簡素な竪穴住居が一般的だった時代、高床式建物が並ぶ“都市”-奈良県・纏向(まきむく)遺跡から推測された景観です。ところがこの遺跡、近畿にあって同地域の他の遺跡と異なり、むしろ日本の他の地方との共通性が数多く発見されました。纏向は、九州から関東の人々が集住した古代都市だったのか-。 邪馬台国の時代、強大な力を誇ったと伝えられる別の国があります。それは九州・伊都国。この国の都跡と推定された遺跡は、埋葬法や運河の工法が3世紀の纒向遺跡とソックリ。特に目を引くのは40面もの鏡が発見された“王の墓”、しかも伊都国の王は女性だった?