プロプライエタリモデルを信奉する人々にとっては、Stallman氏は悪魔よりたちが悪い。Stallman氏は利潤の敵であり、仕事を奪う者であるというわけだ。彼らはStallman氏を、同じく時代の寵児となったSteve Jobs氏やBill Gates氏と引き比べ、経済および国家に貢献していない、貢献どころか破壊していると批判する。 フリーソフトウェアが一部の人々から職を奪うのは確かだ。マーケティングが代表例である。さらには企業の収入も減少させる。わたしの知っている大半のオープンソース企業には、プログラマとサポートスタッフ、経営者とウェブ担当者しかいない。マーケティングはしばしば後回しにされる。この2年間で2回、JBossを取材中に食事をご馳走してもらったことがある。だが、同社からTシャツを進呈するという電子メールが送られてきたことはないし、ノベルティも無料航空券ももらったことはない。ビー
オープンソースに関する話題を追いかけるようになって2年近く経過したが、さまざまな問題に対して正しい意見を唱えているにもかかわらず、Richard Stallman氏は世界の誰よりも憎まれているように感じる。 念のため記しておくが、Stallman氏は、GNUと「フリーソフトウェア」運動の立役者ではあるが、オープンソースの生みの親ではない。生みの親の親、といったところだろう。Stallman氏は、わたしがしばしば「4つの自由」と言い表すものを作り上げた人物だ。4つの自由とはすなわち、取得の自由、使用の自由、変更の自由、要望の自由の4つである。 新しく記述したコードを交換提供して他者の自由を確立するという、義務とも換言できるこの最後の自由を、多くの人々は不快なものとして受け取った。そしてその反感に対する反動が、「オープンソース」運動の起源なのである。ただ、こうした制約からビジネスを解放するため
Eben Moglen氏は長年に渡ってFree Software Foundationの法律顧問を務めてきた人物だが、彼は12才のときコンピュータに興味を持ち、14才の頃には、プログラムを書いて収入を得ていたという。 「大学では歴史学の博士号と法学の学位を取ったが、そのための学費はプログラマとして得た収入で賄った」と同氏は言う。 IBMで数年間プログラマとして働いたMoglen氏は、その後IT業界に見切りを付け弁護士となる。同氏はニューヨーク州の地方裁判所と米連邦最高裁判所で弁護士秘書を務めたあと、1980年にコロンビア大学法律大学院(Columbia Law School)に移り、現在でも同校で法律と法歴史学の教授を務めている。 同氏は、コロンビア大学に勤めているとき、ソフトウェアの自由に関する最初の大きな訴訟事件に取り組むことになる。1990年代の前半にある掲示板を何気なく眺めていたと
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