エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
デバイス古今東西(39) ―― 過剰品質とは何か,製品価値と時間の概念を切り口として考察
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
デバイス古今東西(39) ―― 過剰品質とは何か,製品価値と時間の概念を切り口として考察
本コラムでは,製品価値を切り口として日本の「過剰品質」の問題について考えてみます.価値工学では機... 本コラムでは,製品価値を切り口として日本の「過剰品質」の問題について考えてみます.価値工学では機能とコストの二つの次元で検討を進めるのが一般的ですが,ここでは時間の概念も取り入れてみます.そして製品価値の形成過程をメーカの視点だけでなく顧客の視点も考慮して,過剰品質の問題を定量的に考えます. ●グローバルな顧客側の価値観とかい離 1990年代後半,米国や韓国のDRAMメモリ・メーカが市場を席巻し始めたころに日本の半導体技術者と品質についての議論をしたことがあります.その技術者は,海外のDRAMメーカが日本製と比べて「品質の手抜き」をしており,それによって低価格が実現でき,彼らは売上を伸ばしたのだ,という主張でした.1980年代の日本のDRAMメーカは品質や信頼性を上げるために,多くの研究開発費を費やしたり,冗長性の高い回路を配置したり,設計・製造工程数をより多くかけたりしていました.それら