫の金閣寺🌟を観てました📺 🌷上リンク引用🌷 三島由紀夫「金閣寺」は、1950年7月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にして創作された、戦後文学の最高傑作とも称される作品です。 戯曲化や映画化も果たし、今も、国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、現代の私たちに「人間とは何か」「美とは何か」を問い続けています。 番組では、戦後日本文学の代表者ともいえる三島由紀夫(1925-1970)の生涯にも触れながら、代表作「金閣寺」に三島がこめたものを紐解いていきます。 おもむろに

                                背の君👨‍💼今度は三島由紀夫&昭和史にハマる💦日常会話に二・二六事件ぶっ込まれる💧 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                              • ノンフィクション作家・保阪正康が語る「『昭和史』からの教訓と、平成の天皇との私的な懇談」 | 文春オンライン

                                ◆ 『昭和史』について、ずるいなと思っているところがある ――1950年代後半に、亀井勝一郎氏らが参加した『昭和史』論争がありましたね。岩波書店から出版された『昭和史』(遠山茂樹、今井清一、藤原彰共著)を巡って「人間が描かれていない」などといった批判が起きました。保阪さんは「『昭和史』に亀井さんが突きつけた疑問は正しいと思う」(『「戦後」を点検する』)と、こうした意見にも一理あるという立場を取っています。 保阪 『昭和史』論争が起きた時、僕は学生でした。高校生の時に初めて読んで、内容はさっぱり分かりませんでしたが、大学生の時にベストセラーになっていたので再び読みました。これは共産党の視点で書いている本だな、というのは分かる。遠山茂樹、今井清一、藤原彰という3人は戦争学徒、ないしは戦争を体験した戦後の研究者ですよね。いわゆる唯物史観の人たちです。この人たちが歴研(歴史学研究会)を取り仕切って

                                  ノンフィクション作家・保阪正康が語る「『昭和史』からの教訓と、平成の天皇との私的な懇談」 | 文春オンライン
                                • 辻田 真佐憲@『古関裕而の昭和史』(文春新書) on Twitter: "政治的には、これだけ長いのに、大したことは何もできなかったという評価になるんでしょうけども、つぎの政権がデタラメで大混乱した場合、相対的に、安定していたという評価に落ち着く可能性もあり。。"

                                  政治的には、これだけ長いのに、大したことは何もできなかったという評価になるんでしょうけども、つぎの政権がデタラメで大混乱した場合、相対的に、安定していたという評価に落ち着く可能性もあり。。

                                    辻田 真佐憲@『古関裕而の昭和史』(文春新書) on Twitter: "政治的には、これだけ長いのに、大したことは何もできなかったという評価になるんでしょうけども、つぎの政権がデタラメで大混乱した場合、相対的に、安定していたという評価に落ち着く可能性もあり。。"
                                  • 背の君👨‍💼今度は三島由紀夫&昭和史にハマる💦日常会話に二二六事件ぶっ込まれる💧 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                                    のんびりとした日常は突然崩れるものであございます😅 我が家では、NHKやBSの受信料のを元をとるぜということで、チャンネルはBSもしくはNHKでございます (。・ω・。) たまたま「100分 de 名著」三島由紀夫の金閣寺🌟を観てました📺 🌷上リンク引用🌷 三島由紀夫「金閣寺」は、1950年7月に実際に起こった「金閣寺放火事件」を素材にして創作された、戦後文学の最高傑作とも称される作品です。 戯曲化や映画化も果たし、今も、国内外で数多くの作家や研究者、クリエイターたちが言及し続けるなど、現代の私たちに「人間とは何か」「美とは何か」を問い続けています。 番組では、戦後日本文学の代表者ともいえる三島由紀夫(1925-1970)の生涯にも触れながら、代表作「金閣寺」に三島がこめたものを紐解いていきます。 おもむろに背の君👨‍💼が、三島由紀夫って‥‥と言いかける。 ‥‥一応次の言葉を

                                      背の君👨‍💼今度は三島由紀夫&昭和史にハマる💦日常会話に二二六事件ぶっ込まれる💧 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                                    • 【半藤一利×青木理 対談】歴史は繰り返すのか? 『世界史のなかの昭和史』より|じんぶん堂

                                      記事:平凡社 半藤一利氏(右)と青木理氏(左)。平凡社総合文芸誌『こころ』Vol.42掲載の対談記事より転載。(撮影=川島保彦) 書籍情報はこちら 欧米列強の政略や戦略に翻弄された昭和の歴史を「世界史の視野から」「現代の視点で」時系列に辿った“半藤昭和史”完結篇 『世界史のなかの昭和史』。本書の平凡社ライブラリー版に収載された青木理氏との対談では、政治やメディアによって煽られた国民の侮蔑感情が、取り返しがつかない結果につながってしまうことに警鐘を鳴らしている。 侮蔑感情の因果関係 青木 本書の中で他にも印象的だったのは、大正末ぐらいから、中国人に対する日本人の侮蔑のような感情が「民草」にも非常に広がっていたという部分です。「民草は怪(け)しからんにも程があると敵愾心(てきがいしん)をつのらせる、なかば侮蔑を加えながら」と書かれていますね。つまり、敵対する国や民族に対して人びとが侮蔑まじりの

                                        【半藤一利×青木理 対談】歴史は繰り返すのか? 『世界史のなかの昭和史』より|じんぶん堂
                                      • 太平洋戦争に突き進んだ「東條英機世代」の正体がヤバすぎた…「世代」で昭和史を読み解いてみたら(保阪 正康) @gendai_biz

                                        戦死者230万人の87%は大正生まれだった 近現代史研究の第一人者であるノンフィクション作家の保阪正康氏は、とりわけ昭和史の研究に心血を注いできた。1972年に作家デビューしてから50年にわたるキャリアを通じて、実に延べ4000人以上から聴き取り調査を続けている。 『文藝春秋』2023年1月号では、「平成の天皇皇后 両陛下大いに語る」と題し、上皇上皇后両陛下との計6回の懇談の中身を披露し、その貴重な肉声を公開して話題になっている。 その保阪氏が、このほど新刊『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(毎日新聞出版)を発刊した。「戦争を遂行した世代」「戦争の要員とされて犠牲になった世代」「少年少女期に戦争を経験し、戦後の価値転換を目の当たりにした少国民世代」「純粋戦後民主主義世代」と4種類のカテゴリーに分け、「世代」という切り口によって歴史を鮮やかに腑分けする。

                                          太平洋戦争に突き進んだ「東條英機世代」の正体がヤバすぎた…「世代」で昭和史を読み解いてみたら(保阪 正康) @gendai_biz
                                        • 昭和史検証は“共有財産”だった…磯田道史が振り返る「半藤一利さんが日本人に遺したもの」 | 文春オンライン

                                          〈半藤さんは、司馬遼太郎と並んで「日本人の歴史観」をつくったお一人です。かけがえのない“語り部”を失って、いま大きな喪失感に襲われています〉 「週刊文春」や「文藝春秋」の編集長などを歴任した後、作家・ジャーナリストとして、昭和史を中心に多くの著作を残した半藤一利さん。1月12日に享年90で亡くなった、その死をこう惜しむのは、歴史家の磯田道史さんだ。 〈半藤さんは40歳も離れた私にも、何かと気遣ってくださいました。現上皇上皇后陛下に保阪正康さんと共に会われる際にも、お誘いいただきました。「若い歴史家に語り継いでおかなければ」という思いがあったんだと思います〉 「起きて困ることは起らないと信じこむ」 その磯田さんは、半藤さんによる「昭和史の検証」は、まさに「国民の共有財産」と言えるほど貴重なものであり、「今日のコロナ対応」にもそのまま活用できると指摘する。 〈もし半藤さんがお元気でいらっしゃっ

                                            昭和史検証は“共有財産”だった…磯田道史が振り返る「半藤一利さんが日本人に遺したもの」 | 文春オンライン
                                          • ペコちゃんの昭和史 - 地底たる謎の研究室

                                            題名:ペコちゃんの昭和史 報告者:トシ ペコちゃんと言えば、すぐに浮かぶであろうあのペコちゃんである。図にペコちゃんを示す。今ではあまり見かけなくなったが、昭和時代を体現した人は、かつて店頭の前にペコちゃんの首振り人形を見かけたこともある人も多いに違いない。そのペコちゃんはこれも言わずもがな、株式会社不二家のキャラクターである。 不二家といえば、やはり「ミルキー」は外せない。ペコちゃんが1950年に採用されたとともに、1951年にその「ミルキー」が発売され、この「ミルキー」がお菓子でのママの味として定着するとともに、ペコちゃんも、不二家も大躍進するきっかけを産み出した2)。 1951年は、日本が戦後からようやく立ち直る時期であり、その少し前の1945~48年頃の食料事情を調べると、「食糧事情は悪化の極に達し、主食配給の遅配・欠配は日常化」、「いもなどを米のかわりに主食としなければならない場

                                              ペコちゃんの昭和史 - 地底たる謎の研究室
                                            • 朝ドラで父親が逮捕された収賄騒動は「帝人事件」がモデルか…時の首相をも失墜させた昭和史の大いなる謎 「虎に翼」でヒロインが裁判官を目指すきっかけにもなる

                                              戦前の1934年、斎藤内閣が総辞職する大事件に発展 帝人事件は1934(昭和9)年、当時の斎藤実まこと内閣が総辞職する要因となった戦前最大の疑獄事件である。大蔵省幹部や閣僚経験者など、政財官界要人が株取引にまつわる不正を問われて起訴されるが、公判の過程では検察による自白の強要、自殺防止を名目とした革手錠の使用、劣悪な収容環境が明らかとなり、「検察ファッショ」「司法ファッショ」の言葉を生む。 のちに被告人全員の無罪で結審するが、判決文は検察側の主張を「空中楼閣」「あたかも水中に月影を掬きくせんとするの類」とまで評した謎多き事件である。当時、日本は1932(昭和7)年の五・一五事件によって政党内閣時代が終わり、非政党代表者を首班とする挙国一致内閣時代に入っていた。 このうち、1936(昭和11)年の二・二六事件以前に政権を担った斎藤内閣と岡田啓介けいすけ内閣はいずれも海軍出身の穏健派を首班とし

                                                朝ドラで父親が逮捕された収賄騒動は「帝人事件」がモデルか…時の首相をも失墜させた昭和史の大いなる謎 「虎に翼」でヒロインが裁判官を目指すきっかけにもなる
                                              • 「国鉄民営化」を進めたのは「“ソ連側の”証人」として戦犯裁判に出た元関東軍幹部…ヤバすぎる昭和史に迫る(森 功)

                                                安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第16回 『「日本最大の労働組合を潰す」...日本財界のフィクサー・葛西敬之の「国労の力を削ぐ」驚くべき「画策」』より続く 瀬島龍三という男 葛西は自ら手掛けた分割民営化について、〈スタートしたばかりの経営改善計画の否定から始めるべきものだった〉とまで述べている。前に書いたように当時の葛西は臨調との連絡係にすぎない。なのに、なぜそこまでできたのか。この当時、職員局に勤め、国

                                                  「国鉄民営化」を進めたのは「“ソ連側の”証人」として戦犯裁判に出た元関東軍幹部…ヤバすぎる昭和史に迫る(森 功)
                                                • 石油ショック「トイレットペーパー買い占め」はこの店から始まった 昭和史に名を刻んだスーパー4月閉店

                                                  連絡通路を渡って開店した大丸ピーコック千里中央店へと向かう人たち(J.フロントリテイリング史料館提供) 北大阪急行電鉄・千里中央駅前の商業施設「オトカリテ」(大阪府豊中市)が4月30日に閉館する。千里ニュータウン玄関口の商業施設として半世紀超にわたり親しまれたが、老朽化が目立ち閉館を決めた。同館の主要テナント「ピーコックストア千里中央店」の前身は昭和45年に開業した「大丸ピーコック千里中央店」。48年の石油ショックを象徴する事象「トイレットペーパー(トイレ紙)騒動」の全国発端となった店舗だ。昭和の歴史に名を刻んだ「証人」の1つが姿を消す。 大丸ピーコック千里中央店は、45年3月11日オープン。周辺には千里阪急百貨店なども開業、大阪・千里を会場とした大阪万博の開幕が4日後に迫り、地域は熱気に満ちていた。 「この日万博への足、北大阪急行千里中央駅前の(中略)同店には、早くも開店1時間以上も前か

                                                    石油ショック「トイレットペーパー買い占め」はこの店から始まった 昭和史に名を刻んだスーパー4月閉店
                                                  • 激動の昭和史 沖縄決戦 - ★気ままに自宅で映画観賞★

                                                    あるいはドキュメンタリーかと思ったりもしましたが、れっきとした東宝の映画で、いうなれば先のハックソーの日本側からの視点とでもいいましょうか。さすがに作られた時代も違いますからね。銃撃戦の生々しさは数倍も劣ります。勝るものと言ったら砲弾による爆破の数と、現代で製作したらおいくらになるのかと思われる名優たちのギャラでしょう。生半可の動員数では大赤字になるのは必至。そのくらい名の知れた俳優たちが惜しみも無く登場します。ただし、タイトルがタイトルですからね。驚きはあるものの感動はさすがに無理です。従って出るのは生気を失ったかの溜息くらい。1971年に公開された本作はなんでもシリーズものらしく、第5作にあたるらしい。途中で休憩の文字が出るほどで149分となかなかの長編です。その為これでもかと沖縄決戦の悲惨な運命が描かれていて、正直見るほどにパワーを吸い取られていく感じです。多少着色がと前置きが出ます

                                                      激動の昭和史 沖縄決戦 - ★気ままに自宅で映画観賞★
                                                    • 《昭和史の謎》「東条!? そんなバカな!? 」「断固反対だ」日米交渉妥協への命綱が切り落とされた中、東条英機内閣が成立した理由 | 文春オンライン

                                                      『昭和史』や『日本のいちばん長い日』など、数々のベストセラーを遺した半藤一利さんは、今年1月に90歳で亡くなられました。陸軍将校による座談会の記録を、昭和史研究の基礎資料として読み込んできた半藤さん。 「アメリカと戦争するなんて、夢にも思わなかった」。参謀本部、陸軍省の元エリートたちは、口を揃えてそう言いました。1941年、日本最強の巨大組織で、何が起こっていたのでしょうか。『なぜ必敗の戦争を始めたのか』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介します。(全2回の1回目/後編を読む) ◆◆◆ 独ソ開戦前後と日本の国力 さて、まずは独ソ開戦前後と日本の国力についての興味深いエピソードから。 この独ソ開戦の1日前の昭和16年6月21日、アメリカは石油の全面輸出許可制に踏みきっているのです。これは日本からみれば事実上の輸出禁止と判断しなければならなかった重大なことであったのです。そこで翌22日、陸軍省燃料

                                                        《昭和史の謎》「東条!? そんなバカな!? 」「断固反対だ」日米交渉妥協への命綱が切り落とされた中、東条英機内閣が成立した理由 | 文春オンライン
                                                      • 通州事件、尖閣諸島戦時遭難事件... 昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てる

                                                        <戦争が終わり、時間の経過と共に忘れられていったのではなく、元より埋没してしまっていた重大事件がある。当事者たちの証言をもとに、それらの事件から昭和の大戦を読み解く> 第二次大戦の終結から76年がたつ。徐々に歴史の彼方へと追いやられようとしている。だがそれ以前に、敗戦国となった日本で長らく埋もれてしまっていた数々の重大事件があると、ノンフィクション作家の早坂隆氏は言う。 このたび『大東亜戦争の事件簿――隠された昭和史の真実』(育鵬社)を上梓した早坂氏が、その「事件簿」の一部を特別に寄稿する。 昭和史において、埋もれている数々の事件がある。冷静に語り継がれるべきそれらの事件は、なぜ埋没してしまっているのか。あるいは、意図的に隠蔽されているのか。事件当事者たちの証言をもとにしながら、先の大戦に関する新たな一面に光を当てたい。 通州事件〈日本人居留民への大虐殺事件〉 支那事変(日中戦争)の引き金

                                                          通州事件、尖閣諸島戦時遭難事件... 昭和史に埋もれていた「事件」に光を当てる
                                                        • 「これは『昭和天皇独白録』と同じくらいの衝撃だ」歴史的スクープを後押しした、昭和史研究家・半藤一利の言葉とは | 文春オンライン

                                                          戸髙 半藤さんは文藝春秋入社以来、旧軍人の取材をすることが多く貴重な証言に接してこられましたし、歴史研究者との交流も多く、中でも東大ボート部以来のご友人・秦郁彦氏、中央公論「歴史と人物」編集長の横山恵一氏とは銀座のバーに頻繁に集まっては、雑誌の企画や歴史談議に時を過ごしていました。 私は当時、海軍関係の史料を収集する「財団法人史料調査会」で司書として勤務していた関係で、時折この集まりに呼ばれていました。私の記録によれば、1992年6月9日、文藝春秋社近くの「二葉鮨」で半藤さんが「ひとつこのメンバーで歴史探偵団ってのをやらねえか。もちろん団長は俺だな」と言い出したのが始まり。 ここからほぼ毎月途絶えることなく、2021年に半藤団長がお亡くなりになったあとも活動を続けて、今年は「歴史探偵団」結成32年目になりました。難しい話をするのではなく、歴史上の話題に関して興味の赴くままに談笑し、酒を呑む

                                                            「これは『昭和天皇独白録』と同じくらいの衝撃だ」歴史的スクープを後押しした、昭和史研究家・半藤一利の言葉とは | 文春オンライン
                                                          • ナベツネも野中広務も、なぜここまで戦争を憎んだか…世代論で読み解く昭和史が面白い(保阪 正康) @gendai_biz

                                                            特攻兵だった読売新聞・渡邉恒雄の憲法観 保阪氏が、このほど新刊『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(毎日新聞出版)を発刊した。「戦争を遂行した世代」「戦争の要員とされて犠牲になった世代」「少年少女期に戦争を経験し、戦後の価値転換を目の当たりにした少国民世代」「純粋戦後民主主義世代」と4種類のカテゴリーに分け、「世代」という切り口によって歴史を鮮やかに腑分けする。 大正生まれの男性が数多く戦死する中、運良く太平洋戦争を生き抜いた人々もいる。新刊『世代の昭和史』の第3章、第4章で保阪正康氏は、戦後日本の政界、経済界、言論界を担った人々の固有名詞を次々と挙げる。 読売新聞の総帥・渡邉恒雄主筆がテレビカメラの前でしゃべるのは珍しい。NHKのBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 昭和編」(2019年放送)や「平成編」(2021年放送)、NHKスペ

                                                              ナベツネも野中広務も、なぜここまで戦争を憎んだか…世代論で読み解く昭和史が面白い(保阪 正康) @gendai_biz
                                                            • 【読書感想】昭和史の本質 良心と偽善のあいだ ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

                                                              昭和史の本質 良心と偽善のあいだ (新潮新書) 作者:保阪 正康発売日: 2020/04/16メディア: 新書 Kindle版もあります。 昭和史の本質―良心と偽善のあいだ―(新潮新書) 作者:保阪正康発売日: 2020/04/24メディア: Kindle版 「国民の九割強は良心を持たない」――芥川龍之介の言葉を裏付けるかのように、時流におもねる偽善は、軍人にかぎらず政治家や知識人、多くの大人たちにも見てとれる。三百万を超える犠牲者を出したあの戦争、敗戦とともに始まった戦後民主主義……日本人は、いったいどこで何を間違えたのか。近現代の名作に刻まれた一文を手掛かりに多彩な史実をひもとき、過去から未来へと連鎖する歴史の本質を探りだす。 保坂正康さんが、さまざまな作家の代表作の一節を抜き出して、それに関わる昭和史の史実とあわせて語った本です。 このなかで、芥川龍之介の「国民の九割は良心を持たぬも

                                                                【読書感想】昭和史の本質 良心と偽善のあいだ ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
                                                              • 戦後昭和史 - 郵便料金の推移

                                                                鎌倉時代から江戸時代まで、信書や金銭や小荷物を委託されて運ぶ「飛脚間屋」という仕組みがあった。搬送に携わる人たちは並みはずれた健脚の主で、飛ぶ如く駈けることから「飛脚」と呼んだ。江戸中期になると飛脚問屋は、幕府公用の継飛脚、諸大名が使う大名飛脚、大店の商家を得意先とする私営町飛脚の3つに大別される。江戸後期、サービス範囲が小さい町飛脚もできた。郵便事業の原型である。明治新政府が成立して間もない、明治3年(1870)6月、前島密によって建議され明治4年3月1日(1871年4月20日)スタート。当初この事業部署は「駅逓司」といい、本拠は現在の日本橋郵便局の位置で、搬送に郵便馬車が活躍した。 業務の多角化、取扱量の増大、国際化の進展によって、郵便事業の重要性は年ごとに高まる。明治18年12月、電信電話事業も包含する「逓信省」が創設された。郵便局のシンボルマーク「〒」は、明治20年に逓信省全般の記

                                                                • 盛岡八幡宮の米内光政像と昭和史

                                                                  盛岡八幡宮の米内光政像盛岡には、町の鎮守のために建てられた盛岡八幡宮があります。南部藩が盛岡に移った16世紀末に作られて以降300年間、盛岡の総鎮守として今日も町を見守っています。 隣には明治時代に護国神社も建てられ、明治天皇の像が盛岡の安寧を見守っています。 八幡宮にはもう一人、ある人の銅像が建っています。 そ八幡宮の南端、崇敬殿の前には、岩手が生んだ海軍軍人、米内光政の銅像が立っています。 昭和35年(1960)に建立された像は、軍服ではなくスーツ姿となっています。大将にまでなった海軍軍人なので、本来銅像は軍服姿であるべきでしょう。 しかし、まだ戦争の傷が癒えない頃で軍隊アレルギーが強い頃だったのと、生前の米内さんを知る友人や家族が話し合った結果、この姿になりました。 建立の言い出しっぺは、兵学校同期だった高橋三吉大将。 派閥抗争に明け暮れる陸軍に対し、帝国海軍は明治大正を通して比較的

                                                                    盛岡八幡宮の米内光政像と昭和史
                                                                  • 昭和史のかたち:丸山穂高衆院議員の暴言=保阪正康 | 毎日新聞

                                                                    昭和は歴史に入ったのか 令和に入って1カ月半が過ぎた。日々の動きを見ていると、少しずつ社会が平成の時代から変化していく様が見て取れる。変わらないようで変わりつつあると思う。具体的な指摘になるが、5月に北方領土へのビザなし訪問団に加わった丸山穂高衆院議員が、慣れない訪問先で酒の酔いも手伝ったとはいえ、「(戦争をしないと北方領土を)取り返せない」などと訪問団長に詰め寄ったそうだ。この常識外れの発言の主には、間違いなく、自分が歴史を侮辱しているとの認識が欠けている。 こういう発言が令和になって1カ月もしないうちに出てくるところに、不安感がわいてくる。令和が、こんなラフな思考に基づく歴史観を口にしても構わない時代になる予兆でなければいいが、とも案じる。

                                                                      昭和史のかたち:丸山穂高衆院議員の暴言=保阪正康 | 毎日新聞
                                                                    • 昭和史の見直し迫る 宮内省御用掛が残す「御進講メモ」

                                                                      NHKスペシャル「発見 昭和天皇御進講メモ~戦時下 知られざる外交戦~」(8月7日)は、宮内省御用掛の松田道一が12年間にわたってほぼ週に1回計509回にもわたって、昭和天皇に御進講した大量のメモが昨秋発見されたのを受けて、近現代史の専門家と取材班がその分析に取り組んだ成果である。(以下、敬称略。文書は現代文に適宜書き換えた) 昭和天皇の「御下問」と松田による「御進講」が計約10万字も詳細に記録されている。昭和史を書き換える事実を掘り起こしたドキュメンタリーの最高傑作である。 昭和天皇への情報の流れ 「御進講」は1933年から終戦の45年7月26日まで行われた。番組は一連の昭和天皇の側近の手記や東京電力福島第1原子力発電所事故のドキュメンタリーの手法で確立された、映像と文献に加えて、俳優による再現ドラマを交えて進行する。昭和天皇に片岡孝太郎が松田には長塚京三が配された。 松田はイタリア大使

                                                                        昭和史の見直し迫る 宮内省御用掛が残す「御進講メモ」
                                                                      • コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz

                                                                        ところがこの間に起きたパニックは、騒ぐ本人が錯乱しているとしか言いようのないほど、無軌道で首尾一貫しないものとなった。たとえば3月末には「政府は緊急事態宣言を出し、国民はどんな権利の制限でも甘受すべき」と叫んだ人が、5月頭には一転して「自粛による経済の萎縮は、政権による人災だ」と罵っている例は、枚挙にいとまがない。 どうしてそんな、殺伐としたカオスが生まれたか。理由は単純だ。日本人が、自分たちを「欧米人」だと思いたがったからである。 もし私たちが、自国をアジア圏の一員として捉えてコロナに対応していれば、少なくとも(文字どおりの非常事態に陥っている)欧米の都市封鎖を真似るという発想にはならなかったろう――死亡率がまるで違うのだから。ところが自らを「欧米と同じ先進国」と見なすがために、「なぜ彼らがやっていることを、われわれもやらない! できないなら世界に通用しない国になる」との強迫観念にとり憑

                                                                          コロナ禍と自粛の100日間は「昭和史の失敗」の再演だった(與那覇 潤) @gendai_biz
                                                                        • 昭和史研究の第一人者が語る「総理大臣の格」

                                                                          コンテンツブロックが有効であることを検知しました。 このサイトを利用するには、コンテンツブロック機能(広告ブロック機能を持つ拡張機能等)を無効にしてページを再読み込みしてください。 ✕

                                                                            昭和史研究の第一人者が語る「総理大臣の格」
                                                                          • 記者の目:皇位継承と憲法施行75年 昭和史の教訓つなぎたい=野口武則(論説室) | 毎日新聞

                                                                            政府が1月に国会へ提出した皇位継承を巡る有識者会議の報告書の一案に、旧宮家の血を引く男系男子を皇族に復帰させる案が初めて盛り込まれた。敗戦から間もない1947年に皇室を離れた11宮家の血を引く男系男子を、養子縁組で皇族に戻すものだ。 旧宮家は伏見宮系の血筋で、今の皇室とつながるには、男系で約600年さかのぼることになる。 その復帰案は、保守系団体・日本会議が唱え、旧皇族の子孫が旗振り役として言論活動を行っている。

                                                                              記者の目:皇位継承と憲法施行75年 昭和史の教訓つなぎたい=野口武則(論説室) | 毎日新聞
                                                                            • 庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由

                                                                              庵野監督はインタビューの際に、監督作で実際の戦争を描くことはないだろうと発言している。そこには戦争を見ていない人間が想像で戦争を描くことに対する、一種誠実な畏れがあるからであろう。戦争がどれほど残酷でひどいものなのか、どのような悲劇を生み出すのか。そういった経験を経ないまま戦争を描くことの危険性は、たしかに理解できるところだ。その意味で、『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』における人間と人間の戦闘は、『激動の昭和史 沖縄決戦』の表現を踏襲しオマージュすることで描き得た、庵野監督ならではの戦争表現だったといえるだろう。 一方、岡本喜八監督は、その身で戦争を体験した人物である。通っていた士官学校で空襲に遭った岡本は一命を取り留めたが、そのとき彼は、学友たちがひどい状態で死んでいく様を目にしている。一人は片手片足を吹き飛ばされながらも、腹からはみ出た内臓を体内に戻そうともが

                                                                                庵野秀明も自身の作品に引用 岡本喜八監督作『激動の昭和史 沖縄決戦』が必見である理由
                                                                              • 弁護士会の読書:児玉誉士夫、巨魁の昭和史

                                                                                著者  有馬 哲夫 、 出版  文春新書 児玉誉士夫と聞くと、戦前は帝国陸軍のスパイの親玉として中国大陸でさんざん悪いことをして巨財を成し、戦後はその巨財をもとに自民党を背後で操っていた薄汚い右翼の黒幕というイメージがあります。果たして、その実体はどうだったのか、興味深く読みすすめました。 児玉の最終学歴は商業学校の夜間部に2年通っていたこと。児玉は1929年、赤尾敏の主宰する国粋主義団体「建国会」に入り、青年部の部長になる。昭和天皇の車に駆け寄って直訴状をつき出し、懲役6ヶ月の刑を宣告されて下獄した。その後、1931年5月には大蔵大臣爆破事件に関わり、懲役4回月の実刑も受けた。その後もクーデター未遂などで刑務所に入っていて、1937年4月に出所してきた。そして、中国大陸に工作員として派遣された。 中国における児玉機関が秘密工作をするときには、三井物産、王子製紙、東洋綿花など、三井財閥系の

                                                                                  弁護士会の読書:児玉誉士夫、巨魁の昭和史
                                                                                • 編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】 - アキバ総研

                                                                                  今年は、ガンプラ(「機動戦士ガンダム」のプラモデル商品)が初めて発売されてから、ちょうど40周年となる。かつて模型誌「ホビージャパン」の編集者としてガンプラの大ブレイクに立会い、別冊「How to build GUNDAM」を編集した柿沼秀樹さん(「機甲創世記モスピーダ」「メガゾーン23」のメカデザイナーとしても有名)に、1980年のガンプラ発売へ至る昭和のプラモデル史を、独自の視点から振り返っていただいた。 ガンプラの遠い祖先、それは「鉄人28号」だった!? ── 柿沼さんと故・加藤智さん(バンダイ模型)との共著「バンダイ キャラクタープラモ年代記」学研/刊によると、日本最初のキャラクタープラモデルは今井科学(イマイ)の「電動・鉄人28号」(1960年発売)だそうですね。 柿沼 当時は実物を縮小したスケールモデルが主流で、キャラクターの商品化権を得てプラモデル化した商品としては、イマイの

                                                                                    編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】 - アキバ総研

                                                                                  新着記事