江戸時代初期から町奉行支配地となっていた田町は、1829年には、東海道沿いに一丁目から九丁目まである細長い町場となっていました。 町場は街道沿いに限られており、第一京浜(国道15号、江戸時代の東海道)と日比谷通りが分岐する三差路の付近が一丁目、第一京浜沿いの御田八幡(みたはちまん)神社や三田郵便局の辺りが九丁目でした。 田町の地名の由来はほかにもあって、近くの御田八幡神社(この神社が三田の地名の由来となった)の門前町なので御田町と呼ばれ、それが田町となった、とする説もあります。 明治初頭には「芝」エリアの田町の意味で「芝田町」と改称。その後、住居表示の統合により「芝田町」の地名は失われてしまいました。ということで、現在は駅名だけが古くからの歴史的地名を伝えている、ということになります。 埋め立て地に誕生した新駅 田町駅が存在する品川~新橋間の鉄道は、1872(明治5)年にわが国初の鉄道とし