ある種の手向けの話。よって「復活の日」準備日記、の冠は外した。 * 宇都宮市の東部を南北に鬼怒川が流れる、東西に水戸街道、国道123号線が横切って走る、2本かかる橋、うち北側が旧大橋、南側が新しい大橋である。東野と東武と国鉄のバスは旧道を走った。旧道沿い、橋を東に渡りきったあたりから鬼怒大島というバス停とともに小さな街道町が開け、左手に杏林堂藤田医院、右手に旧鈴木金平酒店、左手に釣具店と絹島屋と洋品店、再び右手にデイリーヤマザキと松本接骨院、おおまかにそんな配置。間にあぜ道と水田とバス停。 * うちのばあさんの本家筋が和菓子の絹島屋である。昭和54年ごろから僕はさらに東の坂を上った村落からバスで市内の学校に通った。そんなわけで景色はいまでも鮮明に頭に焼き付いている。宇都宮東武から、宇都宮農業短大までが片道290円、益子までが610円だった。毎年ストと10円20円の値上げが行われていた時代の