『はじめての三国志』は、複数の企業と提携し情報を提供しており、当メディアを経由して商品への申込みがあった場合には、各企業から支払いを受け取ることがあります。ただし当メディア内での商品の評価に関して、提携の有無や支払いの有無が影響を及ぼすことはございません。また当メディアで得た収益は、当サイトを訪れる読者様により役立つコンテンツ制作に還元しており、情報の正確性担保に努めています。詳しくは運営者情報と編集ポリシーをご覧ください。 立つ筈ない両者の顔を立てる日本型宰相、阿部正弘 阿部正弘は1819年に生まれ、17歳で隠居した兄に替わって家督を相続、譜代大名の名家、備後福山藩(びんごふくやまはん)の7代藩主として江戸城に入りました。1838年には、奏者番(そうしゃばん)として幕府のエリートが詰める芙蓉之間(ふようのま)詰めになり、1840年には21歳で寺社奉行になります。ここで、阿部は最初の忖度(