今年は、万博30周年、折からの岡本太郎ブームと重なって、各メディアは岡本太郎を取り上げ、雑誌の特集でも評論家やアーティストが、その芸術論や作品を再評価しはじめた。その中でも「太陽の塔」は、必ずと言っていいほど話題となっている。確かに岡本太郎の名前を日本中の人が知ることになったのは、万博の「太陽の塔」だった。 ■バックボーンは語られず しかし、「太陽の塔」は岡本太郎の代表作と言いながらも、制作の背景や内部に展示が施されていたこと、ましてやそのバックボーンにある思想や理念について語られているものは皆無に等しい。 記録によればあの当時万国博を訪れたのは6422万人、当時日本の人口が1億1千万。実に2人に1人の割合で万国博を訪れていることになる。 この内、テーマ館入場者は917万人なので、万国博に来た人の中でも7人に1人しか、テーマ館の展示は見ていないのである。ましてやテーマ館に入った人でさ
1911(明治44)年の今日、岡本太郎の誕生日(-1996)。 岡本太郎が戦前1930年代にパリに留学し、そこでピカソの芸術に出会い、芸術に開眼したことはよく知られている。 そのパリで太郎はもう一人、ピカソに匹敵する偉大な人物に出会っている。 それがジョルジュ・バタイユだ。 バタイユの本に『聖なる陰謀 アセファル資料集』(ちくま学芸文庫)がある。 正確にいうとこれは出版を想定して書かれた本ではない。バタイユの死後出版されたもので、バタイユが書き残した文章が「資料」という名目で掲載されている(100以上もある!)。 で、何について書かれているかというと、それが「アセファル(無頭人)」という名の、秘密結社についてなのだ。 このアセファルは第二次大戦前ドイツで急速にファシズムが台頭し、バタイユがそれに対抗するために作ったとされる。しかしそこはバタイユが作った結社だから、ただのレジスタンス組織(?
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