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三流文士の典型に関するMidasのブックマーク (1)

  • マジックリアリズム - jun-jun1965の日記

    マジック・リアリズムというのは、事典風に言えば、通俗小説を純文学に見せかけるために考案された技法、というところか。 20世紀半ば、いわゆる純文学は、死滅しつつあった。19世紀の小説の技法はおおかた通俗小説に流用されるようになり、純文学と言えるのは、前衛小説か、私小説くらいしかなくなっていた。そこへ、フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』の亜流としてガルシア=マルケスの『百年の孤独』が出てきたものだから、人々は飛びついたというわけだ。いや、出版社などは、通俗小説でも良かったのだが、ちと良心が痛む。いくらかは「純文学」を尊重しているふりもしなければ、外聞(誰に対して?)が悪い。かといって、前衛や私小説は売れない。で、この路線なら、読者をたぶらかして、そこそこ売れるだろうと見込んだわけである。 フォークナーの「サーガ」の技法に、ラテンアメリカ的な諸要素で味つけがされて、エスニックな味わい

    マジックリアリズム - jun-jun1965の日記
    Midas
    Midas 2012/12/31
    純文学ですら100年の時を超え読継がれる本が何割あるか考えてみるべき。これは筒美京平問題と同じ。今や誰でも人類学や精神分析をつまみ食いして(でき)るからあれほど偉大だった技法が色褪せただけ。これは芸術の宿命
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