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妙円寺の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 「空からボンタンアメを降らせよう」セイカ商品の広告戦略100年史【大正〜令和】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    鮮やかなオレンジ色の柑橘と、昔懐かしい書体が存在感を放つボンタンアメ。誰もが一度は見かけたことがあるのではないだろうか? ▲透明なオブラートに包まれている ボンタンアメは、もちもちした食感と爽やかな柑橘の香りが特徴的な餅菓子だ。オブラートに包まれており、この包みは剥がさずそのまま食べられる。口に入れるとすっと溶けるオブラートの感触もどことなくクセになる感じがする。 製造元は鹿児島のセイカ食品株式会社。発売開始は1924(大正13)年で、98年もの歴史を持った超ロングセラー商品である。毎年、お菓子が誕生しては消えていく市場で、ボンタンアメがこれだけ長く生き残っているのはどうしてだろうか? もちろんロングセラーの裏側にはさまざまな要因があるが、その理由のひとつは広告・販売戦略にある。発売開始当時に派手な広告を打って全国的に注目を集めたことや、全国網のキヨスク※で取り扱われていたことが売上を支え

      「空からボンタンアメを降らせよう」セイカ商品の広告戦略100年史【大正〜令和】 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    • 【御朱印】六波羅蜜寺に行ってきました|京都市東山区の御朱印 - ウミノマトリクス

      最終更新日時:   2021年3月16日 今回は、京都市東山区にある「六波羅蜜寺」(ろくはらみつじ)に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。 六波羅蜜寺の特徴 六波羅蜜寺の特徴 創建は空也です。 鎌倉時代には「六波羅探題」が置かれていました。 六波羅蜜寺は七福神の弁財天もおり、「都七福神」にもなっています。 六波羅蜜寺に訪れた日 2020年10月3日 今回訪れたのは、2020年10月3日です。(御朱印に記載の日時) 御朱印をいただき、境内の写真撮影を行いました。 六波羅蜜寺の場所 六波羅蜜寺の入り口 2丁目轆轤町2丁目轆轤町の住所 京都府京都市東山区松原通大和大路東入2丁目轆轤町 六波羅蜜寺の御朱印 六波羅蜜寺の御朱印のもらい方 六波羅蜜寺の御朱印は、参道から拝殿に向かって左手にある寺務所でいただけます。 六波羅密寺の拝殿 入り口から右手側に銭洗弁財天があり、ここでも御朱印をいただ

        【御朱印】六波羅蜜寺に行ってきました|京都市東山区の御朱印 - ウミノマトリクス
      • 【御朱印】京都ゑびす神社に行ってきました|京都市東山区の御朱印 - ウミノマトリクス

        最終更新日時:   2021年3月9日 今回は、京都市の東山区にある「京都ゑびす神社(恵美須神社)」(きょうとえびすじんじゃ)に行ったので、そのレポートを書きたいと思います。 【御朱印】京都ゑびす神社 京都ゑびす神社の特徴 御朱印マトリクス 見どころ:2.5点/10点満点中 ※個人的な意見 歴史:1202年頃 (創建されたとされる年) 京都ゑびす神社マトリクス 比較しやすいようにマトリクスを作ってみたよ あくまでもこのブログとしての見解だからね 成子天神社の特徴 京都ゑびす神社の特徴 日本三大恵比寿のうちの一社。 都七福神のうちの一社でもあります。 京都ゑびす神社(恵美須神社)に訪れた日 2020年10月4日 今回訪れたのは、2020年10月4日です。(御朱印に記載の日時) 御朱印をいただき境内の写真撮影を行いました。 京都ゑびす神社(恵美須神社)の場所 京都ゑびす神社(恵美須神社)の住所

          【御朱印】京都ゑびす神社に行ってきました|京都市東山区の御朱印 - ウミノマトリクス
        • 「七福神」とは?|知っているようで知らない七福神のこと - ウミノマトリクス

          最終更新日時:   2021年3月17日 今回は、「七福神」をテーマに七福神にまつわる「七福神めぐり」や歴史などをお伝えしていきたいと思います。 御朱印参拝の際や、お散歩の際に「○○七福神めぐり」などのキャンペーンや参拝案内などが最近ではよく見かけるようになっています。 さっそく七福神のことについて深堀りしていきたいと思います。 チェックポイント 今回は「七福神」をテーマにお伝えします。 お散歩にテーマを加えたいなと思ったり、ご利益をいただきたいなと言う人にもおすすめです。 七福神を知ったかぶりになっている人にとっても満足できる内容となっています。 目次 目次 「七福神」とは? 各神様は何の神様? 七福神の真言 真言とは? 七福神の宝船(たからぶね) 七福神メンバーと八福神 室町時代初期「七難即滅七福即生」 七福 江戸時代にメンバーの固定化と普及 七福神と福神漬け 八福神 宇賀神(男弁天)

            「七福神」とは?|知っているようで知らない七福神のこと - ウミノマトリクス
          • 豊臣秀頼は生きていた⁉︎薩摩でピタリと符合する生存説。大坂城からの脱出方法は? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

            歴史上の人物には、なぜか生存説がついて回る。 今をときめく『麒麟がくる』でおなじみの明智光秀。彼は徳川家康のブレーン、南光坊天海(なんこうぼうてんかい)となって長寿を全うした。いやいや、世界を巻き込んでなら、源義経はじつはモンゴル帝国の創建者、チンギス・ハーンだったなんてものまで。 死んだことを信じたくない、そんな願望から出た噂なのか。それとも、火のない所に煙は立たぬ……なのか。 どちらにせよ、生存説にはそれなりの根拠がある。 まず、死亡時の状況が明確でない場合には、生存説が出る可能性が高い。だって、死体がないんだもの。そりゃ、ひょっとしたら、生きてるかもってなるじゃない? 一方で、たとえ死体があったとしても、やっぱり生存説が出ることも。この理由は、ズバリ影武者の存在。影武者がいるとなれば、当然、本人は別の場所でピンピンしているワケで。死亡という事実に疑いが残る。 死んだのになぜか死んでな

              豊臣秀頼は生きていた⁉︎薩摩でピタリと符合する生存説。大坂城からの脱出方法は? | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
            • 島津義弘の戦歴(3) 異国での戦い、関ヶ原からの生還 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

              九州を席巻しつつあった島津氏だが、天正15年(1587年)5月に豊臣秀吉に屈服した。これ以降の島津義弘(しまづよしひろ)の戦いは、豊臣政権下でのものとなる。 天正15年8月から「島津義弘」と名を改める。それまでは「島津義珍(よしまさ)」と名乗っていた。島津義弘の「強さ」のイメージは、老境に入ったこの頃以降の戦いぶりからきているようにも思う。朝鮮の泗川(サチョン)の戦いのときは63歳。関ヶ原の戦いは65歳での参戦だった。 その戦場での凄みは、経験によるところが大きいと思う。なんといっても、踏んできた場数が多いのである。若い頃から厳しい戦場に身を投じ、そして生き抜いてきた。その中で「戦場での感覚」が研ぎ澄まされた、という感じだろうか。 豊臣政権下の島津氏 豊臣家に従う島津義弘、距離をおく島津義久 島津義弘が栗野に移る 文禄の役 日本一之遅陣 梅北一揆 転戦 島津久保の死、島津忠恒が後継者に 島

                島津義弘の戦歴(3) 異国での戦い、関ヶ原からの生還 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
              • 『図説 中世島津氏』(編著/新名一仁)、島津氏の中世史はずっと戦乱 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。

                これ、素晴らしい一冊だ! 帯には「戦後初の中世島津氏本格的通史!」の文字。そのとおりの内容となっている。「ずっとこんな本が欲しかった」と、個人的に思っていた。 『図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル』 編著/新名一仁 発行/戎光祥出版 2023年10月発売 (C)EBISUKOSYO PUBLICATION CO.,LTD. 2023 図説 中世島津氏 九州を席捲した名族のクロニクル 戎光祥出版 Amazon 戎光祥出版のホームページはこちら www.ebisukosyo.co.jp 島津氏の歴史は長い。12世紀末に惟宗忠久(これむねのただひさ)が南九州に所領を得たことに始まる。島津荘(しまづのしょう)の地頭職に補任されたことから「島津」を名乗りとした。この島津忠久(惟宗忠久)から、島津氏の南九州支配は明治維新まで続くことになるのである。 『図説 中世島津氏』では、島津氏の歴史

                  『図説 中世島津氏』(編著/新名一仁)、島津氏の中世史はずっと戦乱 - ムカシノコト、ホリコムヨ。鹿児島の歴史とか。
                • 【お寺の掲示板73】こんなにやってあげてるのに

                  浄土真宗本願寺派僧侶。1976年福岡県北九州市生まれ。早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。ドイツ・デュッセルドルフにある仏教寺院「ドイツ惠光寺」に2011年から17年まで駐在。 「輝け!お寺の掲示板大賞」の企画・立案者。http://www.bdk.or.jp/ 「お寺の掲示板」の深~いお言葉 お寺に行くと、行事案内と並んで、住職が書いたと思しき標語を見かけることがある。そこに書かれている一言は、お釈迦さまの逸話だったり、仏典から引かれた句であったり、心に響く有名人の言葉だったりと、実にさまざまである。 一見すると、意味不明で破天荒に見える言葉の奥にも、仏の教えや人生の導きとなるような含蓄が潜んでいるかもしれない。公益財団法人仏教伝道協会が初めて主催するプロジェクト「輝け!お寺の掲示板大賞」の応募作をご紹介しながら、世相を表す標語とその仏教的な意

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