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細野晴臣の検索結果41 - 50 件 / 50件

  • 《東京語る。》無意識に染み込む「東京」と異国の音楽 音楽家・細野晴臣さん |

    これまで、多岐にわたる音楽を世に出し続けてきた細野晴臣さんは、昨年デビュー50周年を迎えた。そんな細野さんは東京・白金出身。細野さんの人生遍歴を通して、東京のエッセンスは何かを見つける。 注:本記事の取材は、2020年2月17日に行われました。 (聞き手=山本啓太) 異国との接点はラジオ ―細野さんは、終戦間もない1947年に東京・白金にお生まれになったそうですが、幼少期の記憶にある東京の風景はありますか。 僕が生まれたのは病院ではなくて、お産婆さんに取り上げられたんです。そのお産婆さんがいるあたりが長屋になっていて、今も利庵というお蕎麦屋さんが長屋の面影を残しています。 よく「いい所にお住まいですね」と言われますけど、普通の街だったんですよ。商店街があって長屋っぽいものもあって、どこの街とも変わらない普通の街だった。当時は原っぱばっかりでしたね。僕の世代はベビーブームなんで、子供たちがい

      《東京語る。》無意識に染み込む「東京」と異国の音楽 音楽家・細野晴臣さん |
    • 細野晴臣に関するざっくりまとめ - ブンゲイブ・ケイオンガクブ

      今回は、細野晴臣さんの音楽について記事を書きます。 言わずと知れた日本が誇る大音楽家・細野晴臣。最近はナタリーで連載されてる「細野ゼミ」を興味深く読んでます。 natalie.mu 若手を迎えた実にゆる〜い時にゆるすぎるのでは?とさえ思うほどのトークで、ともすれば”細野史観”ともなりかねないはずの話題をゆるーくかわしていくのが実に細野的に感じられて、個人的には大瀧詠一が晩年にラジオでひとりアメリカンポップス史を延々とディープにやっていた話と、何か凄く対照的なように感じられて、良い悪いとかとは全然別の地点で、印象深く感じます。 それで、そんなゆるいインタビューの狭間に見えてくる細野晴臣という人物のイメージのことも踏まえた上で、彼の50年を超えるその音楽キャリアについて、一回このブログなりに整理をしておこうと思って筆を取った次第です。思ったことを極力書き残しておこうと思うので、中には批判的な内

        細野晴臣に関するざっくりまとめ - ブンゲイブ・ケイオンガクブ
      • 細野晴臣『omni Sight Seeing』 昭和〜平成という時代のはざまに、細野晴臣が旅した“音楽の辺境”(1989) - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

        11月3日の「レコードの日」に細野晴臣の旧作がリマスタリング仕様のアナログ盤として一挙に発売される。加えて『omni Sight Seeing』『MEDICINE COMPILATION』の2作品はSACDハイブリッド盤も発売。それを記念して、本稿では『サウンド&レコーディング・マガジン 1989年9月号』に掲載された『omni Sight Seeing』のインタビューを公開する。お楽しみあれ。 目次 細野晴臣インタビュー OMNI SOUND 解読の手引き 細野晴臣本人による曲目解説 エンジニアによるコメント OMNI SOUNDをより楽しむための細野アルバム10選 by鈴木惣一朗 「部分は全体を含んでる」……細野晴臣氏との密談の中で、最近やたら出てくるのがこの言葉。新作『omni Sight Seeing』を聴いて、その意味がやっとわかった気がする。HOSONOの部分部分をオムニバスに

          細野晴臣『omni Sight Seeing』 昭和〜平成という時代のはざまに、細野晴臣が旅した“音楽の辺境”(1989) - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア
        • 私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則

          音楽家の細野晴臣さんと 美術家の横尾忠則さんが出会ったのは 1976年あたりのことでした。 そこからはじまる長いつきあいで、 対談回数はお互い「最多」相手なのだそうです。 はじめて会ったその日に 「いっしょにインドに行こう」という話になり、 ともに病気になり、YMOを結成しようともしました。 濃く薄く、かなったりかなわなかったりの交流を経て、 それぞれの世界で伝説化しているおふたりが いま考えていること、抱腹絶倒の思い出話、 どうぞたっぷりおたのしみください。 横尾 どうもどうも。 細野 ごぶさたしてます。お久しぶりです。 いやぁ、暑いな、今日。 歩いてきたから暑い。 横尾 細野さん、忙しくってさ、あなたが。 細野 そんなことないですよ。 横尾 コンサートじゃなくてリサイタルっていうのかな? もう終わった? 細野 ついこの前までアメリカにいまして、 やっと帰ってきて、時差ボケで、 いまひど

            私と芸術、私の友情。細野晴臣+横尾忠則
          • 村井邦彦×細野晴臣が明かす、YMO海外展開の背景 「物語にして後世に伝えていくのは大事な仕事」

            アルファレコード創立者の村井邦彦と日本経済新聞編集委員の吉田俊宏が共同で執筆した連載小説『モンパルナス1934』が、2023年4月30日に書籍化されることが決定した。 『モンパルナス1934』は国際文化交流プロデューサーとして活躍した川添浩史(紫郎、1913~70)の半生を描いたヒストリカル・フィクションだ。川添は文化人が集ったサロンとして知られるレストラン「キャンティ」(東京・飯倉片町)の創業者でもある。村井と吉田は多くの資料と関係者の証言に基づき、大胆な創作を交えて壮大な物語を書き上げた。 川添がパリのモンパルナスを拠点に活躍し始める1934年から、アヅマカブキ(日本舞踊)の一座を率いて欧米各地を回る中で梶子と出会って恋に落ち、夫婦でキャンティを開業するまでを描いている。さらに川添の没後にアルファからデビューしたイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の世界進出は、川添の薫陶を受けた

              村井邦彦×細野晴臣が明かす、YMO海外展開の背景 「物語にして後世に伝えていくのは大事な仕事」
            • 中村一義 / VIDEOTAPEMUSIC 編 | 細野晴臣プレイリスト企画「僕の細野さん、私の晴臣さん」 第16回

              01. Voo Doo Surfer [作曲:スウィング・スロウ] 02. 洲崎パラダイス [作詞・作曲:細野晴臣] 03. Chow Chow Dog [作詞・作曲:細野晴臣] 04. フジヤマ・ママ [作詞:井田誠一 / 作曲:アール・バロウズ] 05. 蝶々-San [作詞・作曲:細野晴臣] 06. 寝ても覚めてもブギウギ(Vu Ja De ver.) [作詞:宮田純花 / 作曲:細野晴臣] 07. FLYING SAUCER BREAKDOWN [作詞・作曲:細野晴臣] 08. “Sayonara",The Japanese Farewell Song [作詞:フレディ・モーガン / 作曲:Hasegawa Yoshida] 09. 熱帯夜 [作詞・作曲:細野晴臣] 10. KORENDOR [作曲:細野晴臣] 解説コメントもし熱帯夜にノイズまみれのラジオから流れて来たら最高だなと

                中村一義 / VIDEOTAPEMUSIC 編 | 細野晴臣プレイリスト企画「僕の細野さん、私の晴臣さん」 第16回
              • “細野晴臣は過去半世紀の日本のポピュラー音楽において大きな役割を果たしていることに気づいた”Light In The Atticの再発プロデューサーに訊く | TURN

                “細野晴臣は過去半世紀の日本のポピュラー音楽において 大きな役割を果たしていることに気づいた” Light In The Atticの再発プロデューサーに訊く 『Even A Tree Can Shed Tears』、『Kankyō Ongaku』、『Pacific Breeze』という日本のアーカイヴ音源を集めた3種類のコンピレーション・アルバムが半年ほど前から話題になっていることを多くの方が気づいていることだろう。それらをリイシューしているのが、アメリカはワシントン州シアトルに拠点を置くレーベルで、同所にレコード・ショップも持つLight In The Attic(LITA)。もう15年以上の活動歴を誇るインディーズで、元祖ラップ・グループとも言われるザ・ラスト・ポエッツのリイシューをきっかけに、これまでに地域、時代、ジャンルを横断した様々なカタログを独自にリリースしてきている。フラン

                  “細野晴臣は過去半世紀の日本のポピュラー音楽において大きな役割を果たしていることに気づいた”Light In The Atticの再発プロデューサーに訊く | TURN
                • 「ファッションも音楽の一部である」観客に見えない靴にもこだわる高橋幸宏が持っていた、細野晴臣と坂本龍一にはない“天性の感覚” | 文春オンライン

                  『HOSONO HOUSE』が発表されたころ、共にYMOを結成することになる高橋幸宏もまた『サディスティック・ミカ・バンド』で本格的にバンド・デビューを飾っていた。坂本龍一も学生運動と決別し……。YMOで一世を風靡する直前、若き3人の軌跡を『細野晴臣と彼らの時代』の著者が描く。(全3回の2回目/#1、#3を読む) ◆◆◆ 細野晴臣と高橋幸宏。出会いは軽井沢・三笠ホテルのダンス・パーティーだった 1973年5月5日に発表されたデビュー盤『サディスティック・ミカ・バンド』は、ロンドンでT・レックスやデヴィッド・ボウイに感化された加藤和彦のグラム・ロック志向を色濃く反映し、また高橋幸宏が作曲した「恋のミルキー・ウェイ」においては、日本でいち早くレゲエのリズムを取り入れた。 日本ではまだ珍しかったレゲエについて、同じ1947年生まれの加藤と細野晴臣が当時の対談で話している。「いまレギをやりたくてネ

                    「ファッションも音楽の一部である」観客に見えない靴にもこだわる高橋幸宏が持っていた、細野晴臣と坂本龍一にはない“天性の感覚” | 文春オンライン
                  • Mac DeMarco meets his idol Haruomi Hosono

                    The laid back soft rocker invites the legendary Japanese musician into the backyard of his Los Angeles house24June 2019 Since he moved to Los Angeles, Mac DeMarco has had plenty of musicians over to visit the home studio in his backyard. Today’s guest, however, is a special one. Haruomi Hosono has arrived, trailed by a Japanese film crew, who are shooting a documentary about the legendary musician

                      Mac DeMarco meets his idol Haruomi Hosono
                    • 世界で一番好きな(のかもしれない)音楽⑤/細野晴臣 Omni sight seeing|marr

                      このアルバムをいつ買ったのはあまり覚えていない。2000年にレコードコレクターズの細野晴臣特集を読んで気になっていたはずだから、2000年か2001年辺りだったと思う。当時、クラブでテクノやハウス、その他のクラブミュージックはクラブに行って触れていたので、「Laugh Gas」がアシッドハウスと言われてもどうもピンと来なかった覚えがある。いわゆる踊る音楽とは違っていたし、ライなどのワールドミュージックも既に時代を感じさせるようなもので、かつてあったものという印象の方が強い。当時のエレクトロニカの耳で聴くには、毛色が違いすぎたし、それだったら「フィルハーモニー」に収録されていた「エアコン」のような曲を聴いた時の方がインパクトがあった(まるでオウテカのガンツグラフじゃないか!)。 それでも「Omni sight seeing」を聴き続けたのは、冒頭の「Esashi」と「Pleocene」があっ

                        世界で一番好きな(のかもしれない)音楽⑤/細野晴臣 Omni sight seeing|marr