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批評に関するSouthendのブックマーク (35)

  • 尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所

    『ONE PIECE』は言うまでもなく最も売れているマンガである。まわりに「何のマンガが好き?」と聞いてもたいていのやつは『ONE PIECE』と答える。 そもそもぼくは『ONE PIECE』と相性がよくない。人気マンガというので数年前に読み始めたのだが、途中で挫折した。はっきり言って全然面白くないからである。「それでもまあ人気マンガだから」と今回再度がんばったのだが、27巻でくじけた。 少年マンガの感性についていけなくなっただけか 少年マンガだからお前の感性がついてけなくなったのだろう、とお前ら言うつもりだろう。まあ半分くらいはそうなんだろうよ。でもなあ、『NARUTO』や『銀魂』はそれなりに楽しく読めるんだよ。『バクマン。』や『いぬまるだしっ』はかなり愉快に読める。なのに、『ONE PIECE』は……ちっとも面白くならないのである。ぼくにとって。 「50巻くらいまで読まんと真価はわから

    尾田栄一郎『ONE PIECE』 - 紙屋研究所
    Southend
    Southend 2010/06/30
    単純に任侠・人情ドラマとして読めばいいと思うんだけど、敢えて触れるなら、僕はオッサンになって色々諦めてきた今だからこそこの精神論に胸が熱くなる面もある。長期的には「諦めたら負け」は真理。
  • イビチャ・オシム氏がオランダ戦を回顧 - 2010 FIFA ワールドカップ - Yahoo!スポーツ×スポーツナビ

    スカパー!オフィシャルコメンテーターを務めるイビチャ・オシム氏がオランダ戦を振り返った 【(C)スカパー!】 ――前半は集中して守っていたが 守備は規律を守ってよくやった。だが、もっといいプレーができたはずだ。攻撃ではボールをもっと速く動かすことができれば、もっと速いパスで相手をもっと余計に走らせることができたと思う。そして最後の部分で、フィニッシュの精度が問題なのだが、もっとコレクティブな攻撃ができなかったのかと思う。もっと勇敢にアタックするべきだった。サッカーは得点を競うスポーツだから、物足りない。日本代表の選手たちはオランダを怖がっていた印象がある。オランダが怖がるような攻撃ができていなかった。日に欠けていたのは殺し屋の能、チャンスがあったら絶対にそれをものにするという気迫。それがないから勝てなかった。 ――今大会の中で戦い方を変えていくことで世界と互角に戦えるようになるか?

  • 苦く悲しい「つなぎ」なき勝利【金子達仁】│スポニチワールドサッカープラス

    苦く悲しい「つなぎ」なき勝利 【金子達仁】2010年06月17日 氷雨の降りしきる国立競技場。観客の大半は在日のコリアン。水たまりで止まったボール。すくいあげた原博実の右足。1―0。終了のホイッスルが鳴った瞬間、まだ学生だったわたしは号泣した。日北朝鮮に勝った。押されっぱなしだった試合に勝った。試合のレベルはお粗末だったけれど、W杯メキシコ大会に少しだけ近づいた。嬉(うれ)しくて、信じられなくて、号泣した。 だから、喜ぶファンの気持ちは痛いほどにわかる。大いに喜んでいい。サッカーというスポーツにより深く興味と愛情を持ってもらえれば、この勝利は大きな意味を持っていたということにもなる。 わたしは、喜べない。 守って守って守り抜いたという点、そして試合自体のレベルが低かったという点において、今回のカメルーン戦と85年の北朝鮮戦は似た部分がある。だが、決定的に違っていたのは、北朝鮮と戦った

    Southend
    Southend 2010/06/18
    サッカーのことはよくわからないけれど、誰もがディープインパクトやサイレンススズカのように走れるわけではないだろう。「お前は鰈だ、泥にまみれろよ」というのもひとつの美学だと思う。
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

    コミュニケーションが生まれるツイートまとめツール

    まとめよう、あつまろう - Togetter
    Southend
    Southend 2010/06/02
    基本的に作家性っていうのは独りよがりになりがちで、普通そこを編集者との作業でブラッシュアップするんだろう。/最初の数話見た限りでは、ある種の前提知識による補正をかけて観ないとついてけない感はあった。
  • 天声を克えた人語 - 書評 - 日本語は亡びない : 404 Blog Not Found

    2010年03月08日22:30 カテゴリ書評/画評/品評Culture 天声を克えた人語 - 書評 - 日語は亡びない 筑摩書房松様より献御礼 日語は亡びない 金谷武洋 書に至るまで過去834点あったちくま新書の中で、最も感動した一点。 ここに、「日語が亡びるとき」は完美に論破された。 書が感動的なのは、2009年度小林秀雄賞を受賞した憂国の書を論破したという結果ではない。書の感動は、その過程にあるのだから。結果は引用できても、過程は引用できない。全世界1億4000万の日語話者は、それぞれの読み方で書を味わっていただきたい。 書「日語は亡びない」は、「日語が亡びるとき」が提示した懸念、あるいは仮説に対する、否定的かつ「ポジティブ」な回答である。 目次 はじめに 第一部 日語は亡びない 第一章 水村美苗『日語が亡びるとき』を読む なぜ日語ブームなのか/日

    天声を克えた人語 - 書評 - 日本語は亡びない : 404 Blog Not Found
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    Southend 2010/03/09
    わかったのは「破滅論は流行る(・受ける・儲かる)」ということかな。ノストラダムス解読本と構図はたいして変わらないと思う。「競馬が亡びるとき」でも書くか。/まぁそれでも正当な反駁が評価されるのは良いこと。
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

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    Southend 2010/02/16
    日本映画は高津装飾美術のプロパガンダではないし、駐車場業界は株式会社月極が牛耳ってもいない。
  • 唐沢俊一はサリンジャーに土下座しろ! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    何度も言うけど、唐沢俊一に書評委員をやらせた朝日新聞の木元記者はその責任を取るべきだ。 唐沢俊一は2008年に「ライ麦畑」について「月刊ほんとうに怖い童話」(ぶんか社)にこんな記事を書いているが、どう考えても実際にを読んでいない。 ビートルズの元メンバーであるジョン・レノンを殺したマーク・チャップマン、レーガン元大統領を暗殺しようとしたジョン・ヒンクリーなど、殺人犯たちの多くが愛読書にしていたのが、ジョン・サリンジャーの青春小説『ライ麦畑でつかまえて』である。 ある日、突然大学生活がバカバカしくなり、テストの答案を白紙で出して退学になった主人公ホールデン・コーンフィールド。 なぜ彼は学校を飛び出したのか。なぜ彼は社会に対して、凄まじい疎外感を抱くのか。 1950年代、繁栄の絶頂にあったはずのアメリカに生まれたが、人生に目標を失い、生きていく希望を持てなくなった世代、 すなわちロスト・ゼネ

    唐沢俊一はサリンジャーに土下座しろ! - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
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    Southend 2010/01/29
    ひどすぎワロタ
  • 夢想知識小説としての『クォンタム・ファミリーズ』: 読書体験のウェブ的転倒とそのエミュレーション | FERMAT

    夢想知識小説としての『クォンタム・ファミリーズ』: 読書体験のウェブ的転倒とそのエミュレーション December 24, 2009 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet この休みに、『クォンタム・ファミリーズ(QF)』を読んだ。 QFは、東浩紀の、単著としては初の小説。 不思議なだ。 全編が「亡霊効果」で溢れている。 東が、覆面作家である舞城王太郎の、いわば対極にある存在だからか。 ウェブの中では東に関わる語りや言説は溢れているし、東自身、今までウェブに限らず多くのテキストを、発言や執筆によって残してきている。 その全てが、QFの文面のそこかしこで、亡霊のように浮上する。 これは、不思議な読書体験だ。 リニアな読みを前提にした、紙を前にした読書体験ではない。 あえていえば、ウェブを前にした、ブラウザを前にしたテキスト読解体

    夢想知識小説としての『クォンタム・ファミリーズ』: 読書体験のウェブ的転倒とそのエミュレーション | FERMAT
  • 『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房、2008年)を読んで私が感じた最大の不満は、同著が90年代後半以降のサブカルチャー作品を多数採り上げ、漫画『DEATH NOTE』を新時代の「決断主義」を象徴的に描いた作品として詳しく取り扱いながら、同時期に漫画界のトップランナーであり続けた作品であり、『DEATH NOTE』と同じ『週刊少年ジャンプ』に連載されている『ONE PIECE』への言及を全くと言っていいほど含んでいないことであった。 当ブログではこれまで『DEATH NOTE』と『20世紀少年』を採り上げ、ともに正義にまつわる問題との関連で論じたことがある。両作品を比すと、前者よりも後者の方が思想的な重要性が大きく、内容もより複雑であったが、『ONE PIECE』は内容において両作品よりも遥かに明快でありながら、思想的には最も尖鋭な領域にまで踏み込んでおり、三作の中で最重要の作品と言って

    『ONE PIECE』における正義と信念の問題 - on the ground
    Southend
    Southend 2009/10/05
    要するに他者からの評価というのは、属人論法というか、力の有無も含めその人物の言動から背景・容姿に至るまでの<キャラクター性>に因るという話になるのかも。「ルフィだから」こそ許される利己性というか。
  • 柴野京子の『書棚と平台』を批評する - 出版・読書メモランダム

    出版、新刊、旧刊、古に関するブログ「出版・読書メモランダム」を新しく開設しました。よろしければ、お出かけあれ。 今月上梓した拙著『古探究2』の中で、取次から見た同文館、取次としての北隆館、至誠堂、大東館を書き、また独歩社や金星堂における取次の位置や機能について論じたばかりだった。 ところが偶然ながら、時を同じくして、「出版流通というメディア」をサブタイトルに付した、柴野京子の『書棚と平台』(弘文堂)が刊行された。奇しくも拙著の初版印刷日と柴野著の初版発行日はともに8月15日となっている。 『書棚と平台』はかつて東販に在籍していた著者が研究者に転じ、その修士論文をベースにして刊行されたものであり、これまでの取次論の集大成にして、新しい出版研究の出現と評価することができよう。 だが同書は修論をベースにしていることもあり、タイトルのイメージとは異なる専門書で、記述は晦渋なために、的を射た紹介

    柴野京子の『書棚と平台』を批評する - 出版・読書メモランダム
  • 【断層】呉智英 それ、いつの時代の話? - MSN産経ニュース

    何年か前になるが、人気女流作家桐野夏生の『グロテスク』を読んで、評判倒れのつまらない小説だと思った。話が長いだけで内容は凡庸、その上日語がしばしば間違っている。これを読んだのは、辛口の文芸評論家福田和也が絶賛していたからだが、どうも福田は美人には大甘のようだ。もう桐野なんか読まんぞと思っていたが、たまたま「週刊新潮」三月五日号を手に取ると桐野が『ナニカアル』を連載中だ。ざっと読んだが、これが前にもましてひどい。 『ナニカアル』の主人公は小説家林芙美子。時代は昭和十七年、戦時中だ。林はこう独言を言う。「誰かが起き出して来たら、トイレに行く、と言うしかなかった」。少し後で、一夜の恋人酒井も「トイレに行って、帰って来た振りをして」と、これははっきり声に出して言う。 昭和十七年に「トイレ」なんて言葉があったか。便所、御不浄、手洗い、だろう。英語は敵性語だぜ。「トイレ」が広まったのは昭和四十年頃か

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    Southend 2009/03/20
    要約:桐野は美人
  • 安藤忠雄に都市を語る資格はあるか - concretism

    建築家と言えば、安藤忠雄。 世間一般の評価はそのようであるし、どうやら人もそれを否定する気はないらしい。 普段、建築的話題と接する機会の少ない人ほど、この人の話題を持ち出すことが多いので、少々どころではなく辟易してしまうのだけれど、徐々にその戸惑いは、「建築家と言えばガウディ」と言われたときの感情と相似形を取るようになってきた。 たぶん、建築を生業にしている人に、好きな建築家は誰ですか?と訪ねたとき、ガウディの名をあげる人はほとんどいない。理由はいろいろあるのだろうけど、そもそも、ガウディは建築家なんだろうか?という素朴な疑いが払拭できないのだ。建築家でなければ何なのだといわれると、芸術家、かな?といささかためらいながら答えることになる。 このように言うと、芸術家は建築家を含む上位概念ではないのかと思う方もおられるかもしれない。しかし、建築家には、技術的、経済的、法規的、社会的な数々の制

    安藤忠雄に都市を語る資格はあるか - concretism
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    Southend 2009/03/14
    パッと日本の建築家3人挙げろと言われたら、安藤と磯崎新と黒川紀章、とかになりそう。/芸術性もしくは思想性が強く、なおかつ外向性が高くないと、建築家という職業はなかなか一般に認知されづらい気がする。
  • Twitter / Mochio Umeda: はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコ ...

    Twitter / Mochio Umeda: はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコ ...
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    Southend 2008/11/09
    「理解不明」というのは、理解不能と意味不明が混じってしまったのかな……みたいなのも「バカなもの」に入るのかな(←どうでもいい)/件の書評は、あれ単独で十分批評にさらされうる分量と内容だと思ったけれど。
  • 東浩紀の渦状言論: 山本寛氏と対談(追記あり)

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    Southend 2008/11/09
    “そもそもアニメ批評は、読者の(読者の、です。書き手の、ではありません)質があまりに悪すぎて、いま批評を志す人間にとってコストが高いわりにリターンが少ないからです。”身も蓋もないなぁ。
  • ノーベル文学賞の日 - 内田樹の研究室

    今日はいよいよノーベル文学賞の発表である。 村上春樹氏ははたして今年ノーベル文学賞を受賞するであろうか。 物理学賞、化学賞と立て続けに日人受賞者が輩出しているので、今年は「日イヤー」になるかも知れない。 というわけで、新聞社から「村上春樹ノーベル文学賞受賞のコメント」の予定稿を求められる。 今回は S 新聞、K 新聞、Y 新聞の3紙から求められた。 S 新聞には過去2回書いているので「三度目の正直」。 私のような門外漢に依頼がくるのは、批評家たちの多くがこの件についてのコメントをいやがるからである。 加藤典洋さんのように、これまで村上文学の世界性について長期的に考えてきた批評家以外は、村上春樹を組織的に無視してきたことの説明が立たないから、書きようがないのである。 だが、説明がつかないから黙っているというのでは批評家の筋目が通るまい。 批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられ

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    Southend 2008/10/10
    “批評家というのは「説明できないこと」にひきつけられる知性のことではないのか。”