真に謙虚な者は傷つくという傲慢さがない:キリスト教の言葉? これはある女性から伺った言葉ですが、一聴、意味が取りにくかったです。この女性はキリスト教の信者らしかったので(日系ブラジル人)、その線の言葉かと思いました。(すなわち聖書起源) 表題の言葉で言えば、「謙虚」と「傲慢」という相反する要素が綯い交ぜになっている人格を批判する言葉なのだと思います。本当に「謙虚」なら、何か人にしてあげて、相手がその意図に反する行為をしても、特に傷つかないはずですが、「傲慢」な要素が混じっていたら、大いに傷つく、と言った具合になるのだと、例の女性は言っていたのだと考えます。 考えるに、この言葉の核心は「傷つくという傲慢さがない」というあたりでしょう。この言葉に酷似している表現が、『老子』に出てきます:「仁や義を振りかざして」人を教化しようという態度が鼻につき、もし他人が聞かないようなら、振りかざす人の自尊心