4月の東京都江東区長選でのインターネット広告を巡り31日に副法相を辞任した柿沢未途氏は、過去にも複数のトラブルを起こしている。 外相、自由党党首などを歴任した柿沢弘治氏を父に持ち、東京の麻布高校、東京大法学部を経て1995年にNHKに入局。弘治氏の秘書などを経て2001年、東京都議選に江東区選挙区から立候補し初当選し、その後旧民主党入りした。 都議2期目だった08年には、都内の首都高速で酒を飲んで乗用車を運転し、単独事故を起こしていた。柿沢氏は当時、「焼き肉店で事務所関係者と酒を飲んだ後、知人の家に向かう途中だった」と供述したという。 事故直後に都議を辞職し、民主党を離党。09年にはみんなの党に入党し、同年の衆院選に東京15区で出馬して敗れたものの比例で復活し初当選。その後は結いの党、維新の党、民進党などに所属した。 無所属時代の19年には、消費者問題の渦中にあったジャパンライフ(その後破