南北朝時代の延元2年(1337)に、足利尊氏が一色範行に命じて荒廃した社殿を復興したと伝えられています。その後戦国時代末期の天正18年(1590)小田原兵乱で、再び焼失しましたが、徳川家康の関東入部後から江戸時代初期にかけて次第に再建されたようです。現在の社殿は、安政6年(1859)竣工で、総欅の権現造りです。一代前の本殿も、境内末社の稲荷社本殿として現存しており、こちらも総欅で一間社流造りという建築様式です。 ◆御祭神 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 豊宇気姫命(とようけひめのみこと) 素盞嗚尊(すさのおのみこと) ◆御由緒 「調宮縁起」によると、今からおよそ2,000年前の第10代崇神天皇の勅命により創建。伊勢神宮へ納める貢(調)物(みつぎもの)の初穂を納めた倉庫群の中に造営されたため、貢物搬出入の妨げになる鳥居がないと伝えられています。確かな文献では、平安時代中期の延喜5年(90