● ドストエフスキーのいる現代ロシア文学 望月哲男 目次 はじめに I ドストエフスキー受容の諸相――評論と文学研究から 1. 評論の事例から 2. 文学研究の事例から II ドストエフスキー文学の現代的展開 1. ドストエフスキー・テーマの変奏 a)現代の地下室人:Iu.マムレーエフ『ある個人主義者の手帳』(1986) b)ポスト全体主義の地下室:V.マカーニン『アンダーグラウンドあるいは現代の英雄』(1998) c)宗教と生命のテーマ:Ch.アイトマートフ『処刑台』(1986) d)ロシア論の文体:D.ガルコフスキー『果てしない袋小路』(1995/1997) 2. ドストエフスキー論のある現代文学 a)反ユダヤ主義批判:F.ゴーレンシテイン『ドストエフスキー論争』(1990) b)イデオロギー批判の反転:Iu.クワルディン『戦場はドストエフスキー』(1996) c)文学の呪縛:V.ピエ
評論『トマス・ハーディ研究』において、ロレンスは独自の哲学を展開している(正確に言うと、『王冠』と類似の理論を展開している。『王冠』より早いか、ほぼ同時である)。とりわけ、キリスト教の三位一体論を活用した極性論は東洋の陰陽論に似るが、世界文学(西洋文学)から例をあげて、具体的に論じている。 簡単に言うと、 「父」(旧約)=「法」=身体(肉体)=闇 VS 「子」(新約)=「愛」=精神=光 という根源的な絶対的対立・矛盾があり、それを調和させるものは「聖霊」である。これは、『王冠』と同じであるが、『王冠』よりは具体的に論じられている。 これをPS理論的に解読すれば、「父」は凹(-1)と凸(+1)ではないだろうか。そして、「子」は凹i(-i)と凸i(+i)のように思える。言い換えると、実軸と虚軸の対立である。そして、「聖霊」はmedia pointということになるだろう。 また、興味深いのはFl
西洋政治思想史においてポリスの市民は常に理想的な政治的人間像として描かれてきた。その源泉は名高いペリクレスの『葬送演説』に求められる。この演説は、西洋の輝かしい民主主義を支えるべき人間像を提示したものとして典範としての位置を占めている。自らは貴族の出自でありながらも、ペリクレスは台頭しつつある平民に政治参加への道を開く制度改革を敢行し、アテナイ民主制の黄金時代を築いたのである(1)。確かにそこには今に至るまで民主主義の基本的理念として保持されている幾つかの考え方が提示されている。第一に、法の下の平等(isonomia)と民会で自由に発言する権利(isegoria)が保証されていること。「わが国においては、個人間に紛争が生ずれば、法律の定めによってすべての人に平等な発言が認められる(2)。」第二に、市民権を獲得さえすればその出身の如何に関わらず平等であること。「われらは何人にたいしてもポリス
フリーティケットシアター全サービス終了 誠に勝手ながら、「フリーティケットシアター」のサービス提供を 2016年3月31日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご愛顧を賜り、誠にありがとうございました。 http://www.freett.com/
倫理学風研究に戻る / 生命倫理学用語集 / トップページに戻る 哲学・倫理学用語集 はじめに あいまいで無意義な語法や言語の誤用が長く学の秘義とされてきて、 ほとんど、あるいはまったく無意味な、難解もしくは不正な言葉が、 長い慣行で深遠な学識・高邁な思索と間違えられる権利を得てしまったので、 そういう言葉を話す者にせよ聞く者にせよ、そうした人たちを説いて、 それらの言葉が無知をおおい、 真の知識を妨げるものに過ぎないと承服させることは容易でないでしょう。 ---ジョン・ロック あらゆる学問のさけられない運命なのか、 哲学や倫理学の本においても、 われわれ一般人にはわかりにくい単語が多用されています。 多くの一般人は、哲学や倫理学の本を読もうとして、 「物自体」とか「実在」とか「表象」とか、 生まれてこの方見たこともない単語を目にして気を失なってしまうか、 あるいは「これは日本語ではない」
『英文學』第88號(早稻田大學英文學會、平成16年9月)、23〜33頁 ファウスト的自我の運命――マーロウ、ゲーテ、バイロン 岡田 俊之輔 ヨーロッパの中世と近代とは決定的に違ふ。何處が違ふか。いはゆる中世闇黒史觀によれば、中世の人間は神の奴隸に甘んじてゐたけれども、時代が下るに連れて、奴隸が徐々に自己を主張し始め、主[あるじ]と張合はうとする者も出て來た。やがて人間は、神の恩寵や教會の指導が無からうと、人間だけでも相當の事が出來る、いや、神の御業にも比する程の創造すら可能ではないかと思ひ做すに至る。それが近代のヒューマニズムである。ヒューマニズムといふ言葉には樣々な含意があり、ギリシア・ラテンの古典的學藝あるいは廣く人文學一般を重んずる姿勢を指す事もあれば、果ては人道主義と混同される事すらあるが、ここに謂ふヒューマニズムとは何よりもまづ人間の尊嚴を擁護しようとする態度、延いてはその窮極の
This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.
Infoseek, およびInfoseekロゴは 楽天株式会社の商標です。 これら以外のマークは、それぞれ関係各社の商標および登録商標です。 Copyright (c) Rakuten, Inc. All Rights Reserved.
■欲望と資本主義 資本主義とは何か? ここかしこに散在し濫流する商品の流れ、無類の機械化された生産力。加速される競争、時間。逼迫する運動性とそれが生みだす勝者と敗者。脱落する者たち。烈化する速度のなかであたかも空洞へとくり抜かれ、過剰さと稀薄さを併せもたされて、それに喘ぐ人々の生活。一方での冷徹な支配と計算高さ、そして他方での暴力的野蛮と賭博性。禁欲と享楽の共存と相補。しかしその狭間でなお声をひそめるささやかな幸福の、無数の沈黙。 資本主義は<すべて>である。私たちの最初に資本主義があった。資本主義はここに存在する。資本主義はそこかしこに存在する。そして資本主義とは私たちであり、資本主義は私たちを<使って>自らを表現し、私たちとなりすまして地を覆う。 資本主義とは何か? その問いにおいて強く理解せねばならないのは、文字どおり私たちの立ち振舞いの<すべて>が資本主義だということだ。まず最初に
トロッキー/スターリン ロシア赤軍総指令官レオン・トロッキー——レフ=ダヴィドヴィチ・ブロンシュテインは、その卓抜した技術家的作戦配置能力によって、一九一八年五月以降、英・仏・日・エスエル・白衛軍等多岐膨大な軍事力によるロシア革命包囲戦線を奇跡的に粉砕し、また文筆家、ジャーナリストとしても、典雅かつ雄大なスタイルによって、大きな評価をものにしていた。しかし他方での、対独講和と対スターリン闘争において露呈した、まったき優柔不断さと、いかなる悪意とも永久に無縁の度しがたい脳天気的気分も、また根深く自身の特質とし、それらによって彼は、テクノロジーが倫理的力能を運搬しえたマルクス的生産諸力と反ロマン主義の果てしない幸福時代を、歴史の最高の高みにおいて、一身に体現したのである。じっさい革命家としては遂に二流であったとしても、超一流の伝記作家であった彼が、レーニンについての記述☆一で幾たびとなく誇らし
SRC Winter Symposium Socio-Cultural Dimensions of the Changes in the Slavic-Eurasian World ( English / Japanese ) 精神分析によるロシア文化の新たな読解 ―I・スミルノフ、A・エトキントを中心に― 貝 澤 哉 (早 大) Copyright (c) 1996 by the Slavic Research Center( English / Japanese ) All rights reserved. 1. 80年代終わりから90年代にかけて、ロシアの文化研究のさまざまな分野で、これまでのロシア研究の常識的枠組みを脱し、その批判的な組み換えを めざす仕事が表面化するようになってきた。これには80年代後半からの、欧米のロシア研究や現代思想の成果の輸入、亡命研究者の帰還などが大きな
ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動のひとつである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。 ドラクロワ『アルジェの女たち』(1834年、ルーヴル美術館所蔵) ロマン主義は教条主義、古典主義の対概念としてとらえられるもので、アメリカの哲学者・アーサー・オン
The relevance of particular information in (or previously in) this article or section is disputed. The information may have been removed or included by an editor as a result. Please see discussion on the talk page considering whether its inclusion is warranted. (May 2024) Caspar David Friedrich, Wanderer above the Sea of Fog, 1818 Eugène Delacroix, Death of Sardanapalus, 1827, taking its Orientali
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く