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文体について(その2)――片岡義男『日本語と英語』を読む(2) - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期から... 片岡義男は、ハワイのマウイ島生れの日系二世の父親と滋賀県に生れた日本人の母親のもとで、幼児期からバイリンガルで育った。英語と日本語をほぼひとしく話したが、《子供の僕の核心に、より深く届いていたほうがドミナントだったと考えるなら、それは英語のほうだ》と片岡は自伝的エッセイ『言葉を生きる』*1に書いている。 《なぜ英語だったのか。実用的だったからだ。英語という言葉はアクションに則しているから、という言いかたが出来る。考えるときに使った言葉が、圧倒的な優位を保って英語だったから、と言ってもいい。 具体的な事実関係に則して、そのことだけについて述べる言葉、という性格が英語には強くある。子供の僕はここに、根源的なと言っていいほどの共感を覚えたのではなかったか》 その後、片岡は生活の大半を日本でいとなみ、日本語で原稿を書いて暮すようになるのだが、幼少期の一種の「刷り込み」のような自覚は、かれの人間形成
2013/04/21 リンク