並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

1 - 40 件 / 54件

新着順 人気順

希哲の検索結果1 - 40 件 / 54件

希哲に関するエントリは54件あります。 哲学思想科学 などが関連タグです。 人気エントリには 『統計学を哲学する « 名古屋大学出版会』などがあります。
  • 統計学を哲学する « 名古屋大学出版会

    目 次 序 章 統計学を哲学する? 1 本書のねらい 2 本書の構成 第1章 現代統計学のパラダイム 1 記述統計 1-1 統計量 1-2 「思考の経済」としての記述統計 1-3 経験主義、実証主義と帰納の問題 2 推測統計 2-1 確率モデル 2-2 確率変数と確率分布 2-3 統計モデル 2-4 推測統計の世界観と「確率種」 第2章 ベイズ統計 1 ベイズ統計の意味論 2 ベイズ推定 2-1 仮説の確証と反証 2-2 パラメータ推定 2-3 予測 3 ベイズ統計の哲学的側面 3-1 帰納論理としてのベイズ統計 3-2 内在主義的認識論としてのベイズ統計 3-3 ベイズ主義の認識論的問題 3-4 小括:ベイズ統計の認識論的含意 第3章 古典統計 1 頻度主義の意味論 2 検定の考え方 2-1 蓋然的仮説の反証 2-2 仮説検定の考え方 2-3 検定の構成 2-4 サンプルサイズ 3 古典

    • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌

      大雑把に言えば、タイトルの問いに「必要ない」と答える論文が出た。 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 読んでみたら面白かったので、自分用のメモも兼ねて概略をまとめておいた。感想なども書きたいのだけど概要だけでだいぶ長くなったのでその辺はまたの機会にしたい。とはいえいくつかのことは注に書いておいた。 要注意事項 以下では同論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。 以下に出てくる鉤括弧は、そのあとにページ番号が付されている場合には同論文からの引用である(翻訳は植村による)。それ以外の鉤括弧は読みやすさのために植村がつけたものだ。 この要約は、箇所によっては原文をかなりパラフレーズするかたちで作られてい

        現代哲学の研究に哲学史は必要なのか - 研究日誌
      • 「反お笑い」の哲学史(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

        笑いを否定する哲学論の歴史 「笑う」ことは心身のリラックスやストレスに効果があることが科学的に証明されており、健康的にも笑うことが推奨されています。 一方で「どんな理由で笑うか」は結構センシティブな話題で、人種やジェンダー、宗教、特殊な身体的特徴をあげつらって笑ったことで、毎日どこかで誰かが炎上しています。笑うという行為は、いかなる理由があってもしてはいけない、という極端な主張がなされた時代もありました。 今回は歴代の「笑い」に反対する哲学者の主張を時代を追ってみていきたいと思います。 1. 反お笑いの元祖プラトン 古代ギリシア人は大変お笑い好きな人たちでした。 喜劇役者、道化師、コメディアン、伴食者など笑いを専門にする職業も多彩にあったそうです。特に人々が好んだのが劇場で見る喜劇。著名な喜劇詩人、エウリポスやクセルナルコス、アリストファネス、息子のニコストラトスの作品は現代でもいくつも残

          「反お笑い」の哲学史(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
        • 大塚淳『統計学を哲学する』について - mercbeinpのブログ

          この記事は、大塚淳『統計学を哲学する』(2020年、名古屋大学出版会)についての記事である。特に、哲学の観点から、本書における認識論への言及について論じる。 先に自己紹介をしておこう。私は数年前に大学院の修士課程を修了し、それ以降は特に哲学とは関係のない仕事をしている。大学では、学部・院を通して分析的認識論を勉強・研究していた。伝統的・非形式的な認識論のほうが詳しいと思っているが、形式認識論(特に確率を用いるベイズ認識論)についても関心を持っていて、博士課程に進んでいたらベイズ認識論を中心にした研究を行おうとも思っていた。数年前の記事になるが、私がどのようなトピックを学んでいたかは、現代の分析的認識論を紹介したこのブログ記事を読むとより把握できると思う。 踏まえて、以下の文章は主に哲学の視点からみたものになり、記述の大半は哲学的認識論に割かれている。帰納推論や因果推論などのトピックについて

            大塚淳『統計学を哲学する』について - mercbeinpのブログ
          • 定義ってなんだろう (1) 定義の分類と注意 | 江口某の不如意研究室

            辞書的定義というのは、人びとがその言葉をどう使っているかを国語辞典の乗ってるような形で説明することです。たとえば「男性」の定義はコトバンク(大辞泉)ではこんな感じですね。基本的には「おとこ」なんですが、成年の男子」が基本だそうです。 まあそういう多義的な語があるので定義が必要になる場合もあるわけです。っていうかけっこう重要。 ところで、この「男性」の場合は男性ってなんだっていったら「おとこ」だとか「男子」だとかで、さらに「おとこ」ってなんだって辞書ひくと男子だとか男性だとか出てきてしまって循環してしまってます。「男子」か「男性」か「おとこ」かどれかの言葉を知らないとけっきょくそれがなんのかわからない。まあこれは「男性」だとか「おとこ」だとかっていうののどれかはわかってることを前提に辞書っていうのがつくられているからですね。 辞書では基本的な単語についてはこんなふうに循環してしまうことはよく

            • 環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その1|DJ プラパンチャ

              はじめに さて、前回の最後に私はこう申し上げました。 私がこの雑文を書き始めてから、かなりの時間が経過しております。その間、この雑文を書くためにへっぽこ勉強をしているうちに、己の勉強不足を痛感したり、「これまでの自分の仏教観を修正せざるをえないのではないか?」と感じることが多くなってきました。私の現在の仏教観は、この雑文を書き始めた当初のそれとは異なるものになっていると言わざるをえません。 ゆえに、どういう立場でこんなものを書いて発信しているのかを明らかにしないまま話を進めるのは不料簡ではないか、自分の考えがどのように変化したのかを明らかにしておく必要があるのではないかと思った次第です。 そこで、次回から2回ほどかけて、この雑文を書き始めた当初と比べて、自分の考えがどのように変化したのかを明らかにしておきたいと思います。 そういうわけで、己の仏教観をどのように訂正したのかを、へっぽこ勉強を

                環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その1|DJ プラパンチャ
              • Daily Life:大塚淳『統計学を哲学する』を読む

                August 02, 2021 大塚淳『統計学を哲学する』を読む [追記:この記事について大塚さんご本人からリプライをいただいています。] 昨年出版された大塚淳『統計学を哲学する』は、日本人の統計学の哲学者によるはじめての「統計学の哲学の本」である。こうした科学哲学の先端の領域になかなか日本の研究者が切り込めて来なかった中で、ついにこうした本が出版されるようになったことは大変慶賀すべきことだと思う。さらに言えば、本書は決してただの解説書ではなく、大塚さんの独自のアイデアに溢れた、統計学の哲学の研究書である。特に、ベイズ主義と古典統計をそれぞれ内在主義と外在主義の認識論になぞらえて認識論的含意を取り出そうとするあたりは、他の追随を許さない独自の議論が多く展開されている。本書は今後日本で統計学の哲学について議論する際に常に出発点となることだろう。本書は非哲学者も含めて広いリーダーシップを獲得し

                • 『〈現在〉という謎』をめぐる議論

                  • 書評 「統計学を哲学する」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

                    統計学を哲学する 作者:大塚 淳発売日: 2020/10/26メディア: 単行本(ソフトカバー) 本書は応用統計学にも造詣の深い科学哲学者大塚淳による統計学の哲学の入門書になる.序章では本書について「データサイエンティストのための哲学入門,かつ哲学者のためのデータサイエンス入門」だとある. これまで読んだ統計学の哲学についてはソーバーの「科学と哲学」がなかなか面白かった.本書ではソーバー本では扱っていなかった因果推論や深層学習についても論じられていて,そのあたりも勉強したいと思って手に取った一冊になる. 序章 統計学を哲学する? 序章では本書のねらいと構成が書かれている.ねらいとしては,上記の入門書というだけでなく,「統計は確固とした数理理論であり,そこに哲学的思弁が入り込む余地はない」とか「統計は単なるツールであり,深遠な哲学とは無縁だ」とかいう誤解を解きたいということが挙げられている.

                      書評 「統計学を哲学する」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
                    • 要約『なぜ世界は存在しないのか』

                      1986年埼玉生まれ、埼玉育ち。大学ではコミュニケーション論を学ぶ。しかし社会に出るためのコミュニケーション力は養えず悲しむ。インドに行ったことがある。NHKのドラマに出たことがある(エキストラで)。(動画インタビュー) 前の記事:知ろう! インスタントコーヒーの粉の量 > 個人サイト Twitter 「なぜ世界は存在しないのか」と大上段に構えていうガブリエルですが、どういうことなのか気になりますね。ですが、その説明をするにはまず「形而上学」と「構築主義」というのを理解する必要があるそうです。めんどくさそうですが……まずは付き合ってあげましょう。 形而上学と構築主義を乗り越える新しい実在論 まず世界について取り組む伝統的な考え方として形而上学というものがある。形而上学とは世界全体についての理論を展開しようとする試みのことで、いわば世界を発明した考えかただと言ってよい。しかし人間の視点がなく

                        要約『なぜ世界は存在しないのか』
                      • 物理学者と哲学者は「時間」を語ってどうすれ違うのか…『〈現在〉という謎』を読んで - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

                        〈現在〉という謎: 時間の空間化批判 作者: 森田邦久 出版社/メーカー: 勁草書房 発売日: 2019/09/27 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 物理学者と哲学者によるシンポジウムをもとに企画された論考集。各章では時間論、とくに「現在」の概念を巡る論考を物理学者と哲学者(+仏教学者1名)が書き、それに対するコメントとリプライが掲載されている。 全8章からなり、どの論考も面白い。だが、理論物理学者の谷村省吾先生(以降、谷村氏)の論文とそれへの佐金武氏のコメント、青山拓央氏・森田邦久氏(いずれも分析哲学者)の章に対する谷村氏のコメントからなる応酬が際立っている。 谷村氏はしょっぱなから、 そもそも現在は謎なのか?とさえ思う。(谷村論文、p.1) と、本書の問いそのものの意義に疑問をつきつける。「率直にいって、形而上学者たちとの対話は難儀であった。私の話はわかってもらえないよ

                          物理学者と哲学者は「時間」を語ってどうすれ違うのか…『〈現在〉という謎』を読んで - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
                        • 覚え書き:イアン・ハッキングの精神障害の哲学について - memoranda

                          イアン・ハッキングが亡くなってしまいました。トロント大学の記事によると以前から健康を害していたそうで、たしかにこの10年ほど、まともなアウトプットがなかったことからうすうす予期してはいたのですが、この5月10日に亡くなってしまったとのことです。残念です。また、今回あらためて、ハッキングから学んできたことの多さを感じてもいます。 ご存じのとおり広大な領域において、しかもユニークな手法で仕事をしてきた人です。なので私はそのほんのごく一部、精神障害の哲学の領域を中心に彼から学んできたにすぎません。にもかかわらず、学んだことはとても多く、そこからまた多くの課題を得てきたと感じています。 彼の精神障害の哲学を考えるさい、二つの大きな仕事があるように感じています。ひとつは神経症周辺の仕事で、もうひとつは自閉症に関係する仕事かな、と思います。そしてこうした二つの領域のいずれにおいても、精神医学などの人間

                            覚え書き:イアン・ハッキングの精神障害の哲学について - memoranda
                          • 筑摩書房創業80周年記念出版 ちくま新書 新シリーズ、ついに始動 世界哲学史

                            哲学を「西洋哲学史」の枠から解き放つこと。哲学がそもそも《越境》の武器であったことを考えてみれば、遅すぎたくらいだ。けれどもこの作業に取り組むにはこれまた法外な知的センスと労力が要る。尊敬と緊張とをもって注視しつづけたい。

                              筑摩書房創業80周年記念出版 ちくま新書 新シリーズ、ついに始動 世界哲学史
                            • ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート

                              (注意:この論考はヒュームの趣味論にかんして、LevinsonやMothersillらと同様に発見論的な立場に依拠しています。すなわち、批評家の合意は美を発見するという見方。それに対して、構成論的な立場もありえます。批評家の合意こそが美をつくりだすという立場で、たとえば飯田隆の『新哲学対話』における『アガトン』などはその立場からの論考です。いないとは思いますが、この論考を読んで「ヒュームはこんなことを言っていたんだな」と考える方がいると、僕も(おそらくヒュームも)困ります。) 早速だが、ヒュームが前提するように、趣味の多様性というものは疑いえないだろう。ゴダールやロメールを愛する「シネフィル」もいれば、ハリウッドのアクション映画を熱狂的に好む「シネフィル」もいる。かくして生まれるのが、カントも指摘した趣味のアンチノミーである。すなわち、趣味の主観性(趣味は主観的なものであり争いえない)と趣

                                ヒューム「趣味の基準について」:「趣味が良い」ってどういうこと? : 一文学徒のノート
                              • Daily Life:『〈現在〉という謎』の感想

                                March 03, 2020 『〈現在〉という謎』の感想 編者の森田さんよりご恵贈いただいた。 www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html 最近はいただいた本でもなかなか読む時間がとれず、お礼もままならないことが多い。しかし、本書については著者の一人である谷村さんが追加の論考「一物理学者が観た哲学」を公開され、著者間でかなりの行き違いが生じているらしいことがわかった。哲学者と科学者の対話は私にとっても大きな関心事であるので、本書を通読して感想を述べさせていただこうと思った。 そういう経緯であるので、以下の感想は谷村さんのノートに触発されて書き始めたものである(ずいぶん時間がかかってしまったが)。しかし、今回の感想は『〈現在〉という謎』の本に限定して書いており、谷村さんのノートの内容や、谷村さんのノートにさらに反応していろいろな人が書いたものは念頭においてい

                                • 作ることの哲学をデザイナーと哲学者と実務家と語る:グッドマン『世界制作の方法』読書会|newQ

                                  私たちはいつも何かを作っています——デザイン・プロダクト・サービス etc. 現象の論理的な再構築から研究をスタートして、最終的に「私たちは世界を作っている」という地点にまでたどり着いた哲学者ネルソン・グッドマン。その古典『世界制作の方法』を手がかりに、デザイナー・哲学者・実務家とともに「作ることの哲学」を語り合いました。 哲学者、経営者、教育者であり、芸術家とともに生きた男難波 グッドマン研究を行っている難波です。本日は、デザイナー、哲学者、実務家の方々と一緒に『世界制作の方法』を読み、作ることとは何か?を考えていきたいです。 一同 よろしくお願いします。 山本さん 美大でもみなグッドマンに関心はあるのですが、読み通すことが難しい……となりがちなので、今回グッドマンの発想をアートにどれくらい役立てられるのか気になっています。 Mさん 自分も、まだ読んでおらず、Amazonの『世界制作の方

                                    作ることの哲学をデザイナーと哲学者と実務家と語る:グッドマン『世界制作の方法』読書会|newQ
                                  • 「反お笑い」の哲学史(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

                                    近代哲学の中の「反お笑い」 古代から近代までの哲学の中における「反お笑い論」をまとめています。 前編では古代の反お笑いの創始者プラトンからプロテスタントの反お笑い論までまとめています。まだご覧になっていない方はこちらをどうぞ。 後編は近代哲学編です。 5. ホッブズ「笑いは突然の得意」 近代社会哲学の基礎を築いたトーマス・ホッブズも笑いを否定した人物です。 ホッブズといえば、国家のあり方が論じられた1651年の著作「リヴァイアサン」が有名ですが、この本の中で笑いが否定的に論じられています。 ホッブズにとって国家とは国民を素材とする巨大な人造人間であるため、国家の構造を理解するためにはまず人間そのものを理解する必要があると考えました。 リヴァイアサンではまずは演繹法により人間論が展開されます。人間性に関する一般的なカテゴリをまずは定義し、その部分的な下位カテゴリとそれとの関連を定義、そしてさ

                                      「反お笑い」の哲学史(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
                                    • 環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その3|DJ プラパンチャ

                                      顕彰や擁護は、歴史のプロセスのもっている革命的な契機を隠蔽しようと努める。顕彰や擁護が関心をもつのは、歴史の連続性を作り出すことである。そこで価値を認められるのは、作品の要素の中ですでに後代への影響史の中に組みこまれてしまった要素だけである。顕彰や擁護からぬけ落ちるのは、そこで伝統が途切れ、伝統を乗り越えようとする者に手掛かりを与えてくれるぎざぎざの切断面がひらける場所である。 ヴァルター・ベンヤミン/今村仁司ほか訳『パサージュ論3』[N9a,5]岩波文庫、2021年、p243 「合理的」で、「初期仏教」に忠実な上座部仏教? 前回に引き続き、「“ほんとうの”仏教」という観念に含まれている問題点について見ていきたいと思います。巷で時折見かける仏教観に、次のようなものがあります。 〇釈迦が説いた元々の教えは、「非合理的」な呪術や儀礼などを説かない「合理的」で「論理的」で「科学的」なものだった。

                                        環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その3|DJ プラパンチャ
                                      • Daily Life:佐藤直樹『科学哲学へのいざない』

                                        June 07, 2021 佐藤直樹『科学哲学へのいざない』 佐藤直樹さんの『科学哲学へのいざない』について少し書きたい。 佐藤さん(以下「著者」とする)は実験生物学者でありながらも、哲学系の学会のワークショップに登壇されたり、マラテール『生命起源論の科学哲学』の翻訳を手掛けられるなど、科学哲学的な問題意識を強く持ち、科学哲学と関わりを作ってこられた研究者である。その著者による科学哲学へのいざないということで、科学哲学の側からも注目すべき書籍であると思う。 本書は少し変わった成り立ちの本である。著者はサミール・オカーシャの『科学哲学』を教材としつつ、独自の資料で補足しながら授業を行っていたとのことである。そうした授業の内容に、さらに加筆して書籍としてまとめたのが本書である。そのため、全体としてオカーシャの教科書に対するコメンタリのようにも読める本となっている。 本全体のトーンはオカーシャの

                                        • 現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その2):何が誰にとって不要だとされているのか - 研究日誌

                                          前回の記事の続き。大雑把には「現代哲学の研究に哲学史は必要ない」という主張を擁護した論文 Hanno Sauer, "The End of History", Inqury. https://doi.org/10.1080/0020174X.2022.2124542 について、いくつかの補足をしておく。ちなみに哲学史と哲学の関係について私は自分なりの考えをもっており、Sauerの論文にも賛成できるところとできないところがある。しかし前回と同様に今回のエントリーでも、原則として私見を交えずにSauerの主張をはっきりさせることしかしていない。また、原則を破って私見を述べる際には、それとわかる書き方をしたつもりだ。 前回のエントリーと同じく、以下ではこの論文を2022年9月現在の'Latest articles'版のページ番号だけで参照する*1。これまた前回と同じく、以下に出てくる鉤括弧は、そ

                                            現代哲学の研究に哲学史は必要なのか(その2):何が誰にとって不要だとされているのか - 研究日誌
                                          • イアン・ハッキング (1936-2023) - 論理学FAQのブログ

                                            イアン・ハッキングが亡くなりました。トロント大学からの発表をリンクします。 philosophy.utoronto.ca 実際に会うことも喋ることもなかったですが、翻訳で関わったことで、何か一方的な親しみを感じていた哲学者です。とても残念です。 1936年、カナダ・バンクーバー生まれ。ブリティッシュ・コロンビア大学で数学と物理学を学び、イギリス・ケンブリッジ大学で哲学の博士号を取得。ケンブリッジ、マケレレ大学(ウガンダ)*1、スタンフォード (アメリカ)、トロント (カナダ)、コレージュ・ド・フランスなどで教職を務めました。 言語の論理的分析に中心的な関心をおく分析哲学の教育を受け (博士論文は様相論理(!)と数学的証明(!)について) キャリアをスタートさせますが、初期の出世作は確率や統計についてでした。ミシェル・フーコーに影響を受け、分析哲学をい

                                              イアン・ハッキング (1936-2023) - 論理学FAQのブログ
                                            • 読書メモ:心にとって時間とは何か(青山拓央 著)…性急で、たぶん蛇足な第一印象としての感想と称揚 - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)

                                              心にとって時間とは何か (講談社現代新書) 作者:青山 拓央 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 2019/12/11 メディア: 新書 待ちに待った、青山拓央先生の時間本が出た。出たのが今日だ。さっそく読んだ。読み終えて即、感想を書こうとしている。そのことに、後ろめたい気持ちがかなりある。とてもじゃないけど、買った当日に感想を書けるような本ではないからだ。 本当なら、あと5回は読みたい。でも、諸般の事情で明日からは時間が取れそうにないし、時間を空けるほどに感想を書くハードルが上がっていくことが分かっているから、第一印象だけでも書いてしまおう。 *** 本書のテーマは、時間にまつわる数々の「謎」。 書名に『心にとって~』とついているのが重要だ。時間について「心」を考慮しないで語ることもできる。典型例は物理学。物理における時間にも、多少の「不思議」な点はあり、たとえば相対論では時間に関して

                                                読書メモ:心にとって時間とは何か(青山拓央 著)…性急で、たぶん蛇足な第一印象としての感想と称揚 - 重ね描き日記(rmaruy_blogあらため)
                                              • サイバネティクスの周辺についての個人的雑感|tenjuu99

                                                現象学者たちとサイバネティクス「サイバネティクス」なるものに興味を持った経緯としては、メルロ=ポンティが『眼と精神』で一章まるごと使ってサイバネティクスを批判しているからでした。長いのですが引用します。 世界を名目的に定義すれば、世界とは私たちの操作の対象Xである、となろうが、そのように語ることは、科学者の認識のあり方を絶対視することであり、それはまるで、かつて存在し、また現に存在しているすべてのものを、たんに実験室に入るためだけに存在してきたかのように見なすことである。「操作的」思考はある種の絶対的人工主義となり、サイバネティクスのイデオロギーに見られるように、そこでは人間の創造活動は情報の自然的プロセスから派生したものとなってしまうが、じつは、そのプロセス自身、人間機械をモデルに考えられたものなのである。もしもこの種の考え方で人間と歴史を捉えようとするならば、そしてもし、私たちが直接的

                                                  サイバネティクスの周辺についての個人的雑感|tenjuu99
                                                • 食を通して自然と人の関係の再考を迫る - 読書人WEB

                                                  なぜ、本を読むのか? Why do we need to read books なぜ、本を読むのか?本書『読書人カレッジ2022』の執筆者の一人である明石健五は、それを「考えるため」であると言います。 ある未知のものに出会ったとき、そこに驚きと感動が生まれる。そうして、初めて自分なりに思考することができ、それを人に伝えることができるようにもなる。 そういう過程を生きられる人のことを、「知性ある人」というのではないか。では、「知性」を自らのものにするためにはどうすればいいのか。繰り返しになりますが、「読み」「考え」「書く」ことを通してしか感得できないのではないか。 新しい出来事や局面に出会い、答えのない問題を考えることで鍛えられていくものが、確かにある。そういう問題は、すぐれた本の中にいくつも見つけることができます。 繰り返し考えることによって、自分の思考を鍛えていく。それによって、今の世の

                                                  • あとがきたちよみ『アメリカ哲学入門』

                                                    哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。 あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 ナンシー・スタンリック 著 藤井翔太 訳 『アメリカ哲学入門』 →〈「日本語版への序文」/「訳者解題」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。「訳者解題」本文はサンプル画像の下に続いています。 日本語版への序文 私が『アメリカ哲学入門』〔の原著〕を執筆した二〇一三年のアメリカ社会を振り返ってみると、現在の、あるいは二〇一六年以降のアメリカ社会とは、かなり異なったものだったように(私には)思われる。二〇一

                                                      あとがきたちよみ『アメリカ哲学入門』
                                                    • 素朴な現実観はここに覆される!|筑摩選書|西郷 甲矢人,田口 茂|webちくま

                                                      普段あたりまえのように使っている「現実」という言葉。しかしそこにある認識は、どれくらいあたりまえなのでしょうか。数学と哲学という専門を異にする著者二人が協同し、この現実を現実たらしめている構造に迫ったのが本書。長年にわたる対話と研究の成果は、わたしたちの固定観念を根底からゆさぶり、変えることになるでしょう。本書の「序」を公開いたします。どうぞご一読ください。 現実とは何か? このようなことをあらためて問う人はあまりいない。仮想現実(virtual reality)などを念頭に置きつつ、「現実と非現実」の区別を問題にするといったことがあるが、その場合でも、「現実とは何か」については、「自明=あたりまえ」としてすでに前提しており、あらためて問題にしないことが多いのではなかろうか。「現実を見ろ」とか「とにかく現実は現実なんだから認めなければ」などと言われることもあるが、その場合でも、まず「現実と

                                                        素朴な現実観はここに覆される!|筑摩選書|西郷 甲矢人,田口 茂|webちくま
                                                      • ホワイトヘッド哲学最速入門|motoaki iimori

                                                        本記事では、アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドの哲学について入門的な説明をする。 ホワイトヘッドは19世紀後半から20世紀前半を生きた英米圏の哲学者である。彼は論理学・数学の研究から出発し、60歳を過ぎてから形而上学の研究に着手した。彼の形而上学期の主著『過程と実在』は、20世紀の哲学書のなかでも屈指の難解テキストである。数々の用語を駆使して、世界全体のあり方を高解像度で描き出そうとするこの書物は、あまりに荘厳すぎる形而上学的体系を提示し、読むものを圧倒する。 本記事では、難解とされるホワイトヘッドの哲学をごくごく簡単に紹介することにしたい。本記事は、拙著『連続と断絶─ホワイトヘッドの哲学』第1章のダイジェスト版となっている。不要なテキスト的証拠や細かい議論などが削ぎ落とされ、最小限の用語と議論だけが残った最短ルートのホワイトヘッド入門となっているはずだ。 ホワイトヘッドの論敵、〈実体の

                                                          ホワイトヘッド哲学最速入門|motoaki iimori
                                                        • 理解できないあなたの隣にいるために|ちくま学芸文庫|三木 那由他|webちくま

                                                          わたしたちが他者といる際に用いる様々な技法。そのすばらしさと苦しみの両面を描く『他者といる技法』(奥村隆著)がちくま学芸文庫として復刊・文庫化されました。言語哲学がご専門の三木那由他さんによる、本書の解説を全文公開いたします。 この社会において、私たちはすでに他者とともにあり、それゆえに他者といるためのさまざまな「技法」を用いて暮らしている。ではその技法とはどういったものなのか? 本書『他者といる技法』は、私たちが他者といるために用いるさまざまな技法を、ひとつの大きな枠組みのもとで体系的に論じている。 本書は全体の導入となる序章に加えて、六つの章から成っている。各章はそれぞれ独立に読むこともできるが、それとともにひとつのアイデアがすべての章を貫いている。それはすなわち「〈承認と葛藤の体系としての社会〉」(54頁)である。この社会観がもっとも詳しく説明されている第一章をもとに、ここで簡単に整

                                                            理解できないあなたの隣にいるために|ちくま学芸文庫|三木 那由他|webちくま
                                                          • マイケル・フリードとジョナサン・エドワーズ——『アメリカ哲学史』翻訳余滴|入江哲朗

                                                            みなさまこんにちは。私はアメリカ思想史が専門の研究者で、映画批評もときどき書いています。だいぶまえにnoteのアカウントを作ったものの放置していたのですが、せっかくなので試しに記事を書いてみることにしました。みなさまが自宅でまったり過ごされる際の暇つぶしとしてご笑覧いただけましたら幸いです。 去る2月に、私も共訳しているブルース・ククリック『アメリカ哲学史——一七二〇年から二〇〇〇年まで』(勁草書房)という本が出版されました。私は同書第1–3章の訳と訳者解説の執筆を担当しています。今回は、『アメリカ哲学史』を翻訳しながらつらつら考えていたことのひとつを、とりとめもなく綴ってみようと思います。 ◇ 私が担当した『アメリカ哲学史』第1章は、「カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ」と題されています。ジョナサン・エドワーズは、1703年から58年まで北米植民地で生きたプロテスタントの牧師です。「

                                                              マイケル・フリードとジョナサン・エドワーズ——『アメリカ哲学史』翻訳余滴|入江哲朗
                                                            • 森田真生「まだ意味のない世界の方へ」 | ÉKRITS / エクリ

                                                              森田真生『計算する生命』(2021) § ——— まず『計算する生命※1』の第一章「「わかる」と「操る」」に書かれているのは、前著の『数学する身体※2』から引き継がれた内容です。計算という他律的なプロセスに身を委ねることによって、自分が直観的にわからないものにアプローチできるというのが、いろんな事例を踏まえて書かれています。つまり、操作しながらある対象にアプローチし続けていると、事後的にわかるというフェーズがやってくると。それは自然にやってくるのではなくて、何かしらの操作に対するイメージを誰かが創造していくような段取りであり、そのようにしながら数学が進化してきたということが書かれていると思います。 この「操る」という部分はよくわかるんですが、なぜ操っているうちに「わかる」というフェーズが出てくるのか。その創造性について、森田さんはどのようにお考えになっているんでしょうか。 森田: その部分

                                                                森田真生「まだ意味のない世界の方へ」 | ÉKRITS / エクリ
                                                              • 【オンライン講義付き】小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』 | PLANETS公式オンラインストア powered by BASE

                                                                ▼オンライン講義が視聴できます 本ストア購入の特典として、著者である小山虎さんが本書のポイントを解説したオンライン講義のアーカイブ動画を視聴できます。 【オンライン講義】 100分de(本書のポイントがわかることで、ぐっと読みやすくなる)『知られざるコンピューターの思想史』 (ライブ配信済み) 【概要】 現在の私たちの欠かせない社会環境となっているアメリカ発のコンピューターという発明の背後に、ドイツやオーストリアの哲学の伝統はどのように関係しているのか? 17〜20世紀にかけての科学・哲学の思想運動を牽引した膨大な登場人物が交錯する本書を読み解くポイントについて、さまざまな分野の人文書・学術書の読書会コーディネーターとして活躍する酒井泰斗さんを聞き手にお迎えし、この分野を初めて学ぶ方にもわかりやすく小山さんが解説します。 【開催日時】 2022年7月23日(土)20:00〜(開催済み) 【

                                                                  【オンライン講義付き】小山虎『知られざるコンピューターの思想史 アメリカン・アイデアリズムから分析哲学へ』 | PLANETS公式オンラインストア powered by BASE
                                                                • 『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(イアン・ハッキング著、金子洋之・大西琢朗訳) 【訳者あとがき公開】|森北出版

                                                                  『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(イアン・ハッキング著、金子洋之・大西琢朗訳) 【訳者あとがき公開】 2017年10月発行『数学はなぜ哲学の問題になるのか』の「訳者あとがき」です。 『数学はなぜ哲学の問題になるのか』訳者あとがき著:金子洋之 本書は、Ian Hacking, Why Is There Philosophy of Mathematics At All? の全訳である。この書名を直訳すれば「なぜそもそも数学の哲学などというものが存在するのか」という具合になるだろうが、邦訳では『数学はなぜ哲学の問題になるのか』とした。「数学の哲学」という限定的な用語を避けたかったことと、このタイトルでも著者の意図は十分反映されていると考えたからである。他の多くの著作がそうであるように、本書でもハッキングの博学多才ぶりはいかんなく発揮されており、読んで面白いエピソードには事欠かない。とはいえ、そ

                                                                    『数学はなぜ哲学の問題になるのか』(イアン・ハッキング著、金子洋之・大西琢朗訳) 【訳者あとがき公開】|森北出版
                                                                  • 理論する

                                                                    研究という活動のなかで、「理論(theory)」というのは重要な位置を占めているように思われる。しかし、じゃあ「理論て何ですか?」と問われると、それに答えるのはなかなか難しいかもしれない。「理論」というのが一体何なのかというのは、それほど自明なことではさそうだ。 こういうとき、まずは語源をたどってみることにしよう。OEDによれば「theory」の語源には、ラテン語の「theoria」(テオーリア)や古典ギリシア語の「θεωρία」(テオーリアー)があり、どちらも「見る行為(action of viewing)」に関する語のようだ。このような語源をもとにしてか、明治の啓蒙思想家・西周は「theory」に「観察」という語を充てていた。ちなみにぼくは西周について、文筆家・山本貴光さんの『「百學連環」を読む』(三省堂, 2016)で学んだ。 こうして語源から眺めてみれば、「見る行為」や「見て取るこ

                                                                      理論する
                                                                    • たくさんのインスパイアをもらえる熱力学の教科書 - hiroyukikojima’s blog

                                                                      今回は、田崎晴明『熱力学=現代的な視点から』培風館を紹介しようと思う。これは、熱力学の教科書なのだが、非常に異色であり、教科書というよりは「思想書」のような風情だ。なぜなら、本書からは、熱力学だけじゃなく、たくさんのインスパイアを得られるからだ。 熱力学―現代的な視点から (新物理学シリーズ) 作者:田崎 晴明 培風館 Amazon ぼくは本書は相当昔から持っていたし、読んでなんとか熱力学を理解したいと思っていたけど、ぱらぱらめくってみては、「ちょっと無理」と感じて書棚に戻す、ということを繰り返していた。 そんな本書を、今回は、第6章まで一気に読めてしまった。なぜ読めるようになったかというと、友人の物理学者・加藤岳生さんの東大での熱力学の講義資料をもらって独習したことがきっかけだった。この東大での講義は、「さすが加藤くん」というみごとなもので、ぼくは加藤さんの講義で、宿願だった熱力学の本質

                                                                        たくさんのインスパイアをもらえる熱力学の教科書 - hiroyukikojima’s blog
                                                                      • 話し手の意味の心理性と公共性 三木 那由他著

                                                                        従来の議論では「話し手の意味」が話し手の意図を通して理解されてきたのに対し、本書ではそれを話し手と聞き手の共同体において生じる公共的な現象として捉える。話し手の心理と深く結びつきつつ、自らの意味したことをおおやけに引き受けなければならないという意味で公共的でもあるという両側面を説明しうる新しい理論を構築する。 【電子書籍あり】 紀伊國屋書店 Kindle honto VarsityWave ヨドバシ.com AppleBooks はしがき 序章 話し手の意味の心理性と公共性 1 私たちはコミュニケーションをする 2 話し手の意味の心理性 3 話し手の意味の公共性 4 心理的であり公共的である話し手の意味 Ⅰ 意図基盤意味論 第一章 意図基盤意味論という枠組み――グライスの「意味」論文から はじめに――出発点としての「意味」論文 1 グライスの哲学的方法論 2 「意味」論文における分析 3 

                                                                          話し手の意味の心理性と公共性 三木 那由他著
                                                                        • 人生は強いられず、ただ示される|ちくま学芸文庫|吉良 貴之|webちくま

                                                                          哲学者ロバート・ノージックが人生における多様なテーマを考察した『生のなかの螺旋』(ちくま学芸文庫)が刊行されました。ノージック初の文庫化です。本書の性格と著者の全体像について、法哲学者の吉良貴之氏が解説を書かれています。またとないノージック入門となっておりますので、ぜひお読みください。 本書『生のなかの螺旋―自己と人生のダイアローグ』は、Robert Nozick, The Examined Life: Philosophical Meditations, Simon & Schuster, 1989の全訳である。 著者のロバート・ノージック(1938-2002年)はアメリカの哲学者であり、長らくハーバード大学で教授職を務めた。最も有名な著作は、政治哲学上のリバタリアニズム(自由至上主義)の記念碑的著作とされる『アナーキー・国家・ユートピア』(原著1974年)だろう。ほか、認識論や心の哲学

                                                                            人生は強いられず、ただ示される|ちくま学芸文庫|吉良 貴之|webちくま
                                                                          • 唯識ってナニモノ? ――『修行者達の唯識思想』|じんぶん堂

                                                                            記事:春秋社 心とは脳なのか、何なのか? 書籍情報はこちら 心だけがあってそれ以外は無いのか? 唯識思想は仏教でもっとも関心を持たれている思想ではないかと思います。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』や『空の境界』などアニメや漫画にアーラヤ識や唯識という言葉が使われているのを見たことのある人がいると思います。 唯識思想は読んで字のごとく、「唯一識だけがあって、それ以外のものは存在しない」思想と理解されています。識は心みたいなものと理解しておきましょう。 なぜ仏教のなかにそんなことを主張し出す人たちが現れたのでしょうか? 仏教徒たちは瞑想をしていました。その瞑想を特に熱心に行なっていた人たちの体験の語りがもとになっているのが唯識思想です。 彼らは瞑想のなかで心が作り出す映像を見ました。そしてよくよく考えれば、瞑想していないときに見ているものも、それと違わないことに気づいたのです。そして彼

                                                                              唯識ってナニモノ? ――『修行者達の唯識思想』|じんぶん堂
                                                                            • 環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その2|DJ プラパンチャ

                                                                              仏教は「こころの科学」? 前回に続いて、今回扱ってみたいのは「仏教はこころの科学である」という仏教観です。 仏教はこころの科学である――これは現代の日本で時々見られるフレーズです(ここで言う「こころ」とか「科学」といったことばが、一体何を意味しているかは必ずしも明らかではないのですが)。このフレーズが何を意味しているのかはともかく、およそ「宗教」と呼ばれる文化現象のなかで、仏教ほど人間の心理的な性質に迫ってきたものはないとは言えるかもしれません。 仏典には、渇愛を滅ぼすには具体的にどうすればよいか、心(citta)という現象にどうアプローチすればいいかという問題が語られているし、部派のアビダルマや大乗の唯識思想にも、人間の心理を解明しようとした面はあります。現在でも、仏教と心理学を比較する際には、「仏教は1500年以上前に既に無意識を発見していた!」といったような文脈で唯識思想が持ち出され

                                                                                環流夢譚――「ほんとうの仏教」という神話 その2|DJ プラパンチャ
                                                                              • フランクル思想を「臨床哲学」の遺産と見立てるーー『フランクルの臨床哲学』(上)|じんぶん堂

                                                                                記事:春秋社 アウシュヴィッツ(パブリックドメイン) 書籍情報はこちら ヴィクトール・エミール・フランクルは、20世紀初めに誕生し、その終わりに逝去した。その意味で彼の思想は、20世紀という時代を色濃く反映している。つまり、彼自身が身をもってこの激動の歴史を生き抜いた中で、練り上げられていったのである。精神科医としての様々の患者との交わりの中で、生きる意味も死ぬ意味も剥奪されるユダヤ人強制収容所という未曽有の状況を生き抜く中で、彼は歴史から何を問われ、どのように応答しようとしたのか。あるいは、翻っていえば、歴史は、フランクルという稀有な人物の生きざまと著作を通じて、何を語ろうとしたのだろうか。 フランクルは、日本では、『夜と霧』という邦題で出版された強制収容所の体験記録の著者として知られ、また、「ロゴテラピー=実存分析」という、生きる意味を見失った人が、自分で自らの生きる意味を再発見するこ

                                                                                  フランクル思想を「臨床哲学」の遺産と見立てるーー『フランクルの臨床哲学』(上)|じんぶん堂
                                                                                • もう一つの「現実性の問題」のはじまり 入不二基義さん特別寄稿|じんぶん堂

                                                                                  記事:筑摩書房 書籍情報はこちら 「現実」ということばを大人はよく使うという印象が、小学生の頃の私にはあった。たとえば「おまえは子供だから、まだ現実を知らない」とか「現実はそんなに甘くない」とか、「もっと現実を見なくてはいけない」とか「これが現実なんだよ」といった類のことばである。 私は、大人たちが使うその「現実」ということばに対して、まるで「なぞなぞ」の答が分からない場合のような居心地の悪さを感じていた。「現実って何なの?」「現実はどうやったら分かるの?」と聞くと、大人たちはたいてい少し嫌な顔をした。答えてくれる場合でも、「大人になったら嫌でも分かるよ」とか「現実は思い通りに行かないものさ」とか「現実にもいろいろあってね」などと言われて、「答」は先送りにされるのに等しかった。大人もほんとうはよく分かっていないのだな、ということだけが分かった。 iStock.com/AlexLinch 私

                                                                                    もう一つの「現実性の問題」のはじまり 入不二基義さん特別寄稿|じんぶん堂

                                                                                  新着記事