並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 6 件 / 6件

新着順 人気順

和泉式部の検索結果1 - 6 件 / 6件

タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。

和泉式部に関するエントリは6件あります。 人気エントリには 『【結社(貴船神社中宮)】 良縁結ぶ古社【もの思ふ和泉式部の歌】 - ものづくりとことだまの国』などがあります。
  • 【結社(貴船神社中宮)】 良縁結ぶ古社【もの思ふ和泉式部の歌】 - ものづくりとことだまの国

    はじめに 貴船神社の本宮と奥宮の中間あたり、両社を結ぶように鎮座する中宮・結社(ゆいのやしろ)。哀しい姉神・磐長姫を祭ります。境内に夫婦仲に悩む和泉式部の歌碑 目次 結社 貴船神社 中宮 結社境内 和泉式部 歌碑 和泉式部がもの思ふ 思ひ川 和泉式部の蛍の歌 蛍石 本文 結社 貴船神社 中宮 貴船神社本宮から徒歩5分、奥宮までの途中に結社(ゆいのやしろ、中宮)が鎮座します。 御祭神:磐長姫命(いわながひめ) 結社(ゆいのやしろ)貴船神社中宮 神武天皇の曽祖父にあたられる瓊々杵命(ににぎのみこと)が、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を娶らんとする時、父の大山祇命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命も共におすすめしたが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ「吾ここに留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。古くより縁結びの神、「

      【結社(貴船神社中宮)】 良縁結ぶ古社【もの思ふ和泉式部の歌】 - ものづくりとことだまの国
    • 🌹和泉式部(56番) あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

      🌹和泉式部(56番)後拾遺集 恋・763 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな 〜私はもうすぐ死んでしまうことでしょう。 私のあの世への思い出になるように、 せめてもう一度なりとも あなたにお会いしたいのです。 🌹 和泉式部 🌹 いずみしきぶ (生没年不明) 和泉式部は、当時の女流歌人である、 紫式部、赤染衛門、伊勢大輔、馬内侍らと共に、 和歌に優れた五歌仙の一人にあげられています。 和泉式部は敦道親王との恋をつづった 「和泉式部日記」で有名です。 この和歌もせつない恋心を見事に詠っています。 和泉式部殿‥めちゃめちゃもてた女人 親王お二人との恋愛‥それもご兄弟💦 かなりの暴走ぶりだけれども それが素晴らしい歌につながったのかもしれません🌸 和泉式部日記【電子書籍】[ いがらしゆみこ ] 価格: 440 円楽天で詳細を見る ワイド版 マンガ日本の古

        🌹和泉式部(56番) あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
      • 「あらざらむ この世の外の 思ひ出に」 和泉式部 表現力で他の歌人たちと一線を画する - 安心感の研究 by 暖淡堂

        百人一首第56番目の歌の作者は和泉式部いづみしきぶ。 恋歌を多く書き残した女流歌人です。 今回は和泉式部について紹介します。 和泉式部とは 生年が978年頃、没年は不詳です。 恋愛を多く経験した女性で、初め橘道貞と結婚し小式部内侍を産みます。 小式部内侍は百人一首60番目の歌の作者ですね。 その後、冷泉天皇の皇子、為尊親王と、さらには敦道親王とも恋愛関係になったようです。 恋多き女性でした。 ちなみに「和泉式部日記」は敦道親王との恋愛を綴ったもの。 二人の親王とはいずれも死別しています。 二人の親王との死別後、藤原保昌と再婚。 この再婚までは、正式には橘道貞とは婚姻関係にあったともみられています。 再婚後は藤原保昌の任地、丹後で暮らしていたようです。 時代背景 晩年の和泉式部は京都に戻り、阿弥陀如来に帰依して出家します。 戒名は専意法尼。 藤原道長が建立した東北院誠心院の初代住職となります

          「あらざらむ この世の外の 思ひ出に」 和泉式部 表現力で他の歌人たちと一線を画する - 安心感の研究 by 暖淡堂
        • 和泉式部  恋愛歌人 そのバラ色の生涯 - 京都案内  こうへいブログ

          誰もが振り返る美貌 平安時代、王朝の三才女と呼ばれたのが、清少納言と紫式部、そして和泉式部です。 この三人の女流作家は、ともに、一条天皇の中宮のもとに女房として出仕していました。 まず最初に、中宮・定子に仕えたのが清少納言で、その後に中宮となった彰子(しょうし)には、紫式部と和泉式部が順に仕えています。 定子サロンに変わり、新たにできた彰子サロンでは、紫式部と和泉式部の二人は才名の存在であり、絶妙な文の書き手としての才能を発揮していました。 そして恋愛歌人と言われた和泉式部のほうは、和歌の天才でもあり、町を歩けば誰もが振り返るほどの美貌に恵まれていたのです。 そんな彼女は、やはり、その時代の最高権力者であった藤原道長から「浮かれ女」と揶揄されるほどの激しい情熱と華の持ち主でもあり、男から男へと、業の深い恋愛を遊行したといいます。 和泉式部が最初の結婚をしたのは、彰子に仕えるずっとずっと前の

            和泉式部  恋愛歌人 そのバラ色の生涯 - 京都案内  こうへいブログ  
          • 貴船神社  和泉式部も訪れた ホタルが飛ぶ川のほとり - 京都案内 小さな丘の上から

            神が乗ってきた貴船 貴船川の右岸に建つ貴船神社は、1300年前の建て替えの記録が残っているという古い歴史を持ちます。 そして貴船の神は、賀茂川をさかのぼってこの場所にきたという伝承があるんですね。 今は貴船と書きますが、神が乗ってきた「黄色い船」、あるいは「木の船」の名を取ったもので、貴船神社の奥宮にある船形石の中にその船は閉じ込められていると伝わります。 貴船に船でやって来た神は、下上賀茂神社の創建とも深い関係のある玉依姫(タマヨリヒメ)です。 玉依姫がここを訪れたときに、山の神を祀るほこらを建てたことが貴船神社のおこりとなります。 御祭神は、この玉依姫と高龗神(タカオカミノカミ)、闇龗神(クラオカノカミ)、罔象女神(ミツハノメノカミ)。 主神は、やはり農耕に最も必要な水を司る神として尊崇された高龗神ではないでしょうか。 女流歌人 和泉式部の悲しみ 貴船神社の奥宮までの参道の途中に、夫婦

              貴船神社  和泉式部も訪れた ホタルが飛ぶ川のほとり - 京都案内 小さな丘の上から
            • 「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女 - 安心感の研究 by 暖淡堂

              百人一首第60番目の歌の作者は小式部内侍こしきぶのないし。 和泉式部と橘道貞との間に生まれた娘です。 今回は小式部内侍について紹介します。 小式部内侍とは 生年が999年、没年は1025年。 とても若くして亡くなりました。 小式部内侍も一条天皇中宮彰子に仕えていた人。 一条天皇中宮彰子の周りには才能を持った人が多く集まっていたのですね。 この歌は、都で行われた歌合に小式部内侍が歌人として選ばれたときの出来事にまつわるもののようです。 百人一首に歌が選ばれている藤原定頼が小式部内侍のところに来て、「お母さん(和泉式部)からの手紙は届きましたか、歌合で披露する歌は書かれていましたか」と聞いたそうです。 つまり、まだ若い小式部内侍は、母である和泉式部の書いた作品を自らのものとして披露しているのだろう、と邪推した訳ですね。 それに対して、すかさずこの歌を返して、自分の才能を認めさせた訳です。 小式

                「大江山 いく野の道の 遠ければ」 小式部内侍 和泉式部の娘で、早世した才女 - 安心感の研究 by 暖淡堂
              1

              新着記事