みやこの喪失により増田家(八)の勢力は大きく後退した。 地元が戦場となっただけに背走する軍隊からは大量の脱落者が生じる。 だが、その一方で増田家は致命的な一撃を敵にむけて放っていた。 増田海に面した港町、増瀬から出航した船団がそれだ。 増田中弐にひきいられた船団は、彼の旧領をめざして一路、西進。 途中で嵐に遭い、三万人のうち一万人しか残らなかったが、 指揮官の不屈の闘志に牽引され、満月の大潮を活かし軍勢を増屋近くに上陸させた。 このことを増田家(士)東征軍はまったく察知していなかった。 老兵ばかりの居残り部隊が送った急使は旧増田家(九)の陸橋部分で片っ端から始末された。 これは、忍びたちの働きによるものだ。また、占領されて日の浅い現地住民も増田家(士)に非協力的であった。 そして、西方での驚くべき活動が、当主たちの耳に入る頃には、みやこ周辺の情勢も、のっぴきならないものに化けていた。 増田