Home Extra便 イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼 - TAP the POP クイーンが本国のイギリスでデビューしたのは1973年7月だったが、シングル「炎のロックンロール」もアルバム『戦慄の王女』も、マーケットではほとんど反応がないままメディアからは酷評されてしまった。 しかしまだアルバムが発売になる直前の5月の段階で、その後の彼らの運命にも影響を与えたふたりの日本人が、本人たちの預かり知らないところで、日本における売り出し方に思いをめぐらせ始めていた。 ことの発端となったのは拡大する日本の音楽マーケットに関して、渡辺プロダクションの創業者で社長だった渡邊晋と、副社長で夫人の美佐のもとへ、欧米のレコード会社や音楽出版社、アーティストのエージェントなどから様々な共同事業の提案が持ち込まれていたことだった。 渡辺プロ
出版取次最大手の日本出版販売と2位のトーハンは11月19日、両社の物流拠点の相互利用や統廃合などを含めた、物流協業の検討を始めることで基本合意したと発表した。出版物の売り上げが激減し、物流費が高騰する中、協業によって効率化を進める。 協業が独占禁止法に抵触する恐れがあることから、公正取引委員会に事前に相談した上で基本合意に至った。両社からメンバーを選んでプロジェクトチームを設置した上で、具体的な検討を進める。独禁法に触れないよう、両社間で厳密な情報遮断措置を講じることを前提に、実現可能性と経済的合理性を評価して方向性を検討する。 出版物の売り上げは1996年をピークに、17年度はその52%程度の規模に縮小。輸送コストの上昇と相まって流通効率が悪化する中、出版物流網をいかに維持するかが業界全体の課題になっているという。協業を通じてこうした課題を解決するほか、「プロダクトアウトからマーケットイ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く