タグ

yazoolifeのブックマーク (250)

  • 宮沢賢治『春と修羅』序・全文と解説【心象スケッチの意図!】

    はじめに【詩集『心象スケッチ 春と修羅(しゅら)』について】 『春と修羅』―――宮沢賢治が生前に唯一刊行した詩集です。けれども賢治自身は詩集と呼ばれることを好まず、あくまで「心象スケッチ」と呼んでいました。『春と修羅』は大正13(1924)年4月20日に、東京の関根書店から刊行されます。 自費出版で発行部数は1000部でした。製作期間は大正11(1922)から大正12(1923)にかけてで、つまり賢治が25歳から27歳までに書き留めた「心象スケッチ」の中から、賢治自身が選んだ69編の詩が収められています。 賢治は冒頭に序文を掲げ、どのような意図のもとにこれらの「心象スケッチ」を書いてきたのか記していますが、今回はこの『春と修羅』の序文を掲載したいと思います。 宮沢賢治『春と修羅』序・全文と解説【心象スケッチの意図!】 宮沢賢治(みやざわけんじ)とは? 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933

  • 宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』あらすじと解説【自然への畏敬!】

    はじめに【岩手の山と宮沢賢治】 明治42(1909)年、花巻尋常小学校を卒業した宮沢賢治は、岩手県立盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に進学します。ちなみに当時歌人として世に知られていた石川啄木も盛岡中学です。啄木の影響もあり、この頃から賢治は歌を詠むようになります。 鬼越の山の麓の谷川に 瑪瑙(めのう)のかけらひろひ来(きた)りぬ 鬼越の山とは盛岡市に隣接する滝沢市にそびえる山のことです。この歌にあるように、賢治は盛岡に来てから格的に、岩手山を始めとする岩手の山々を歩き回るようになります。しばしば山中で野宿することもあったと言います。 今回はそんな賢治の山や自然への想いが見事に描かれた、童話『狼森と笊森、盗森』をご紹介します。 宮沢賢治『狼森と笊森、盗森』あらすじと解説【自然への畏敬!】 宮沢賢治(みやざわけんじ)とは? 宮沢賢治(作家・詩人1896~1933)は、明治29年に岩手県の

  • 宮沢賢治『水仙月の四日』あらすじと解説【自然の残虐さと愛情!】

    はじめに【『遠野物語103』雪女のはなし】 柳田国男の『遠野物語』に雪女のはなしがあります。 小正月の夜、または小正月ではなくとも冬の満月の夜は、雪女が出てきて遊ぶという。子どもをたくさん引き連れてくるという。里の子どもは冬は近辺の丘に行き、そり遊びをして面白さのあまり夜になることがあり。 十五日の夜に限っては、雪女が出るから早く帰れと戒(いまし)められるのはいつものことである。しかし雪女を見たという者は少ない。 (『遠野物語103』柳田国男) 今回ご紹介するのは、宮沢賢治の童話『水仙月の四日』です。この物語には雪女ならぬ「雪婆んご」が登場します。『遠野物語』の舞台、岩手県遠野市と、宮沢賢治の生まれ育った花巻市との距離は約50キロメートルです。もしかしたら賢治も雪女の話を聞いて育ったのでしょうか? 宮沢賢治『水仙月の四日』あらすじと解説【自然の残虐さと愛情!】 宮沢賢治(みやざわけんじ)と

  • 芥川龍之介『おしの』あらすじと解説【宗教的価値観の相違!】

    はじめに【芥川の「切支丹物」について】 以前、芥川龍之介の短編小説『おぎん』をブログに載せました。いわゆる切支丹物と呼ばれている作品です。芥川は生涯で十五篇の切支丹物を書いています。 古い作品からあげると、『煙草と悪魔』『尾形了斎覚え書』『さまよへる猶(ユダ)太人(ヤじん)』『奉教人の死』『るしへる』『邪宗門』『きりしとほろ上人伝』『じゆりあの・吉助』『黒衣聖母』『南京の基督』『神々の微笑』『報恩記』『おぎん』『おしの』『糸女覚え書』の十五篇です。 今回はこの中から、『おしの』をご紹介したいと思います。 芥川龍之介『おしの』あらすじと解説【宗教的価値観の相違!】 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは? 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927) 芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む

  • 芥川龍之介『二人小町』あらすじと解説【死の恐怖と生への執着!】

    はじめに【芥川龍之介の戯曲】 芥川龍之介の作品に戯曲はあまり多くありません。『青年と死と』、『暁』、『往生絵巻』、『三つの宝』、『二人小町』、『或恋愛小説』、『闇中(あんちゅう)問答』の七作品だけです。親友の菊池寛が多くの戯曲を手がけたのに対し、意外に思われる方も多いでしょう。 以前、三島由紀夫の戯曲『卒塔婆小町』をブログに載せましたが、物語には小野小町と深草少将という二人の人物が登場します。 今回は、同じ人物を登場させた芥川龍之介の戯曲『二人小町』をご紹介したいと思います。 芥川龍之介『二人小町』あらすじと解説【死の恐怖と生への執着!】 芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)とは? 大正・昭和初期にかけて、多くの作品を残した小説家です。芥川龍之介(1892~1927) 芥川龍之介は、明治25(1892)年3月1日、東京市京橋区(現・東京都中央区)で牧場と牛乳業を営む新原敏三の長男として生ま

  • 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【本編②-五所川原市・西海岸】

    はじめに【斜陽館に行くたびに想うこと】 小説『津軽』の旅で津軽半島の北端、竜飛崎に行った太宰は、いよいよ金木の生家へ行きます。あらためて言うのもなんですが、太宰の生家は地主で、しかも相当な資産家です。「斜陽館」に行くたびに、(こんな家に生まれたら幸せだろうな?)なんて羨ましく思ったりします。 けれども反面では、(辛いだろうな?)と思う自分もいます。豪家に生まれた者の宿命とでも言いましょうか、太宰は六男ですから跡取りほどではないにしても、兄弟の中でも学業優秀だったため、家族はもちろんのこと地域の人たちの期待は底知れないものがあったことでしょう。 前回、太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【編①-外ヶ浜町・今別町】 を載せましたが今回はその続きとなっています。 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【序編―青森市・弘前市・大鰐町】 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【編②-五所川原市・西海岸】 太宰治(だざ

  • 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【本編①-外ヶ浜町・今別町】

    はじめに【太宰「故郷・津軽の旅」の目的について】 「ね、なぜ旅に出るの?」 「苦しいからさ。」 ・美知子にはこのような言葉を残して東京を離れ、故郷・津軽への旅に出た太宰ですが、旅の目的について文の中で次のように語っています。 「都会人としての私に不安を感じて、津軽人としての私をつかもうとする念願である。言いかたを変えれば、津軽人とは、どんなものであったか、それを見極めたくて旅に出たのだ。私の生きかたの手とすべき純粋の津軽人を捜し当てたくて津軽へ来たのだ。」 前回、太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【序編―青森市・弘前市・大鰐町】を載せましたが、今回はその続きとなる編の旅です。 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【編①-外ヶ浜町・今別町】 太宰治(だざいおさむ)とは? 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残した小説家です。名・津島(つしま)修(しゅう)治(じ)。(1909~1948) 太

  • 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【序編―青森市・弘前市・大鰐町】

    はじめに【憧れの地「津軽」へ】 「或(あ)るとしの春、私は、生れてはじめて州北端、津軽半島を凡(およ)そ三週間ほどかかって一周したのであるが、それは、私の三十幾年の生涯に於(お)いて、かなり重要な事件の一つであった。」 これは太宰治の小説『津軽』序編の冒頭部分です。 わたし自身もあるとしの春、太宰の生誕場所「斜陽館」には行ったことがあるものの、(そう言えば他の津軽の地は知らないな……)なんてふと思い、小説『津軽』の地を巡ろうと思い立ちました。 とは言え、二泊三日の旅では半分も足跡をたどることができず、結果的に数回の訪問で何とか踏破(とうは)に至りました。その旅の記録としてブログに載せますが、もしも皆々様方の旅の参考に少しでもなれたなら当に嬉しい限りです。 太宰治『津軽』要約と聖地巡礼!【序編―青森市・弘前市・大鰐町】 太宰治(だざいおさむ)とは? 昭和の戦前戦後にかけて、多くの作品を残

  • オー・ヘンリー『赤い酋長の身代金』あらすじ【男の子は怪獣!】

    はじめに【「怪獣化」する男の子】 ある日知人の一人が、「俺の子供、最近手をつけられなくって……」と、ボソッとこぼしたことがあります。そのときはアドバイスに困り、「今だけだって、そのうち大人しくなるさ」と当たり障りのない言葉で逃げました。 よく男の子が成長とともに「怪獣化」していったという話しを聞きます。知人のお子さんもきっとそうなのでしょう。「怪獣化」の原因の一つとしてテレビのヒーローものの影響があるといいます。考えてみればわたし自身も子供の頃、よく真似をしていました。 傍から見たらわたしも怪獣のようだったのかも知れません。でも自分では、正義のヒーロー気分だったと記憶しています。ともかくとして、今回は、そんな「怪獣」のような男の子を描いたオー・ヘンリーの短編小説『赤い酋長の身代金』をご紹介します。 オー・ヘンリー『赤い酋長の身代金』あらすじ【男の子は怪獣!】 『赤い酋長の身代金』は短編集『

  • オー・ヘンリー『都会の敗北』あらすじ【田舎者のプライド!】

    はじめに【大都会への憧れ】 東京で暮らす人の半数近くは地方出身者と言われています。 日の大学の約30%が東京に集まっていることも一つの要因とされていますが、「大都会への憧れ」から夢を抱いて上京する人も多いと思います。 わたし自身そんな一人でしたが都会生活には正直戸惑いもありました。「田舎者」と馬鹿にされ、少しでも早く「都会」に馴染もうと必死で足掻いていた記憶があります。 今になって思えば身体に沁みついていた「田舎臭さ」は簡単に取れるものではありませんでした。堂々と「田舎者」を前面に出していたら、違う都会生活になっていたのかも知れない。なんてつい思ったりもします。 オー・ヘンリー『都会の敗北』あらすじ【田舎者のプライド!】 『都会の敗北』はO・ヘンリー傑作集Ⅲ『魔が差したパン』(新潮文庫)に収められています。 オー・ヘンリー(O. Henry)とは? 19世紀から20世紀初頭にかけて活躍し

  • 井伏鱒二『へんろう宿』あらすじと解説【「お接待」慈悲の心!】

    はじめに【「お遍路」と「お接待」について】 日で行われている巡礼(聖地や霊場を巡拝すること)の一つに「お遍路(へんろ)」というものがあります。特に弘法大師の修行の足跡、四国八十八カ所を巡る「お遍路」は有名です。 その距離はなんと1500キロメートルにも及ぶと言われ、総日数50日以上費やすと言われています。四国の人々は巡礼の旅をする人々を、親しみを込めて「お遍路さん」と呼びます。 そして「お遍路さん」を温かくもてなすことを「お接待(せったい)」言い、「お接待」をすることで自らも救われるという教えから、遍路道周辺に暮らす人々は「お接待」を伝統的に実施してきました。 今回は今に残る四国の精神風土、「お接待」を題材とした井伏鱒二の短編小説『へんろう宿』をご紹介します。 弘法大師(空海)について 空海 弘法大師(空海)は真言宗の開祖です。(774 〜 835) 延暦23(804)年、遣唐使船で中国

  • 井伏鱒二『屋根の上のサワン』あらすじと解説【手放すことも愛!】

    はじめに【ペットを飼うことは人間のエゴ?】 テレビや動画配信サービスから流れてくる「動物映像」に日々癒されている方も多いと思います。かくいう私も、そんな映像に思わず見入ってしまう一人です。 心なしか世知辛い世の中になったと感じる分、可愛らしい「動物映像」はひと時の癒しを与えてくれます。とは言うものの、ペットとして飼育するとなると話しは別です。 わたしも以前、を飼っていました。この経験を経て思うことは、「自分勝手だったな……。」そんな後悔ばかりです。ただ自分の欲求や満足感だけをペットに求め、ペットの気持ちなど微塵も考えていなかったような気がします。 「ペットを飼うことは人間のエゴ」―――よくこんな言葉を耳にしますが、わたしの場合も「エゴ」だったと言えるでしょう。今回は、そんなペットを飼う者の「エゴ」を描いた井伏鱒二の『屋根の上のサワン』をご紹介します。 井伏鱒二『屋根の上のサワン』あらすじ

  • 菊池寛『父帰る』あらすじと解説【家族愛――「情」と「涙」!】

    はじめに【「人情噺」について】 落語の一(いち)ジャンルに「人情(にんじょう)噺(ばなし)」というものがあります。文字の如く人情を主題とした小噺のことで、『芝(しば)浜(はま)』や『鰍沢(かじかざわ)』、『火事息子』『文七(ぶんしち)元結(もっとい)』などが有名ですが、来は読物として大衆に親しまれてきました。 江戸後期から明治初期にかけて、「人情物(にんじょうもの)(人情)」という、いわゆる小説の一種が流行します。代表作として為永(ためなが)春(しゅん)水(すい)の『春色(しゅんしょく)梅児(うめご)誉(よ)美(み)』が上げられますが、春水は町人の恋愛や人情、葛藤などを描きました。 明治初期に一度はすたれたと言うものの大正時代に多くの作家が「人情物」を創作し始め、この流れは現代の時代小説に引き継がれています。ともかくとして、今回はそんな近代における「人情物」の代表作、菊池寛の『父帰る』

  • 川端康成『日向』あらすじと解説【失った家族への憧れと希望!】

    はじめに【「癖」について】 誰にでも「癖」というものがあると思います。例え自分で気づいていなくても他人から指摘されて「はっ!」とするようなことも・・・。そんな自分の「癖」をコンプレックスと感じている人も多いでしょう。 「癖」というものは、人が無意識のうちに行ってしまう習慣的な行動のことです。「癖」を治す方法として、「習慣を変えたら良い」と言われていますが、口で言うほど簡単なことではありません。 ともかくとして、今回はそんな「癖」について思い悩む青年を主人公とした川端康成の掌編小説『日向(ひなた)』をご紹介したいと思います。 川端康成『日向』あらすじと解説【失った家族への憧れと希望!】 『日向』は短編集『掌の小説』(新潮文庫)に収められています。 川端康成(かわばたやすなり)とは? 川端康成は、大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日文学の頂点に立つ作家の一人です。(1899~19

  • 川端康成『ざくろ』あらすじと解説【きみ子の秘密の喜び!】

    はじめに【「鬼子母神」の神話】 法華経(日蓮宗・法華宗)の寺院で祀(まつ)られている仏教の神に「鬼子母神(きしぼじん)」という神様がいます。この鬼子母神、当初の名は鬼子母(きしぼ)と言い、一万人(五百人、千人の説もある)の子の母でした。 鬼子母は、これらの子を育てるために栄養をつけようと、人間の幼児を奪ってべていました。そんな行為を見かねた釈迦(しゃか)は鬼子母の一子を隠します。鬼子母は半狂乱になって我が子を探し回りましたが見つかりませんでした。 悲嘆(ひたん)に暮れた鬼子母は助けを求めて釈迦に縋(すが)ります。そこで釈迦は、「子を失う悲しみは、鬼子母がべた子の母の悲しみである。」と諭(さと)しました。鬼子母は釈迦に教えを請(こ)います。そして仏に帰依(きえ)すると誓った鬼子母の元に、釈迦は隠していた子供を戻したのでした。 こうして鬼子母は善神へと生まれ変わり、子授け・安産・子育ての神

  • 志賀直哉『痴情』あらすじと解説【夫の道楽と妻の苦悩!】

    はじめに【『痴情』は『山科の記憶』の続編】 前回、志賀直哉の短編小説『山科の記憶』をご紹介しましたが、今回その続編とも言える短編小説『痴情』をご紹介したいと思います。『山科の記憶』では、主人公の「彼」の浮気を発端とするひと悶着が夫婦間で起こります。 結局、の「寛大な心持ち」を引き出すことの出来なかった「彼」は、浮気相手と別れる事を承知するより仕方がありませんでした。と、こんな結末で物語は閉じられます。 「寛大な心持ち」――つまり「浮気の許容」を意味しますが、そんな甘い考えが通用する筈がありません。さて、この難局を「彼」は、どのようにして切り抜けるのでしょうか? 志賀直哉『痴情』あらすじと解説【夫の道楽との苦悩!】 『痴情』は短編集『小僧の神様・城の崎にて』(新潮文庫)に収められています。 志賀直哉(しがなおや)とは? 大正から昭和にかけて活躍した日を代表する作家です。(1883~19

  • 志賀直哉『山科の記憶』あらすじと解説【意識していない浮気心!】

    はじめに【どこからが「浮気」?】 どこからが「浮気」?―――「浮気」の定義というものは人それぞれです。 中には会話するだけでもアウトと言う人もいるでしょう。または例え肉体関係を持ったとしても恋愛感情を抱いていなかったらセーフと言う寛容な心の持ち主もいます。 「浮気」とは一般的にパートナー以外の人と交際関係にあることを言いますが、それは既婚・未婚に関わらずに使われます。「浮気」と同じような状況を現わす言葉に「不倫」という言葉もありますが、この場合は既婚者のみに適用されます。 ともかくとして、浮気不倫)は道義的に許されない男女の関係として社会では認識されています。それはいつの時代でも同じようです。作家・志賀直哉も自身の「浮気」が原因で、・康子との間で諍(いさか)いを起こします。 志賀はこの時の体験を基にして四作の短編小説を書き上げています。今回はその中から『山科の記憶』をご紹介致します。

  • 大岡昇平『野火』あらすじと解説【戦場―狂気の世界と「神」!】

    はじめに【「戦争文学」について】 「戦争文学」というジャンルがありますが、文字のごとく戦争を扱った文学のことで、特に近代以降の作品を指してそのように呼びます。 「戦争文学」の代表作として、エーリッヒ・マリア・レマルクの『西部戦線異状なし』(1929)やアーネスト・ヘミングウェーの『武器よさらば』(1929)、ドス・パソス『三人の兵士』(1921)などがあげられます。 それらは戦争批判を含むもので、この傾向は「戦争文学」では一般的とされています。日人で「戦争文学」の代表的作家と言えば大岡昇平があげられます。今回は大岡昇平の代表作の一つ『野火』をご紹介致します。 大岡昇平『野火』あらすじと解説【戦場―狂気の世界と「神」!】 大岡昇平(おおおかしょうへい)とは? 大岡昇平は日小説家、評論家、フランス文学の翻訳家・研究者です。(1909~1988) 大岡昇平は明治42(1909)年3月6日、

  • 梶井基次郎『冬の日』あらすじと解説【すべてのものは仮象!】

    はじめに【松尾芭蕉と梶井基次郎】 梶井基次郎が松尾芭蕉の俳句をこよなく愛していたことはよく知られています。梶井にとって座右の書と言えば芭蕉の紀行文でした。 梶井は昭和元(1926)年に伊豆の湯ヶ島温泉で療養しますが、それ以前、同じ下宿の隣部屋に同居していた三好達治と共に、松尾芭蕉を研究していたと言われています。この時期、梶井は、「凩やいづこガラスの割るゝ音」といった俳句も詠んでいます。 そんな梶井が、松尾芭蕉の『芭蕉七部集』の一集『冬の日』からタイトルを取ったとされる短編小説『冬の日』を今回ご紹介致します。 松尾芭蕉(まつおばしょう)とは? 松尾芭蕉(左)と曾良 松尾芭蕉(名は宗房(むねふさ)。芭蕉は俳号)は、江戸時代前期の俳人です。(1644~1694) 伊賀(三重県)上野の藤堂藩士として生まれますが、武士身分を捨てて町人の世界に入ります。のちに江戸へと下り、職業的な俳諧師(はいかいし)

  • 三島由紀夫『志賀寺上人の恋』あらすじと解説【恋と信仰の相剋!】

    はじめに【『太平記』について】 ご存知のとおり『太平記』は、南北朝時代を舞台とした軍記物語で、全40巻という、日歴史文学の中では最長とされる作品です。作者は小島法師説がありますが未詳となっています。 その内容は、後醍醐天皇の即位から鎌倉幕府の滅亡、建武(けんむ)の中興(ちゅうこう)とその挫折、新田義貞と足利尊氏との確執から南北朝の分裂、室町幕府内の軋轢(あつれき)など、文保2(1318)年から正平22(1367)年までの動乱期を和漢(わかん)混交(こんこう)文(ぶん)で記述されています。 軍記物語ですから合戦の記述は勿論のこと、因果(いんが)応報(おうほう)論などの仏教思想が随所に散りばめられている作品です。今回はこの『太平記』を典拠とした三島由紀夫の短編小説『志賀寺上人の恋』をご紹介致します。 ※和漢混交文(わかんこんこうぶん) 和文の要素と漢文訓読語の要素を合わせもつ文体。 ※因果