「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ 奈良の「柳生の里」を訪れているミモロ。「これが、柳生家の人が使った刀?」と、山の中にある「一刀石」から山道を歩いてやってきたのは、「芳徳寺」にある「資料室」です。 立派な石垣が巡らされた「芳徳寺」は、柳生家の菩提寺。 「なんかお城みたいだね~」とミモロ。 そう、ここは、もとは柳生藩の藩主である柳生家の居城だった場所で、石段や掘割などが、当時の城の姿を留めています。 正式には、「神護山芳徳寺」といい、柳生宗矩が、父である宗巌(石舟斎)の菩提を弔うために、寛永15年(1638)が創建。親交があった京都大徳寺の沢庵和尚が開山した臨済宗大徳寺派の寺院です。 宝永8年(1711)に火災で全焼後、3年後に再建。明治期の廃藩後は荒廃したものの、大正期に柳生家の末裔が資金を寄贈し、本堂が