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大谷翔平
milano.metrocs.jp
ぼくは大学生のころ、雑誌に囲まれていました。兄が雑誌編集者であったため、家には山ほどいろいろな雑誌がありました。時代の影響をもろに受け、広告研究会などにも一時在籍していたこともあり、マスメディアや広告の仕掛けには興味がありました。あのころはTVのコマーシャルや広告がものすごく輝いていたのですね。コピーライターの糸井重里さんの名前を何かと目にする時代であり、そういう環境に自分自身もいたわけです(ただ、今、糸井さんの年譜をチェックすると、ぼくの大学生の後半の生活に「不思議、大好き。」や「おいしい生活」のヒットがあったのですね。週刊文春の糸井重里の萬流コピー塾のスタートも83年です)。 コピーライターという職種についても関心がありました。が、かといって宣伝会議のコピーライター講座に通うとか、広告代理店のその職種を狙うとか、そういう熱心さはありませんでした。もともと仏文科などという俗世間と離れるこ
ぼくは子供の教育に熱心であると胸を張って言えないダメな父親ですが、それでも時に息子の教科書を読みます。イタリアで学校教育を受けていない身にとって、教科書はイタリアの人たちのロジックを知る「秘密兵器」です。小学校の歴史の教科書ー科学の教科書ではなく!-では宇宙の歴史、ビッグバンから始まります。人の営みに辿りつくまでの時間がえらく長いのです。先史時代をちょこちょっことやって「世界四大文明」にいくなんてとんでもない! 地理の教科書では、地図には2種類あり、普通の客観的な地図と共に認知的(主観的)地図があると教えていました。地図の描き方はロジックの鏡である、とイタリア人の地図を「商売道具(?)」にしているぼくは、この地図の定義を読んで指を鳴らしました。中学校の美術史も印象的でした。最初のページにラスコーの洞窟の壁画があり、「ここに描かれている動物は?」「そう思う根拠は?」と質問が延々と続いているの
1990年夏、友人とミュンヘンを起点にオーストリー、ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、西ドイツ、フランスを3000キロほどクルマで走りまわりました。前年からの東欧革命のリアリティをそのまま感じたいという思いからです。新しい何かが生まれているはずだと賭けて走り回りました。そこかしこに「古い東欧」と「新しい息吹」を感じ興奮しまくったものです。森に続く道はことごとく戦車のマークとともに「進入禁止」の札がある傍を走りながら、それがどのくらいに効力が減少したのかを確認しあったのです。時代のうねりはこうやってくるものだと実感した大人になって初めての経験でしたーたぶん、子供のころは、東京オリンピックであり大阪万博だったのではないか。 3000キロの旅の最後、パリ北駅の周辺をふらつきながらヨーロッパのモラルの崩壊を目にします。あらゆるところに紙切れが舞い、街が汚すぎる。その時、友人がポツリと呟きまし
拙著『ヨーロッパの目 日本の目』を書くときに色々とアドバイスを頂いた社会学者の八幡康貞さんが、ミュンヘン大学で勉強していた頃に出会った面白いエピソードがあります。八幡さんがゼミで活発に発言した後、一人のドイツ人学生が八幡さんに近づいてきました。「君はイエズス会の教育を受けたのかい?」と聞きます。八幡さんは「そうだけど、なぜ?」と聞き返します。すると「いや、君のロジックの運び方が見事にイエズス会流だっからさ。実は、ぼくもイエズス会の高校だったんだ」と言われたそうです。上智大学で哲学を学んだ八幡さんは、特にカトリックを学として学んだわけではありませんが、神父の教授たちから議論の仕方を自然に見つけていたようです。そこで八幡さんは、ユニバーサルの何たるかを実感したわけです。 八幡さんからこの話を伺ったとき、「その特徴的な議論の展開の仕方って何だったのですか?」とぼくは聞きました。八幡さんから返って
製造業を「ものづくり」という言葉で括ったことが、良かったのか、悪かったのか。製造業が人件費競争によって全てが決まるようなことがあまりにざっくりと言われます。実際には装置産業のように人件費比率の低いジャンルでさえ、一緒くたにされます。中国に日本の製造業が移転はじめた頃、人件費競争の罠に嵌ったなと思いました。人件費がメインファクターである限り、工場は常に人件費の低いところに流れます。しかも、人件費の安さとは、為替の問題と表裏一体です。そのような曖昧といえば曖昧な要因で成立しているメカニズムに自らの運命を積極的に委ねる危険性に覚悟をもつ気なのか・・・大いに危惧がありました。案の定、産業によりますが、今、生産は西に移りつつあります。 製造業を「ものづくり」という言葉で括ったことが、良かったのか、悪かったのか。日本の丁寧な作りこみや繊細な表現、いわば改善に改善を積み重ね磨きかけるプロセスの評価を自ら
8月15日のぼくの誕生日を前にして、期せずして自らの過去を振り返る本を読んだなあというのが、読了後の一言。1926年生まれの鶴見良行はぼくにとって同時代の人ではなく、「雲の上」の人です。『朝日ジャーナル』で「マングローブの沼地で」の連載を書き、ベ平連で小田実や従兄弟の鶴見俊輔のそばにいた人。当時、彼らをぼくはヒーローとしてみていました。米国生まれの鶴見良行は、米国からのものの見方に嫌気がさし、アジアを自分の足で歩き始めるのですが、行動をともにしたのは村井吉敬。ぼくが大学に入った頃、アジア研究者としてホットな話題を提供し続けていた人で、その村井が本書のあとがきを書いています。・・・・そして、ここが重要なのですが、仏文科の学生だったぼくは、アジア研究に目を向けなくてもすむ説明を探していたということを本書を読んで思い出したのです。 学生運動の名残は十分にあり、公害反対運動にシビアさがある時代、そ
「今、カーデザイナーが語ることが一番面白いかもしれない・・・」ということを、六本木ミッドタウンのデザインハブでトークセッションを聞きながら思いました。クルマの人気がどこの先進国でも下降気味で、EV時代の幕開けで都市との関係が更に問われ、スタイリッシュで高性能のスポーツカーが即憧れには繋がりにくい時代において、カーデザイナーは「次なるクルマ」へ悶々としています。その悩み具合は、他の製品をデザインしている人たちよりも切迫感がある。EVといえどデザイナーの存在は欠かせませんが、デザイナーはEVがもつ世界観を図りかねていることが多いという点において、切迫感は期待感と表裏一体です。その点で、今、カーデザイナーの語りに注目すべきです。 先月終了した「世界を変えるデザイン展」は色々な問題点と課題を提示しましたが、昨晩のトークショーのパネラーのなかで元アウディのデザイナーであった和田智さんの言葉に一番力が
六本木ミッドタウンのデザインハブ。『世界を変えるデザイン展』最終日のカンフェランス。「日本の製造業は先進国市場で負けが続いているが、その大きな要因は全体のコンテクストへの理解欠如だと思う。今回、この会場やアクシスでの展覧会をみると、盛んに現地のコンテクストを読み込む重要性を語っている。一体、先進国でできなかったことが、貧困国で可能だとお考えなのか?」と、やや「意地悪な質問ですが・・・」と前口上をおいてパネラーのメーカーや経済産業省の方にぼくは質問しました。 カンフェランスが終わって2時間くらいしてTwitterを覗き#sekai_design の一連の投稿をみて以下、@sekai_designが書いた、リコー総合経営企画室の早川さんのコメントがかなりRTされているのに気づきました。 日本の企業はまだまだ負けていないと感じている。コピー機もまだ強い。だがもう年齢が上の層がやってはいけない。柔
自分が生まれた国のことは、長い間、国の外に出て生活してみないと分からないと思っています。国の良さや悪さという散文的な感想ではなく、国の「かたち」というべき全体構造が外からでないと見えてこないのです。外国に住んで、多くの人と何らかのことを営み、喜んだり悲しんだりしていかないと自分の生まれた国のことが分からない。それはぼくの経験では、最低、10年くらいを要するのではないかとも感じています。 よく「自分の生まれた国のことも、感覚を鈍らせないように・・・」とか言う人がいますが、こういう人は、異文化と時をともにするということがよく分かっていない人です。ある世界に住むのは、他の世界の何かを捨てることです。何も捨てずに、新しい世界の中身を取り入れることはできません。捨ててこそ、見えてくる世界の価値を認識すべきでしょう。加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店)には、長く外国に住んだがゆえに見えて
ヨーロッパに住む多くの日本人が口々に「一晩中あいているコンビニにラフな格好でいつでも行けるのが懐かしい」「日曜日に店が閉まっているなんて信じられない」といった不満を言ったあと、「日本のようなキメの細かいサービスをヨーロッパでもやってくれれば受けると思うんだけどなぁ」と決まったように続きます。日本は、ことサービスについては世界でトップレベルであるという自負があるわけです。「JALのサービスを想う」で引用した「JALのサービスは最高で、日本に来る外国人も、JALの日本的サービスを評価しているのだから、今後もあのサービスを失わずに再建に頑張って欲しい」というTVのコメンテーターの発言にも、その自負は見て取れます。 しかし、その日本の「銀行の支店で客におしぼりを渡す」「説明できない店員を無駄に多くおく家電量販店」にみられるサービスは表面的であり本質な部分をカバーしていないと指摘し、日本で活躍する外
1月28日から日経産業新聞で「アイルランドーIT立国の復権」という記事を連載しています。ITを重要な基幹産業として位置づけ高成長を遂げたアイルランドですが、2008年からの経済恐慌で政府の財政も厳しくなりました。スペインと並び不動産バブルが派手にはじけた様子は、ダブリンの街を歩いてもすぐ分かります。不動産王が買い占めた4星ホテルは、今、稼働率をあげるために信じられない低価格で泊まれるところがあります。しかし、アイリッシュは黙ってうつむかない・・・という実像を、この記事では紹介しています。 強みのITを生かし、環境政策やエネルギーの高効率を目指すスマートグリッド(次世代送電網)をシステムとして構築し、ここで成功したモデルを他国に輸出しようという計画です。人口500万人以下の小国であるからこその優位性ー自動車で長距離走る場所がないーもあり、またドイツにおける自動車産業のように産業的しがらみもな
デザインウィークで多くのデザインを見ながら、自分の好き嫌いを意識します。しかし好きにも色々あり、一目で惚れること、長い時間をかけて好きになること、両方あります。今回出会ったデザインで長い時間を経て好きになるものがあるかなあ、とぼんやりと考えていて、エットーレ・ソットサスのことが思い浮かびました。 ぼくがソットサスのことを知ったのは多分、1980年代末で、メンフィスの活動が終了した頃ではないかと思います。ただ、ジュージャロの世界に近づきたいとトリノに来たぼくに、ポストモダンのデザインの面白さが、当時のぼくにはよく分かりませんでした。いや、正直に告白するなら、トリノのカーデザインに接していた身にとって(確か80年代の前半か、イタルデザインを舞台にしたタバコのセブンスターのTVCMがあって、これもカッコよかった)、家具・雑貨のミラノのデザインはそうワクワクするものではなかったのです、そもそもが。
来月のミラノサローネ期間、オフ会をやろうと思っているのですが、シリコンバレーにいる梅田望夫氏のブログを読んでいて、「そうか、オープンオフィスデイという手もあったか・・・」と考え始めました。若い人達を相手に講演した内容が書かれているのですが、その前にオフィスに一グループで10人くらいずつ来てもらって、1時間半ほど話し合ったようです。このアイデアを拝借し、考えてみましょう。 それはさておき、この講演内容を読みながら、およそ25年前、大学卒業後に自動車業界を選んだ人間としては、思うことが色々あります。そして約18年前にはイタリアです。梅田氏には「成熟産業」「下降国」と呼ばれそうな、彼とは反対の選択をしてきたわけです。上の世代が何か分からないこと、つまり新しい時代の主人公を演じることができる分野、それが30年前近くではITだったと、彼は判断したようです。 一方、ぼくはどういう考え方をしたかと思い出
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