ブックマーク / suumo.jp (4)

  • 仕事の休憩時間を存分に楽しませてくれる街——神保町 - SUUMOタウン

    著者: 山口 周 半蔵門線の新駅「神保町」 かつて、東京メトロ半蔵門線はたった5駅しかない小さな路線であった。渋谷-表参道-青山一丁目-永田町-半蔵門で終わり。それが三越前まで4駅延び、神保町を通るようなったのは1989(平成元)年、私が中学2年のころである。 田園都市沿線に実家があった私は、自宅から乗り換えなしで神保町へ出られるようになった。真新しい駅のホームの壁面には、積まれたイラストがあしらわれ、「の街」をアピールしていた。今もホームの壁面はそのまま同じ絵だ。 今も変わらぬホームの壁面 中野書店・漫画部と欧風カレーボンディ 神保町はカレーの街、B級グルメの街でもあるが、それは大学生になってからのこと。事を自宅でべる中高生にとって、神保町へ行く目的は純粋に“を買う”一択で、買ったを喫茶店で優雅に読むことすらほとんどなかった。 主にマンガを買うことが目的で神保町へ出かけてい

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  • 大きくなったら住みたかった街「大宮」で、思い出を重ねて暮らす - SUUMOタウン

    著: かしみん 「大きくなったら大宮に住む」 小学1年生のころからの夢は、ケーキ屋さんでも宇宙飛行士でもなく、大宮に住むことだった。しかも、ただの大宮ではなく、「東口にある氷川神社の参道か、大宮公園の近くがいい」というこだわりよう。 そして、幼いころからの夢は22歳にしてかなった。かなえてくれたのは、付き合っていた彼氏。かなったといっても、成り行きで住むことになったのではなく、私がわがままを言って“かなえてもらった”んだけれども。憧れの大宮での生活は、同棲という形でスタートした。 なぜこれほどまで大宮(それも氷川神社の参道か大宮公園らへん)にこだわっていたのだろう。明確な理由は、今でも分からないけれど、ただ、父との思い出が影響していることは確かである。 私のルーツは大宮にあり 私は父子家庭で育った。5歳で両親が離婚し、いろいろあって父と住むことになった。家族は、父のほかに妹がひとり。二世帯

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  • 「上野」の良さをひたすら語る ~四季のある街、上野・浅草~(寄稿:ヨッピー) - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 当時サラリーマンをしていた僕に、引越しのタイミングが訪れた。 僕が働いていた会社の事業部が上野に移転することになり、それに伴い下っ端社員であるところの僕も引越す必要が出たのだ。「じゃあどこに住もうかな」という事で頭を悩ませていたのだけど、残念なことにそのころの僕は『殺し屋1(イチ)』という漫画にハマっていたのである。 殺し屋1は「ヤクザマンション」と呼ばれる、ヤクザの事務所ばかりが入居する歌舞伎町のマンションを舞台に、抗争というかドロッドロの殺し合いが繰り広げられる漫画だ。「ヤクザマンション、超面白そうじゃん!」と思っていた僕は、引越しのタイミングで歌舞伎町のド真ん中の賃貸マンションの空き物件を探し出し、「ここに住みます」と、会社の総務部に申請したのである。もちろん、めちゃくちゃ怒られた。 「何を考えてるんだ」 「コンプライアンス上問題がある」 「そもそも上野に通うのに歌舞

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  • ごろごろ、神戸 - SUUMOタウン

    文と写真 平民金子 十数年住んだ東京から神戸に引越して一年がたった。メリケンパーク、ハーバーランド、北野異人館、南京町中華街、三宮、元町、有馬温泉宝塚歌劇といった、ガイドブックに掲載される華やかなイメージを、引越す前の自分もどこかに持っていたとは思う。けれどそういった新生活にまつわる甘い予感は、神戸暮らしと同時期に始まった子育てのいそがしさによって全て追いやられた。寝て起こされてはオムツ替え、寝て起こされてはオムツ替え。そして子どもの機嫌取り。合間にこなす家事雑事で一日が暮れていき、読書映画鑑賞、酒場通い、ふらっと旅に出る事、好きだったことがらが一つ一つ、自分から遠ざかって行くのが分かる。 赤ちゃんという10キロ近い「重り」を抱えての暮らしは、引越し前にイメージしていたものとかけ離れ、家と近所の公園の往復だけで精一杯。ヨメさんと子ども、犬一匹。新生活にそなえて買った「るるぶ」を棚の上に

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