馬鹿の一つ覚えみたいに論理の時代だ知識の時代だとソクラテスの時代から言ってるけどよ 坂本龍馬ですら言ってたぞ いつになったら来るんだよ?w いつの時代もインテリは上流階級にはなれねーよ パソコンネットだって携帯DQNに人数的にも完敗だしな DQNが増えるばっかり くるくる詐欺じゃん
馬鹿の一つ覚えみたいに論理の時代だ知識の時代だとソクラテスの時代から言ってるけどよ 坂本龍馬ですら言ってたぞ いつになったら来るんだよ?w いつの時代もインテリは上流階級にはなれねーよ パソコンネットだって携帯DQNに人数的にも完敗だしな DQNが増えるばっかり くるくる詐欺じゃん
小中高の時に体育の授業でやることがないと サッカーか野球をよくやらされた 周りの人達はどうだったか憶えてないけど、正直自分はどっちも興味が無かった ルールも全然把握してなくてオフサイドとか未だに分からない 高校ぐらいになると適当に突っ立ってるだけで問題ないのだけど、 小学校、中学校ぐらいだとちゃんとやろうとしてもすげー文句言ってくる人が必ず居て そういう人は大抵野球部とかサッカー部で 今思い出すと非常に鬱陶しい だけど当時の感情としては多分悲しいとか切ないとかそんな感じ なんでこんなに文句言われなくちゃいけないんだろう 何でサッカーとか野球やってるだけで偉そうにされなきゃならないんだろう 実際スクールカーストって小学生だとサッカークラブとか野球クラブに入ってる人達が頂点だった気がする 中学生になるとバスケ部辺りもそうだったかな まぁ所謂モテる部活と一緒なんだけど 別にあの頃から非モテだった
人生の意味がわからない以上、意味ある行動・意味のない行動の区別なんてないはず。 おれ、意味のない行動なんてしたくないと思ってたけど、たぶんその考えって間違いだ。 意味を求めて行動することは無理なのかな? なんかそう考えると、行動する気がなくなってくんだよね・・・ 行動すること自体に価値があるとかよく分からないことを言って自分を駆り立てて生きていかなきゃなんないのかな?
宇宙飛行士をあきらめ、野球選手をあきらめ、初恋をあきらめ、東大進学をあきらめ、工学部をあきらめ、博士をあきらめ、大学院をあきらめ、脱童貞をあたりめ、一流企業をあきらめ、新卒入社をあきらめ、専門職をあきらめ、正社員をあきらめ、派遣社員をあきらめ、現在に至る
フランス人が仏花くれた。仏蘭西だけにね、ってことではなくて、彼が言うには 「百合と菊だから」 国花ね。一瞬分かんなかったわ。 好意のあらわれなのは、わかるけれども、驚きと笑いが先に立ってしょうがなかった。 なんのいやがらせかと思ったからね、マジで。
自分自身がいろいろ不器用なこともあって、自分は人に対して割と受容的な人間だと思うんだけど なぜだか付き合いが長くなったり、普段一緒にいることが多いやつに対しては 段々とうざったく感じるようになってしまう。妙に相手に対して批判的なってしまうっていえばいいのかな。 例えば、相手が言ってきたことに対して根拠もなくいちいち反感を感じてしまったり いままでは許せた相手のささいな欠点がすごい気になったり 楽しい会話をしようっていうサービス精神が湧かなかったり等々。 普通は相手が親しくなるほど、相手を好ましく感じるはずだと思うんだけど 自分が親しい相手ほどうざったく感じてしまうのはなぜだろ? 付き合いが長くなることで悪いところが見えてくるからとか 新鮮味がなくなるとか そういう所もあるんだろうけど、それだけではないと思うんだよなあ。 あまり態度には出さないように努めているから、これが原因で仲違いしてしま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く