聚楽第で採取した土を使い手捏ねで成形し加茂川の鉱石を砕いたものを釉薬として用いる焼き物が樂焼き(黒)と呼ばれるそうで、中国や韓国から渡ってきたピカピカの茶碗こそという時代にあって利休が侘び茶を表現するため長次郎という人に依頼して初めてそういった無骨な茶碗に価値がもたらされたらしい。どうしてそこまで価値が逆転してしまうのか利休の影響力はそれほどだったのかよくわからないけれども、とにかくすごいってことになったようで長次郎の跡目を継いだ二代目が豊臣秀吉から樂の印を下賜されて直系の樂家はそういった茶碗を代々作ってきたそうだ。同じ製法で茶碗を作っている傍系のような窯も何件かあってそのうちの一軒で樂焼き体験教室に参加するのが京都2日目の予定だった。 前夜に藪蚊の襲撃を受けほとんど寝てなくて刺されたところも痒いしなんだか小難しい茶碗を作るということで自暴自棄もいいところだった。その体験教室的な費用も決し
「ざっ、さ、最後にぃ…」極度の緊張で部長の声が震えていた。「最後に…私事になりますが、長年連れ添った妻と先日、無事、協議離婚が成立したことをお伝えして新郎新婦への御祝の言葉にかえさせていただきます…」。同僚が企画してくれた僕の結婚祝賀パーティー。部長からの御祝の言葉。拍手が無いことに業を煮やした部長は、陸上の世界大会で跳躍系の競技の選手がテンションをあげるため観客に拍手を促す際に見せる、頭上で両手を大きくゆっくりと叩く仕草をしながら席に戻った。しんと静まりかえった会場に部長の拍手は、ぱーんぱぱーんと、遠雷のように響いた。 「つづいて新郎のこれまでの人生を…」気まずい空気を誤魔化すように司会担当が、結婚式でよくある、秘密裏に新郎新婦の家族に協力してもらい製作される、「思い出アルバム」を流し始めた。会場に、子供の頃の写真がスライド風に編集され、流れた。バックミュージックに使われていた坂本龍一「
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