タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

社会と人間に関するDelete_Allのブックマーク (4)

  • 石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(その1)

    最近、プランゲ文庫の調査をする過程で、石橋湛山の全集未収録講演録を発見しましたので、連休を契機にして、 何回か分割して掲載したいと思います。 インフレ対策と経済安定(昭和21年9月10日発行「特集雑誌 自由国民 通貨不安はどうある」掲載) 石橋湛山 (1) 今度の戦争で我が日が非常な損害を受けましたことは言ふまでもありませんが、その中に於いても殊に多くの国民が前提に対して悲観する一つの大きな損害は、領土を縮小したことでせう。日の領土は、今や北海道州、四国、九州を州なるものとして、その周囲の若干の島嶼が領土として残されるに止まり、台湾、朝鮮、樺太などは、すべて今後我が領土でなくなる訳です。そこで日清戦争後の日の人口は4,5千万でしたが、その程度の人口ならば、此の狭くなった領土でも養へるかも知れぬが、今日七千万、八千万に達する日国民を、斯様な狭い領土で養ふことは非常に困難だ、斯う云

    石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(その1)
  • 「考える」というライフデバッグ - sekibang 1.0

    http://d.hatena.ne.jp/Geheimagent/20080609/p2 昨日のエントリを書いてから、また頭がグルグルと言い出したので続きっぽく書いてみることにする――でも今回は具体的な事件から少し離れた話になると思うし、ちょっと込み入った話にもなると思う。以下は“コロッケが自動販売機で売っている国(通称、コロッケの国)”へ留学中の某氏と事件についての意見を交換していて思ったことである。 昨日のエントリで私は「だれでも良かった」という陳述の恐ろしさについて書いた(この言葉についてはid:sumita-mさんがとても面白い分析をしている*1)。しかし、ここではその言葉がネタであるかどうかについては問わない)。その恐ろしさとは「誰でも良かった」=「私でもありえた」という可能性からもたらされている――「私でもありえた」からこそ、「事件に自分がまるで関係ない」と言い切ることはでき

    「考える」というライフデバッグ - sekibang 1.0
  • 怨念と個人的テロリズム - sekibang 1.0

    秋葉原で起こった通り魔事件が報道された際に、ここ何年かにあった通り魔事件について紹介されていた。それを見ていて「結局、こういう事件って偶発的に起こってしまって、起こってしまったらどうしようもないことなんだな」と思ってしまった。事件が起こってしまえば、防ぎようがない。いくら暴力描写があるマンガだのゲームだのを取り締まろうが、ナイフ持ち歩いている人を検挙しようが、無惨に殺人が行われてしまう可能性はゼロにはならない。 「だから、起こらないように一層厳しくしていかなければならない」という理屈は真っ当なものに思える。これからまたより一層にそういった「影響を与えるもの」に対しての風当たりはつらいものとなるだろう。でも、そういった「草の根」的な規制なんかホントはあんまり効果がないんじゃないかな、と思う。規制の網の目は、どこかでかいぐぐられてしまうだろう。もっと根源的なリスクを削減していく、そういったマク

    怨念と個人的テロリズム - sekibang 1.0
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
  • 1