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史記の検索結果1 - 21 件 / 21件

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史記に関するエントリは21件あります。 歴史中国社会 などが関連タグです。 人気エントリには 『息子が2元(約40円)貸してと言うので理由を聞いたら、マンション内で少年がお店を開いていて買い物がしたいと。警戒しつつ話を聞いたら凄く楽しそうな世界だった「さすが史記の国…」「司馬家の末裔か…?」』などがあります。
  • 息子が2元(約40円)貸してと言うので理由を聞いたら、マンション内で少年がお店を開いていて買い物がしたいと。警戒しつつ話を聞いたら凄く楽しそうな世界だった「さすが史記の国…」「司馬家の末裔か…?」

    Hayakawa Ayako @AyakoHayakawa 昨日マンションの公園で男子VS女子の大戦争が起こり、前にも男子女子の戦いがあったのかその歴史書を見たいという。その子は歴史書の他にも誰かが拾って、皆の間で流行りまたいつの間にか遊ばれなくなった物(バイクのミラー、変な形の枝、壊れたおもちゃなど)を記念品として売っているんだそう。 2022-06-01 10:01:46 Hayakawa Ayako @AyakoHayakawa 「这是大大小小的孩子们玩儿的东西。虽然很小,但里面装满了孩子们的快乐的记忆」記念品にはこんなカードが添えてある。大人に見つかると怒られるので人が少ない所にひっそり現れるそう。木を削っておもちゃを作り小さい子にあげたり。このマンションにそんな素敵な子が居たなんて!詩人じゃ無いか‼︎ 2022-06-01 10:01:46

      息子が2元(約40円)貸してと言うので理由を聞いたら、マンション内で少年がお店を開いていて買い物がしたいと。警戒しつつ話を聞いたら凄く楽しそうな世界だった「さすが史記の国…」「司馬家の末裔か…?」
    • 『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」

      Executive Summary 司馬遷『史記』に登場する焚書坑儒は、儒者どもが体制批判したせいだとされるが、実は穴に埋められた儒者たちにもそうされる十分な原因があったのかもしれない。かつて儒者を厚遇していた始皇帝だが、封禅の儀式のやりかたに結論を出せず、しかも後から揚げ足をとって悪口を述べた儒者の役立たずぶりに呆れた可能性がある。 これは二千年以上の時をこえた現代であっても、儒者=知識人の役割について何かしらの示唆を与えるものかもしれない。いやあ、古典って本当にすばらしいですね。 落合『殷』を読んでちょっと興味が向いて『史記』を実際に読み始めておるですよ。 史記 全8巻セット (ちくま学芸文庫) 作者:司馬 遷筑摩書房Amazon 一応歴史記録で話は淡々と進むし、本紀ではなぜか各種エピソードが何度か繰り返されて、続きを読んでいるつもりが話が戻っていたりして面食らうし、おもしろいからみん

        『史記』に学ぶべき知識人の役割とは - 山形浩生の「経済のトリセツ」
      • まめ@史記人物大好きクリエイター on Twitter: "キングダムが流行しているのに、ネット上で、始皇帝についての記事が充実せず、史実の始皇帝たちの話題も特には活発ではありません。 匿名掲示板で歴史マニアが語る「ゲームや漫画のヒットでマイナーな時代を流行らせる」ことが絵空事であるのが… https://t.co/y9gy5vCXrY"

        キングダムが流行しているのに、ネット上で、始皇帝についての記事が充実せず、史実の始皇帝たちの話題も特には活発ではありません。 匿名掲示板で歴史マニアが語る「ゲームや漫画のヒットでマイナーな時代を流行らせる」ことが絵空事であるのが… https://t.co/y9gy5vCXrY

          まめ@史記人物大好きクリエイター on Twitter: "キングダムが流行しているのに、ネット上で、始皇帝についての記事が充実せず、史実の始皇帝たちの話題も特には活発ではありません。 匿名掲示板で歴史マニアが語る「ゲームや漫画のヒットでマイナーな時代を流行らせる」ことが絵空事であるのが… https://t.co/y9gy5vCXrY"
        • チンコ切られた司馬遷が書いた史記を熱心に読んでて、去勢を知識として知ってたにもかかわらず、自国の文化として一切受け入れてない話

          剣kenn @hskenncutter 近代以前の日本にはチンコを切る文化がなかった。割礼も去勢も行われていないから、男は包茎だらけで、宦官もカストラートもおらず、馬も気性が荒かった。チンコ切られた司馬遷が書いた史記を熱心に読んでて、去勢を知識として知ってたにもかかわらず、自国の文化として一切受け入れてない。 剣kenn @hskenncutter 去勢は家畜の生産管理と密接に結びついているが、大規模な牧畜をやらないなら去勢の必要性はかなり薄まってしまう。日本は田んぼでの米作りへリソースを全振りした社会なので、去勢文化が入り込む余地はなかったかもしれない。 剣kenn @hskenncutter 近代以後、家畜を去勢する文化がやっとこさ根付き始めるが、人間のチンコを切る文化は「高須クリニック」の登場を待たなくてはならなかった。割礼に見られる宗教的な感情とは無縁で、単に女にモテたいという動機

            チンコ切られた司馬遷が書いた史記を熱心に読んでて、去勢を知識として知ってたにもかかわらず、自国の文化として一切受け入れてない話
          • Kan Kimura on Twitter: "そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日本書紀も史記も無価値になるからね。"

            そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日本書紀も史記も無価値になるからね。

              Kan Kimura on Twitter: "そもそも歴史史料というのは、そこに記述されている内容のどこの部分に信ぴょう性があって、どこの部分が創作なのかを判断していく「出発点」みたいなものなんだよなぁ。「明らかにナンセンスな記述」があるから無価値なら、古事記も日本書紀も史記も無価値になるからね。"
            • 【司馬遷 史記より】秦 始皇帝 徐福 不老不死 神薬探しの伝承【原文とあらすじ】 - ものづくりとことだまの国

              コロナ騒動で週末は出控え、ブログネタにやや困りつつダイエットは難しい(笑)ので、断捨離を始めた。 私は押入れ当番で、奥の段ボール箱から、亡くなった父親の遺品の古書がでてきた。 約三十年前に残された大量の本はほとんど古本屋さんでサバいたが、ほんの少しだけ残していた。 百五十家 評註史記 二巻十冊 上海文瑞樓印行 今どきは便利で、スマホで早速調べると、完本セットで3万円ほどの値が付いていた(ラッキー!) 史記 (古代中国)前漢・武帝の時代に司馬遷(しばせん)が編纂した中国の歴史書、第一の正史で、日本だと古事記か日本書記に相当する。 司馬遷の、偏りのない客観的な視点をリスペクトし、ペンネームとしたのが司馬遼太郎さん(本名・福田定一)。 司馬遷は紀元前100年前後に生きた人で、あまりに古い時代の人で、約50年の人生の中で、いつ史記を書き始めて、書き終えたのか、わからない点も多いが、 中国の神代・三

                【司馬遷 史記より】秦 始皇帝 徐福 不老不死 神薬探しの伝承【原文とあらすじ】 - ものづくりとことだまの国
              • 大学入学後の中退や留年の実情を、高校側はぜんぜん知らない | 倉部史記のブログ

                突然ですがこの数字、何だかわかりますか? 千葉大学 教育学部:89.0% 法政大学 経済学部:79.5% 千葉大学 医学部:79.3% 東京理科大学 理工学部:78.2% 千葉大学 理学部:77.7% 筑波大学 社会・国際学群:75.4% 青山学院大学 経済学部:71.9% 日本大学 薬学部:66.2% 慶應義塾大学 総合政策学部:63.1% 聖徳大学 人間栄養学部:63.0% 上智大学 国際教養学部:58.4% 国際教養大学 国際教養学部:58.2% 東京大学 文学部:56.0% 宇都宮大学 国際学部:50.5% 城西国際大学 薬学部:38.3% 日本大学 松戸歯学部:36.8% 東京外国語大学 国際社会学部:27.1% これらは大学入学者のうち、4年後に卒業した学生の比率です(医・歯・薬学部は6年後)。「標準年限卒業率」なんて言い方をすることもありますね。出典は読売新聞教育ネットワーク

                  大学入学後の中退や留年の実情を、高校側はぜんぜん知らない | 倉部史記のブログ
                • 史記が語る!司馬遷の抑えきれない[激情の核心]

                  史書といえば『史記』。その『史記』を編纂したのは前漢の人・司馬遷(しばせん)でした。神話時代から前漢武帝の時代までの歴史を生き生きとした文体で描き出した司馬遷。実はその躍動感あふれる『史記』の文章には、司馬遷の激情が託されているのです。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。 コンテンツ制作責任者 おとぼけ(田畑 雄貴) PC関連プロダクトデザイン企業のE

                    史記が語る!司馬遷の抑えきれない[激情の核心]
                  • 徐福とはどんな人?徐福伝説や史記に記された徐福と日本のつながりを探る!

                    皆さまは徐福(じょふく)、と言う人物をご存じでしょうか?遥か昔、秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の命を受けて不老不死(ふろうふし)の妙薬を探しに出たとされる人物で、永らくこの徐福と言う人物は「不老不死」という題目と並べ、語られてきました。創作などでも幾度か言及されていましたが、とあるゲームでこの徐福が出演したことをきっかけに、多くの人がこの徐福に関心を示すようになったと思います。 そこで今回はこの徐福が日本とどのようなつながりを持っていたのか、伝説、末裔について、更には史記を含めて三国志とのちょっとした繋がりも解説したいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催する

                      徐福とはどんな人?徐福伝説や史記に記された徐福と日本のつながりを探る!
                    • 史記は司馬遷と父の合作だった![ホリエモンも愛読していたらしい史記はどうして編まれた?]

                      『史記(しき)』は前漢(ぜんかん)(前202年~後8年)の歴史家である司馬遷(しばせん)が執筆した歴史書であり、本当の名称は『太史公書』と言いますが『史記』が有名なのでこの記事では『史記』で通します。 今では発掘史料を重視していますが、戦後間もないころの日本では中国との国交が回復されていなかったので、古代史の分野では『史記』を一級史料として使用していました。『史記』にはどんな特徴があるのでしょうか?今回は『史記』の特徴に関して解説します。 ※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に

                        史記は司馬遷と父の合作だった![ホリエモンも愛読していたらしい史記はどうして編まれた?]
                      • 史記には解説書が3つ!?三家注の知られざる[真実]

                        陳寿(ちんじゅ)が著した『三国志』の内容は簡潔というかあまりにも簡素ですから、陳寿の記した文字だけを追って三国時代を理解するのは現代の私たちにとっては難しいものです。そんな私たちを助けてくれるのが東晋時代に裴松之(はいしょうし)が付した『三国志』の注。 この注が『三国志』だけではなく、『史記』や『漢書』、そして『後漢書』にも後世の学者によって付けられています。その中でも特筆すべきは、『史記』には3種類の注が付けられているということです。この『史記』に付された3種類の注は総称して「三家注(さんかちゅう)」と呼ばれています。今回は、この『史記』三家注とは何なのかを簡単に解説していきたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万

                          史記には解説書が3つ!?三家注の知られざる[真実]
                        • 【源氏物語253 第十帖 賢木65】宴で、源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

                          🪷🎼二胡のための小品〜オリエンタリズム written by 小林 樹 🪷 それもがと 今朝《けさ》開けたる初花に 劣らぬ君が にほひをぞ見る と乾杯の辞を述べた。 源氏は微笑をしながら杯を取った。 「時ならで 今朝咲く花は 夏の雨に 萎《しを》れにけらし 匂《にほ》ふほどなく すっかり衰えてしまったのに」 あとはもう酔ってしまったふうをして 源氏が飲もうとしない酒を 中将は許すまいとしてしいていた。 席上でできた詩歌の数は多かったが、 こんな時のまじめでない態度の作を たくさん列《つら》ねておくことの むだであることを貫之《つらゆき》も 警告しているのであるから ここには書かないでおく。 歌も詩も源氏の君を讃美したものが多かった。 源氏自身もよい気持ちになって、 「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。 その文章の続きは成王の伯父《おじ》というのであるが、 これは源氏が

                            【源氏物語253 第十帖 賢木65】宴で、源氏自身もよい気持ちになって、「文王の子武王の弟」と史記の周公伝の一節を口にした。 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
                          • [史記]の始まりを探る!三皇本紀vs五帝本紀

                            中国の歴史を学ぶ上で必読ともいえるのが司馬遷(しばせん)の『史記(しき)』です。正統な歴史書である「正史」の筆頭を飾る『史記』は、神話の時代ともいえる頃から司馬遷が生きた時代までを描く超大作。しかし、そのはじまりは版本によって「三皇本紀(さんこうほんき)」だったり「五帝本紀(ごていほんき)」だったりとまちまちになっているのです。これはなぜなのか? 『史記』の本当のはじまりは「三皇本紀」なのか?それとも「五帝本紀」なのか?その謎に迫っていきたいと思います。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうる

                              [史記]の始まりを探る!三皇本紀vs五帝本紀
                            • [史記]あらすじ解説!中国最初の正史・本紀の謎

                              『史記(しき)』は前漢(ぜんかん)(前202年~後8年)の司馬遷(しばせん)が執筆した歴史書です。『史記』は後世の呼び名であり、最初の書名は『太史公書(たいしこうしょ)』。中身は「本紀」・「表」・「書」・「世家(せいか)」・「列伝」で構成されています。 この形式は「紀伝体(きでんたい)」と呼ばれ、後の歴史書にも使われました。そもそも『史記』とは何か?『史記』について語ると長くなるので、筆者は分けて語ろうと考えています。 今回は史記の構成の1つ「本紀」について解説します。 ※記事中の歴史上の人物のセリフは、現代の人に分かりやすく翻訳しています。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会

                                [史記]あらすじ解説!中国最初の正史・本紀の謎
                              • よきナンバー2に不要なもの 史記にみる成功者の条件 | NIKKEIリスキリング

                                中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(81)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「多くを偽った役人の不幸 史記が語る『酷吏』の一生」) 国も組織も、ナンバー1の運命はナンバー2によって変わることが多いようです。ナンバー2はイエスマンであってはならず、国のため組織のために最善の方策を持っていなければなりません。そして、ナンバー2は、決してナンバー1から好かれていると信じてはいけないのです。そのことを心得てあざやかに身を引いた人物が史記に登場します。今回は中国

                                  よきナンバー2に不要なもの 史記にみる成功者の条件 | NIKKEIリスキリング
                                • 誇らず・ほめられず・過たず 史記が称賛した役人たち | NIKKEIリスキリング

                                  中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(81)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「名医がみせた人の生かし方 史記に残る『不治』の教え」) 官僚や公務員ら「役人」と呼ばれる職、古めかしく書けば「吏(り)」ですが、読者はどんなイメージをお持ちでしょうか。堅実で頼れるというプラス評価もあれば、権限を悪用するなどマイナスの印象もあると思います。司馬遷も史記に「循吏(じゅんり、法や道理に従う役人)」と「酷吏(こくり、厳格で冷酷な役人)」のそれぞれに列伝を用意しました

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                                  • 「龍帥の翼」で劉邦と項羽の”ディベート”が描かれる(史記より)/「言葉戦さ」という概念を思い出す - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                                    漢楚の戦い―というより、日本では圧倒的に「項羽と劉邦」といったほうが通りがいいよね。それを描く川原正敏の「龍帥の翼」が佳境に入っています。 川原作品であるから、期待されて無理に織り込まれたのか、それとも作者が積極的にそうしたのか…架空設定の「個人戦闘では項羽級の武芸者」というキャラの存在が、巧く生きているか、それとも邪魔になっているかは好み次第という感じでしょうか。 かなり、歴史好きの血が騒いだのか、文献上の記録に沿って描いているので、いっそそっちに振り切っても良かったのでは?とも思うが、逆にそれだとただの絵ときになり、誰が描いても同じ話に成りかねない。むつかしいところですな。 それはともかく、今は元の古典が面白いのか、この作品が面白いのかを 論じる必要もなく、純粋に面白いところ。 龍帥の翼より 項羽と劉邦が言葉で罵倒し合う龍帥の翼より 項羽と劉邦が言葉で罵倒し合う月刊少年マガジン2022

                                      「龍帥の翼」で劉邦と項羽の”ディベート”が描かれる(史記より)/「言葉戦さ」という概念を思い出す - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                                    • 一芸の天才は怖くて甘い 史記が描いた英雄・項羽 | NIKKEIリスキリング

                                      中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(80)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「仕事ができる男も不遇に 史記を読めば孤独も癒える」) ひなげしの花が美しい季節になりました。別名は虞美人草(グビジンソウ)です。今回はこの名の由来である虞姫(ぐき)が登場する「項羽(こうう)本紀」にふれながら、英雄と呼ばれる人物の資質について考えたいと思います。 才の人と徳の人世の中には才の人と徳の人があるようです。没落貴族から「覇王」を名乗る事実上の帝王にのし上がった項羽(

                                        一芸の天才は怖くて甘い 史記が描いた英雄・項羽 | NIKKEIリスキリング
                                      • 中沢けい on Twitter: "馬鹿の語源はいろいろ説があるが、史記の「指鹿為馬」の故事はけっこう有名。『史記・秦始皇本紀』にある話。秦の2世皇帝胡亥の頃の話。紀元前210年~207年在位。紀元前の秦の宮廷で起きたのと同じことが21世紀の日本の官邸で起きているの… https://t.co/HuRRwnOwqE"

                                        馬鹿の語源はいろいろ説があるが、史記の「指鹿為馬」の故事はけっこう有名。『史記・秦始皇本紀』にある話。秦の2世皇帝胡亥の頃の話。紀元前210年~207年在位。紀元前の秦の宮廷で起きたのと同じことが21世紀の日本の官邸で起きているの… https://t.co/HuRRwnOwqE

                                          中沢けい on Twitter: "馬鹿の語源はいろいろ説があるが、史記の「指鹿為馬」の故事はけっこう有名。『史記・秦始皇本紀』にある話。秦の2世皇帝胡亥の頃の話。紀元前210年~207年在位。紀元前の秦の宮廷で起きたのと同じことが21世紀の日本の官邸で起きているの… https://t.co/HuRRwnOwqE"
                                        • 仕事ができる男も不遇に 史記を読めば孤独も癒える | NIKKEIリスキリング

                                          中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(80)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「『運命』に是も非もない? 史記にみる自由のすすめ」) もうすぐ5月5日、端午の節句です。この日は日本でも粽(ちまき)を食べる習慣がありますが、その由来になった人物がいます。中国・戦国時代(紀元前403年~同221年)の末期、楚(そ)の国の有力な政治家であり、詩人でもあった屈原(くつげん)です。中国では旧暦5月5日が彼の命日とされています。 屈原は汨羅(べきら)という川に身を投

                                            仕事ができる男も不遇に 史記を読めば孤独も癒える | NIKKEIリスキリング
                                          • 見込んだ人に託すなら 史記の刺客・荊軻、失敗の理由 | NIKKEIリスキリング

                                            見込んだ人に託すなら 史記の刺客・荊軻、失敗の理由司馬遷「史記」研究家・書家 吉岡和夫さん2020 / 11 / 22 中国・前漢時代の歴史家、司馬遷(紀元前145年ごろ~同86年ごろ)が書き残した「史記」は、皇帝から庶民まで多様な人物による処世のエピソードに満ちています。銀行マン時代にその魅力にとりつかれ、130巻、総字数52万を超す原文を毛筆で繰り返し書き写してきた書家、吉岡和夫さん(81)は、史記を「人間学の宝庫」と呼びます。定年退職後も長く研究を続けてきた吉岡さんに、現代に通じるエピソードをひもといてもらいます。(前回の記事は「生きる目的と目標、どう違う 後世を思った史記の刺客」) 易水(えきすい)にねぶか流るる寒さかな 江戸期の俳人、与謝蕪村(1716~84)の句です。ねぶかはネギ、冬の季語です。この名句は、「史記」に登場する刺客、荊軻(けいか)が易水という川のほとりで見送られる

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