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  • なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび

    若狭地方が滋賀県だった時期 滋賀県庁に何度か行ったことがある。お役所の常として、本館に新館にそのまた新館に、といくつかの建物に分かれているのだが、そのうちの「新館」の入口には、滋賀県が福井県南部――嶺南地方を編入していたときの地図がでかでかと掲示されていた。滋賀県の歴史を伝える貴重な資料ということのようなのだが、どうにも心がざわついてしまう。言うなれば首相官邸の入口に、朝鮮半島や台湾を占領していた時代の地図を掲示しているようなもので、福井の人間が怒らないだろうか、と心配になってしまう。 嶺南というのは、文字通り山嶺の南側という意味で、具体的には敦賀市と南越前町とを隔てる木ノ芽峠の南側である。令国制でいう若狭国――現在でいう小浜市、三方郡、大飯郡、三方上中郡はすっぽりこの嶺南に収まるが、同じく嶺南である敦賀市は越前国となるため、嶺南すなわち若狭というのは正確ではない。ちなみに、残る木ノ芽峠の

      なぜ若狭地方は滋賀県だったのか – 別冊びびび
    • 「晴れのち時々ミサイル」「補償?そこに無ければ無いですね」〜日本列島から自由が消える日”平和主義国家”日本の戦時下in令和~(20240722加筆)|枢密院勅令

      「晴れのち時々ミサイル」「補償?そこに無ければ無いですね」〜日本列島から自由が消える日”平和主義国家”日本の戦時下in令和~(20240722加筆) 急遽予定変更して、緊急特別記事をお送りします。画像出典:АрміяINFORM まことに愚かな国が侵略戦争を始めた。 「愚かな国」といえば、地球最大の面積と地球最小の道徳を誇るロシア連邦に勝る国は無いであろう。レーニン像が恥辱のあまり崩れ去ってから30年、偉大なソビエト連邦の遺産といえば核兵器と天然資源しか無かった。 実に滑稽なことに、今まさに彼らはその遺産の全てを賭けて、男性器でピアノを弾いていた男が治める国を葬ろうとしている。大祖国戦争の英雄都市キーウを爆撃し、かつてはソ連人民だった者達を戦車の履帯でみじん切りにして、古臭い五芒星の赤旗の染料にしている。耐用年数切れの白熱電球のような輝きを前頭部から放つクレムリンに住む独居老人(70)がど

        「晴れのち時々ミサイル」「補償?そこに無ければ無いですね」〜日本列島から自由が消える日”平和主義国家”日本の戦時下in令和~(20240722加筆)|枢密院勅令
      •  「表現の不自由」と闘った女たち | 47NEWS

        Published 2019/09/27 08:00 (JST) Updated 2019/09/30 10:17 (JST) 「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐって、政治家の発言が波紋を呼んだ。河村たかし名古屋市長が中止を求め、当事者ではない黒岩祐治神奈川県知事までが、自分なら「開催を認めない」と発言して物議をかもした。黒岩知事はフジテレビの元キャスター。仮にも報道する側にいた人が、表現を抑圧する側に立とうというのだろうか。 戦前の知事職は官選で、内務省という最強の官庁を後ろ盾としていた。その内務省は、検閲という強大な権力を用いて表現の自由を圧殺した。黒岩知事の発言は、官選知事の姿に重なる。 1世紀以上前、1911年9月に創刊された『青鞜』メンバーの「表現の不自由」との闘いは参考になるかもしれない。 『青鞜』は、女の手になる女だけの文芸誌として出発し

           「表現の不自由」と闘った女たち | 47NEWS
        • 【連載】国史大系をひもとく:第一回 国史大系とはどんな史料集か? | 教育と研究の未来

          吉川弘文館では、さまざまな史料集を出版してきました。なかでも、黒板勝美によって編纂された「新訂増補 国史大系」は、35年の歳月をかけた大事業であるとともに、日本史研究の根本史料として高い評価を得てきた、日本国内随一の史料集です。その「新訂増補 国史大系」がいよいよJKBooksシリーズとして刊行されました。刊行を記念して、「新訂増補 国史大系」の魅力を連載形式でご紹介します。 以下の図は「新訂増補 国史大系」全58書目について、縦軸に時代区分や年代、横軸にはJKBooksのために分類したジャンル「歴史」「歴史物語」「説話」「伝記」「法制」「補任」「系図」の区分に従って一覧化したものです。今回はこちらの図をもとに「国史大系」についてご説明します。 図:【第3次】新訂増補 国史大系(黒板勝美編/国史大系編修会編、1929-1964、吉川弘文館)の書目分類 「大系」という造語 特定の分野の書物・

            【連載】国史大系をひもとく:第一回 国史大系とはどんな史料集か? | 教育と研究の未来
          • 外山文子『タイ民主化と憲法改革』 - 西東京日記 IN はてな

            ここ数年、欧米ではポピュリズムの嵐が吹き荒れています。「ポピュリズム」がいかなるものかということに関してさまざまな議論がありますが、「法の支配」や「司法の独立」といった概念への攻撃がその特徴としてあげられることがあります。 これはリベラル・デモクラシーを、国民の意志を反映するという「民主主義」要素と、エリート間の相互抑制を重視する「自由主義」要素の結合と考える見方からすると(この考えについては待鳥聡史『代議制民主主義』(中公新書)が説明している)、ポピュリズムにおいては「民主主義」が肥大化して「自由主義」を圧迫していると見ることができるかもしれません(ハンガリーのオルバン政権やポーランドの与党「法と正義」などはその典型)。 しかし、一方で途上国、あるいは新興の民主主義国では、政治化した司法が民主主義を抑え込むという展開も見られます。「アラブの春」で成立したムルシー(モルシ)政権を引きずり下

              外山文子『タイ民主化と憲法改革』 - 西東京日記 IN はてな
            • 英語版『かわいそうなぞう』の矛盾が気になる

              GWも何事もなく終了し、仕事に追われまくって明けの木曜、金曜も過ぎ…今日も明日も仕事だぜ!あはははは(´・ω・`)。 そんな人並みに忙しい毎日ですが、続けてますよ!音読500回プロジェクト。 新中3生の新英語教科書を使って、中学生並みの英語力を叩きなおすこの企画! ついに3周目に突入しました! ここまでいくと「スムーズに読む」ということは何の問題もなく、英文そのものの文法や、単語熟語のニュアンスの違いにも気づく、と先だって書いたわけですが、今回はちょっと困った事態が発生したので、ご報告します。 英語版『かわいそうなぞう』を読む この教科書のReading1には、かつてコラムニストの故・秋山ちえ子さんが8月15日に朗読していた『かわいそうなぞう』の英訳が出てきます。 時は、空襲が激しくなった戦争末期… 動物園から猛獣が逃げたら大変だ!と殺処分がきまったジョン、トンキー、花子(ワンリー)の運命

                英語版『かわいそうなぞう』の矛盾が気になる
              • 「大阪都構想の危険性」に関する学者所見(2020)|藤井 聡

                (10月21日現在、計132人分) 「大阪都構想」、すなわち「特別区設置協定書」に基づく大阪市の廃止と四分割については、大阪市民の暮らしや都市の在り方に直結する様々な「危険性」が、行政学、政治学、法律学、社会学、地方財政学、都市経済学、都市計画学等、様々な学術領域の研究者から数多く指摘されている。 しかしながら、マスメディアではそうした「危険性」についてはほとんど論じられておらず、イメージ論が先行した議論が繰り返されている。このままでは、大阪市の廃止・分割という不可逆的な決定を迫られる住民投票において、大阪市民が適正な判断を行うことが著しく困難であることが強く危惧される。今求められているのは、危険性、リスクを明らかにしたインフォームドコンセントなのである。 こうした実情を鑑み、大阪市民が理性的判断を下す支援を行うことを企図して、「都構想」が大阪市民の暮らしや大都市大阪そのものに及ぼす「危険

                • 伊勢神宮神領地域の廃仏毀釈と、長期間の遷宮の中断に終止符を打った慶光院

                  伊勢神宮の神領地域に多数の寺があった 伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀り、歴史的に皇室・朝廷との結びつきの深い神社であるが、かつてこの神社は仏教との関係が深く、周辺に多くの寺が存在したという。 大正十三年に出版された利井興隆氏の『祖国を憶ひて』という書籍にはこう記されている。 我が国家的中心たるあの伊勢の大廟を、仏教を離しては判らないと、鷲尾順教氏は言うております。これを聴いたならある人は驚くかも分かりませんが、少し史実に明るい人なら容易にうなづく事が出来るであろうと思います。伊勢の内宮外宮に寺が百八十九、尼寺が二十一あって寛文十一年(1671年)十一月十四日に焼失しました。大神宮と仏教との関係の深いことはこの一事を以ても知られます。しかるにその後、山田の奉行桑山下野守はこれが再建を禁じました。仏教排斥の意味をそこに見ることが出来ます。 (利井興隆 著『祖国を憶ひて』一味出版部 大

                    伊勢神宮神領地域の廃仏毀釈と、長期間の遷宮の中断に終止符を打った慶光院
                  • 廃仏毀釈で寺宝を奪い取り、売却して私腹を肥やした県令がいた

                    新政府から派遣された県令の誰もが、公明正大な行政を行っていたわけではない。中には権力を用いて文化財を私物化する者もいた。 県知事が寺院の名品を収奪することもあった。二代目の奈良県県令であった藤井千尋も積極的に開明政策を進めた。特筆すべき施策は、東大寺を会場にして奈良博覧会を開き、法隆寺や東大寺など各社寺の宝物類、旧家や好事家の所蔵品のほか商工業製品、名産品等を陳列した。数回にわたって開催された奈良博覧会によって、彼は各社寺に伝来する名品に精通していたのであろう、吉野郡某寺所蔵の「文治元年源義経」と銘のある五~六寸の金銅製観音を私物化し、真宗僧侶に無償で与えてしまった。 (同上書 p.33) 藤井千尋は初代県令の四条隆平の後を継いで、明治六年十一月から明治九年四月まで奈良県令を勤めた人物である。前回の歴史ノートで明治六年(1873年)七月十七日に教部省が、社寺にある物品を勝手に処分することを

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                    • 沖縄戦で優しさと権力者の一面をみせた島田叡・沖縄県知事~多磨霊園に眠る著名人④ - 北穂高岳で味わう至福のひと時

                      島田叡(あきら)沖縄県知事(撮影者不詳) 78年前のアジア太平洋戦争で、上陸してきたアメリカ軍と日本軍とで地上戦が行われ、沖縄県民の4人に1人が死んだ沖縄戦(おきなわせん)――。その時に沖縄県知事だった島田叡(あきら)知事のことを調べました。 写真は、「鉄の暴風」で破壊されつくした首里城の城壁。後ろは首里の街。1945年5月、米海兵隊撮影。(沖縄県公文書館所蔵) 「職務」とはいえ、14歳という現代の中学生まで戦場にかり出して早死にさせた知事の責任を問う意見がある一方で、「生きろ」と言って、死の淵に立たされていた部下に「生きる」という道を設定した優しさを強調する映画もつくられています。 島田叡に対する評価はさまざまです。(以下、敬称略) もくじ 前任者が逃げた「知事」ポストを引き受けた男 「断わるわけにはいかん」 「職務」から14歳以上の生徒を動員した島田知事 知事が「轟の壕」で県庁を解散し

                        沖縄戦で優しさと権力者の一面をみせた島田叡・沖縄県知事~多磨霊園に眠る著名人④ - 北穂高岳で味わう至福のひと時
                      • 河井事件の原因は岸田氏の地元での指導力欠如

                        河井夫妻の事件について、私は法務大臣まで経験した政治家を、「従来の公選法の罰則適用の常識からすると異例と言える」(郷原 信郎)罪状で逮捕するのは、感心しない。黒川検事長の賭け麻雀でなくとも世の中には、法文上は罪に問えるかもしれないが、警察も検察もそれをしてこなかった事案は多い。それを、政治的な色彩が強い人物や事案において立件するのは司法の政治介入になりかねず、しっぺ返しにもつながりかねないと思うからだ。 しかし、なぜこういう極端な形で資金が撒かれることが起きたかだが、広島の地方政治を知らないひとにとっては、不可思議だろう。そこで、二年前に出版した「47都道府県政治地図 」(啓文社書房)の広島県の項の一部を紹介するとともに、解説をしたい。 戦後広島県の政治 全国の県議会議長で実力者といわれる政治家がいるが、広島県議会にも檜山俊宏議長という大実力者がいた。1991年から2003年まで議長をつと

                          河井事件の原因は岸田氏の地元での指導力欠如
                        • 「大阪都構想の危険性」について学者・医師が喚起 全国の学者130名から所見集め記者会見 | 長周新聞

                          大阪市を廃止し4つの特別区に分割する「大阪都構想」の2度目の住民投票(11月1日投開票)の告示を受けて11日、関西の学者・研究者たちが「大阪都構想」の危険性を明らかにするための記者会見を大阪市内で開いた。会見には多彩な分野の学者や医師26名が出席し、それぞれの専門的見地から大阪都構想の危険性について意見をのべた。 はじめに呼びかけ人である藤井聡・京都大学大学院教授が会見の趣旨を説明した。「大阪市の廃止と4分割については、大阪市民の暮らしや都市のあり方に極めて大きな危険性があることが、行政学、政治学、法律学、社会学、地方財政学、都市経済学、都市計画学等、さまざまな学術領域の研究者から数多く指摘されている」とし、「医療においては事前に医師からリスクの説明を受けて同意するというインフォームドコンセントが原則であり、大手術ともいえる今回の都構想も、しっかりリスクを認識したうえで理性的な判断が求めら

                            「大阪都構想の危険性」について学者・医師が喚起 全国の学者130名から所見集め記者会見 | 長周新聞
                          • 血と涙を流し歩んだ20余年。「明治憲法制定」と「統帥権独立」で何が起きなかったか | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                            はじめに 明治元年3月、まだ江戸開城交渉が妥結していなかったとき、明治天皇は 「広く会議を興し、万機公論に決すべし」 と、天地神明に誓いました。このとき撒いた種が芽生え、育ち、花開き、実を結ぶまで20年以上をかけて数々の段階を踏んできました。 それが現実のものとなったのが、明治憲法の制定と国会の開設です。 多くの血と涙を流しながら歩んできた20年余の足取りを、たどってみましょう。 やっと「公議」が実現したけれど まず明治新政府は明治元年閏4月21日(1868年6月11日)に政体書を公布、「天下ノ権力総テコレヲ太政官ニ帰ス」ことを宣言しました。今後は政令すべて太政官(ダジョウカン)から発せられるということです。そして、太政官制の下で立法、行政、司法の三権を分立すべきことを政体書に盛り込んでいました。このとき江戸開城で戊辰戦争は終結すると期待していたんじゃないかと思われますけれど、東北・北越戦

                              血と涙を流し歩んだ20余年。「明治憲法制定」と「統帥権独立」で何が起きなかったか | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
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