澤井祐紀・同研究所上級主任研究員らが、九十九里浜の3地点142か所を掘削して地層を調べたところ、津波で運ばれた砂や生物の化石などが堆積(たいせき)した新旧二つの層が見つかった。 化石の年代測定の結果、新しい層は、江戸時代の1677年か1703年に起きた地震による津波のものと推定された。一方、2地点で確認された古い層は、平安~鎌倉時代の800~1300年頃のもので、該当する記録がないため、未知の地震の津波と判断した。
「佐藤山」の全景。左の岩山の奥に小屋やあずま屋がある。右下が登り口。手前の家の庭にはがれきが流れ込み、家も使えなくなった=宮城県東松島市手作りの避難所を造った佐藤善文さん。登り口には手書きの看板が掲げられていた=28日、宮城県東松島市、吉本美奈子撮影 「津波なんてここまで来るわけがない」。そう言われながら、約10年がかりで岩山に避難所を造った男性がいる。700人以上が死亡した宮城県東松島市で、この場所が約70人の命を救った。 東松島市の野蒜(のびる)地区。立ち並ぶ高さ30メートルほどの岩山の一つに階段が彫られ、登り口に「災害避難所(津波)」と書かれた看板があった。お年寄りでも上れるように段差は低く、手すりもある。平らになった頂上には、8畳の小屋とあずま屋、海を見渡せる展望台が立てられていた。 近くに住む土地の所有者、佐藤善文さん(77)が10年ほど前から、退職金をつぎ込んで1人で造っ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く