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猫
ameblo.jp/uechin-hitorigoto
レース当日は、中山コースには仮柵がつけられており、 年末とは違って馬場状態が良く、 他の何人かのジョッキーに「馬場がかなり固い」と話を聞いていた。 コスモス自身、レース直前までは何も異変は感じなかったものの、 レースでは2コーナーあたりで突っ張るような仕草を見せた。 これは、馬場状態が固いせいではないかと思って様子を見る感じで行ったが、 向正面で手前を変えだして「やはり何かが違う」と思いながら3コーナーに入った。 そして、右手前になった瞬間、 完全に異常を感じてスピードを落とすことにした。 コスモスは鞍上の指示に敏感な馬で、 過去にはレース中に急に外に逃避してその反動で骨折したこともあるし、 名古屋では3角先頭から騎手に反抗して後方まで下がり、 そこから直線で差し切ったこともある。 おかしいと思った時点ですぐに止めることにしたものの、 急に力一杯に手綱を引っ張れば後続に迷惑をかけて事故につ
中山金杯のアドマイヤコスモス、 「右第3中手骨複骨折」を発症してしまい、 最下位に終わってしまいました。 パドック、返し馬までは何ともなく来ていて、 レースで走り始めると、1、2コーナーあたりでは (ん?ちょっと走りが固いかな) ぐらいに感じたものの、許容範囲内だったんやけど、 3コーナーで明らかにいつものこの馬ではないと感じ、 そこからは抑えにかかるしかありませんでした。 人気を背負っていたこともあるし、 苦しい決断だったけど仕方ありませんでした。 コスモスはこれから、美浦に行って手術を行ないます。 軽傷とは言えない大ケガで、 競走馬として復帰できるかどうかまだわからないけど、 それでも…、少しでも症状が軽いことを祈ることしかできません。 また、術後の状況がわかったら、お知らせします。
みなさん、多くの質問をくれてありがとう ネタに困った時に、有効活用させてもらうわ 今日は、午前中から子供の幼稚園に行ってきた 1月生まれの子供を対象にした誕生日会があって その会を見るために行ってきたんやけど、 金曜日の午前中ということでお父さんはみんなおらず、 ものすごく場違いな空気に… 写真撮ろうかと思ってたんやけど、 ちょっと、そういう雰囲気ではなかったわ さて、今週の競馬は、土日で12鞍の依頼をいただきました。 強い相手が集まる京都で掲示板に載ることができた レッドシェリフとか、サダムトウコンとかもまた乗せてもらえるし、 まだ今年勝ってないから、何とか1勝目を挙げて、 もっと依頼が増えるように、アピールしてきたいと思います! 最後に、早速1つ質問を使わせてもらいます! Q、今まで会った中で一番緊張した芸能人は誰ですか? って質問。前にももらった質問で、 当時は言っていい事なのかわか
ダービー後、成長を促すのと、 気持ちをリフレッシュする意味で放牧へ。 この放牧で、 体の成長と精神面の成長を願っていた俺。 俺だけじゃあないなぁ。 みんながそう願ってたかな。 「身も心もひとまわり成長する事によって、それまでの精神的な部分が少しでも落ち着いてくれると、これから先のレースがかなりしやすくなる様に」 との思いだった。 夏の厳しい暑さがまだ残る8月の中頃、 サイレンスは帰って来た。 そして、秋のレースに向けて再び調教を進めていった。 気になっていた放牧の効果は? う~ん、実を言うと俺にもよく分からない。 実際、放牧に行っていたのは約2ヶ月。 今でこそ短期放牧というシステムが主流になってきていて、 あまりレース間隔を開けずに簡単なリフレッシュで厩舎に戻す事で 再び実戦に近い調教から始められ、 比較的早くレースに使えるという利点がある。 それはそれで大変に良いシステムであり、 今の厩
見事にプリンシパルSを快勝してくれたサイレンス。 改めて、本当に凄い馬だと痛感させられた瞬間でもあった。 それと同時に、先生の考えていた事、 先生の方針も間違っていなかった事を改めて感じた。 それだけサイレンスは凄い馬だった。 そして、いよいよダービーに向けて調整を続けていく訳なのだが、 丁度この頃から、 それまで毎日サイレンスに跨がってきた調教に乗らなくなってしまった。 なんでかって? たぶん先生は、ダービーに向けて悔いの無い調教をしたかったんだと思う。 確かにダービーは、 その馬達にとっては一生に一度出れるか出られないかの、 サラブレッドに生まれてきたからには頂点とも言えるべき舞台。 だからこそ、悔いの無い調教をしたかったんだと思う。 その思いは、言うまでも無く伝わってきた。 俺は、それまでサイレンスの追い切りは、 絶対に目一杯の時計を出す事はして来なかった。 それは、前述までに何度も
3戦目を圧勝したものの皐月賞には間に合わず、 照準をダービーに切り替え、 トライアルの青葉賞を目指す事になったサイレンススズカ。 まだまだ課題を沢山残しながらも慎重に調教を積んでいったのだが、 青葉賞のレースの週の火曜日、 思いもよらない事態に陥った。 朝、厩舎に行くとサイレンスの脚が腫れていた。 俺も、先生も、厩舎のスタッフも、みんなが青覚めた。 そして、予定していた青葉賞も、 この時点で断念せざるをえなかった。 診断の結果、幸い軽傷で、 「何日か休ませれば、腫れも治まるのでは」 との、獣医の診断だった。 この時、俺も相当心配したが、軽い症状との事で少しは安心した。 当然、この時はすでに次のレースの事などは一切頭に無く、 1日でも早い脚の回復を祈るのみであった。 そして、1週間ほど厩舎の周りを歩くだけの運動にして様子を見た。 その甲斐あってか、翌週の火曜日から調教を再開する事が出来た。
サイレンススズカと最初に出会ったのは、 俺が海外修行から帰ってきて初日の調教だった。 この馬は、橋田先生が俺の 「久しぶりの日本での復帰戦に」 と、わざわざ温めて置いてくれた馬で、 俺の帰国する少し前に入厩させて、 調教開始のその日から、 ずっとほぼ毎日俺が調教していた。 最初の第一印象は、 馬体は少し小さいけどもの凄く柔らかくて、 ゴムマリの塊というか、 もの凄くバネの効いた走りをする馬だなぁっていう印象。 調教を何日かしたところで、 初めて坂路で軽く速いところをやった。 55~56秒位やったかなぁ? その時初めてこの馬の本当の凄さを知った。 スピードを上げるにつれフォームが沈んでゆく。 そして「いつでも弾けるぞ」と言わんばかりに、 軽々と坂を駆け上がりゴールした。 そしてサイレンスは息ひとつ乱れず、 何事もなかった様に落ち着き歩きだした。 当然まだまだ余裕で、 俺もそれまで体験した事の
みなさん、かなりお久しぶりです。 上村洋行です。 このたび、JRAの調教師試験に合格しました! 現役時代から通算して5回目の挑戦で、やっと合格することができました。長かった・・・。 調教師になるという目標を現実にするため、現役を引退してからというものの、調教の合間に厩舎で勉強、家に帰ってからも勉強の日々。 毎日、8時間ぐらいはペンを持ってたんじゃないかなあ。 それでもなかなか受からず、5回目で初めて一次を突破してからというものの、今度は二次で落ちたら意味がないというプレッシャーが出てきて。 さっき、嫁さんからJRAのホームページに合格発表が出てると聞いて、ドキドキしながら名前があるのを確認しました。 ホンマ、良かったわあ・・・。 いま思えば、勉強する気力・体力があるうちに引退して良かったかな。 まわりの受験者は大卒がいっぱいいて凄そうだったし、僕なんかは中学を出てから勉強とは無縁だったから
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