サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
appletechlab.jp
過日Twitterで @goando 氏のツィートに目が釘付けになった…。それは数種のiPhone旧機種をバラシ、各部品を美しく配置し一枚のアートフレームに仕上げた製品購入の話しだった。早速当該ウェブサイト(GridStudio)を覗いてみたら珍しく物欲が刺激され思わずその「アートフレームGRID 4S」を買ってしまった(笑)。 ※「アートフレームGRID 4S」【クリックで拡大】 今更だが…2007年1月9日のこと、初代iPhoneがAppleのCEO スティーブ・ジョブズにより「電話を再発明する」として発表されたときには世界が沸き立ったものだが相変わらず酷評も目立った。しかし今やその存在は世界的に揺るぎないものとなっておりすでに我々の生活を一変させライフラインの一端をも担っている。 ※包装も他に類を見ない素晴らしいものだった その iPhoneも年を追うごとに新製品が登場し現在に至って
iOS 14では、ホーム画面をカスタマイズしたり、App Clipでアプリケーションを見つけて使ったり、メッセージでいつでもつながることのできる新しい方法が導入されています。 Appleは本日、iOS 14のプレビューを発表しました。iOS 14では、デザインが刷新されて美しくなったウィジェットとAppライブラリによりホーム画面のページにこれまでで最大のアップデートが行われ、App Storeを利用する新しい方法であるApp Clip、メッセージアプリケーションのパワフルなアップデートが導入されています。 新しいウィジェットは、時宜にかなった情報を一目でわかるように表示し、ホーム画面のどのページにも、ピンを使って様々なサイズで固定することができます。ユーザーは、ウィジェットのスマートスタックを作成し、デバイスの知能を活用して、時間、場所、アクティビティに適したウィジェットを表示できます。
Appleは本日、世界で最も先進的なデスクトップオペレーティングシステムの最新版、macOS Big Sur(ビッグサー)をプレビューしました。macOS Big Surは、まったく新しいものでありながら、すぐに馴染める美しい新デザインが導入されています。 Safariにはカスタマイズ可能なスタートページ、洗練されたデザインが施され、さらにパワフルになったタブ、すばやく簡単に使える翻訳機能、新しいプライバシーレポートなど、多数の新機能が搭載されています。新しくなったメッセージアプリケーションでは、よりパーソナルで表現豊かなメッセージを送受信することができます。また、グループメッセージ内で会話を追ったりメンバーとやり取りすることが簡単にできるようになります。マップも大幅に新しくなり、世界各地を探索しながら臨場感あふれる体験ができる様々な機能が加わります。 macOS Big Surのデベロッ
Appleフリークそしてシャーロッキアンを自負している私であるが先日シャーロック・ホームズ関連本を読んでいたときあらためて確信したことがある。それはスティーブ・ジョブズとシャーロック・ホームズとの共通点についてである。もしかするとジョブズはシャーロッキアンではないかとも思う(笑)。 まあ、我ながら突飛なテーマなので遊びとしてお付き合いいただきたいが、ここのところ数冊のシャーロック・ホームズに関する研究書を読みあさっていたとき、ホームズの生き様というかその性格や気質がAppleのCEO スティーブ・ジョブズのそれと重なり合うように思えた。 たぶんこの両者に共通点を見いだすのは世界でも私が初めてではないかと自負しているのだが...(笑)。 無論スティーブ・ジョブズは時代の寵児として実在している人物だし、ホームズはイギリスのビクトリア朝時代後期に活躍した世界初の私立コンサルティング探偵業を始めた
ちょうど30年前のこの時期(1987年)、「MacTalk」というMacの情報誌が発刊された。隔月刊として第8号まで出版されたが、これは出版社の手になる物ではなく秋葉原でショップ展開していた(株)イケショップのユーザーグループ・マガジンだった。この雑誌に関しては「イケショップ『MacTalk』誌に見るユーザーの等身大情報とは?」に詳しいので繰り返さないものの、VOL.3に載った「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」という記事についてご紹介してみる。 Macintosh II という最初のカラーMacを購入した時期だったが、タイトルの「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」とは些かあからさまでイヤラシイ感じも受けたが、まあ単なるネタだと思って原稿依頼を受けた記憶がある(笑)。 このとき載ったのは私と松木英一氏、斉藤秀行氏の三人だったが、後の編集後記によれば引き続きより強者たちが登場するよう
先日の2017年1月9日はiPhoneが発表されてからちょうど10年となる日。つきなみだが長いようでもあり一瞬のことだったようにも思えるが、iPhone成功の秘密をあらためて当時に立ち帰って眺めてみるとなかなかに面白い。私自身は日本では発売されなかった初代 iPhoneの情報に接したとき本当に心がときめいたものだ。 ということで今回は当時そのiPhoneに関して書いた記事を読み返しながらどんな反応があったのかを振り返ってみたい。なおここでご紹介するアーティクルは現在でも当時のまま、お読みいただくことができる。 私がニュース記事を別にして、iPhoneに関する記事を当Macテクノロジー研究所ブログに掲載した最初は発表から2日経った2007年1月11日だった。それは「Apple iPhoneの素直な印象~写真だけではその凄さは分からない!」と題した記事だったが、自身まだ実機を手にしてはいなかっ
愛用のApple Watch 2にApplePayが使えるようにとSuicaおよびクレジットカードを登録し準備は万端だったがこれまで決済そのものの機会がなかった。しかし先日その機会ができたので左腕に着けているApple Watch 2だけで3つの買い物をしてみた。いやはや便利なのは勿論、これは快感!! ※Apple Watch 2によるApplePayは準備万端だった まず最初にSuicaで決済できる自動販売機を探して飲み物を買ってみた。「カードをふれてください」と表示があるリーダーに左腕に着けているApple Watch 2をかざすと商品がセレクトできるようになる。そこでペットボトルの水 (110円) のボタンを押し、再度Apple Watch 2をかざすとボトルが降りてきた。これが初ApplePay決済となった。 勿論Suicaのカードはエクスプレスカード設定になっており、2,000円
スティーブ・ジョブズの生涯に興味がある方なら、彼が禅の師と仰ぎ、妻となったローリーン・バウエルとの結婚式を司ったりNeXTの時代にメンタルな指導者として任命された曹洞宗の僧侶、乙川弘文あるいは知野弘文という名をご存じだと思う。 以前ケイレブ・メルビー原作の「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」を読み、あらためてスティーブ・ジョブズと乙川弘文の縁を知ったが、今般ジョブズの高校時代からの彼女だったというクリスアン・プレナンの著作「THE BITE IN THE APPLE」(原著)をぽつぽつと拾い読みしていて驚いたのはクリスアンは弘文を聖書に登場する悪魔の名まで出して嫌悪していることだった。そこであらためて乙川弘文とはどのような僧侶だったのかを知りたくなった。 ※「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」表紙 とはいえ弘文について日本語で読める資料はほとんどない。詳しいのは前記した「ゼン・オブ・スティ
スティーブ・ジョブズのスーツ姿を知る人も少なくなった感がある。先日クライアントの方から「スティーブ・ジョブズってスーツ着たことってあるんですか」と聞かれた。その2日後にTwitterで蝶ネクタイの話題が目に付いたので今回はスティーブ・ジョブズとスーツの雑談をしたい...。 そういえばジョブズのイメージは近年Appleユーザーになった方の印象ならジーンズに黒のタートルシャツといったものだろうしスーツ姿の彼をイメージするのは難しいかも知れない。しかしApple IIのデビューを機に彼もスーツを着始めたのだ。 以前「スティーブ・ジョブズの衣装がずっと変わらなかった...は伝説」でも述べたが、Apple復帰後もスーツ姿でイベントに登場したこともあった。 ところでジョブズはそもそもヒッピーだったといってよいだろう。「スティーブ・ジョブズ」 1995 ロスト・インタビュー」の中で、「あなたはヒッピーで
8月10日の朝、いつものようにTwitterのタイムラインを眺めていたら “籐 シロー“ というワードが目に飛び込んできた。ブログが昨年3月から更新されていなかったこともあり瞬間なにがあったのかが分かった気がして戦慄が走った…。そのツイートでブログ maclalala2で知られている藤シローさんが4月に亡くなられていたことを知った。そしてリツイートではお孫さんの書き込みも…。 お孫さんのツイートだからして残念ながら間違いないようだ。長い間アップル関連の情報を、それもユニークで鋭い視点から我々アップルユーザーに届けてくれていたmaclalala2 ブログの主宰者、籐 シローさんが4月に亡くなられていたとのこと。いままで知らなかった…。 以前当該ブログでも「1985年 クリスマス商戦におけるAppleの動向」というアーティクルをアップした際、文末に簡単なご報告をしたが2013年4月のある日、籐
ウェブデザインにしろ印刷物にしてもそのコンセプトとするイメージを伝えるために重要なことのひとつがフォントの選択だ。いうまでもなくフォントの違いで印象はがらりと変わる。それだけに効果的と思われる良いフォントは手元に置いておきたいものだが、先般「ORADANO明朝フォント」というものを初めて知った...。 まずは何の予備知識もなく「ORADANO明朝フォント」を見た時に理屈抜きで「いいなあ」と思った。明治時代の香りが漂うようで上手に使えば他に類を見ない効果的なデザインに使えると考えた。 それもそのはず、「ORADANO明朝フォント」が実装している仮名および仮名に準ずる記号は、東京築地活版製造所が明治30年〜31年に販売しあるいは印刷していた五号活字(“築地体前期五号仮名”の最終型)というものに基づき、内田明氏がアウトライン化したもので、それ以外の非漢字は、内田氏自身が新規にデザインしたものだと
スティーブ・ジョブズは2005年6月12日、スタンフォード大学の卒業式で後世に残るであろう名スピーチを披露した。その中で彼は大学を中退後calligraphyの授業を受けたことが10年後最初のマッキントッシュを設計する際に役に立ったといい、もし大学を中退してその授業を受けていなければ、Macが複数の書体やプロポーショナルフォントを持つことはなかっただろうと言い切った…。 いまから思えば1984年に登場したMacintoshのフォントはモニタ表示も印刷も決して精緻なものではなかったが当時はもの凄く美しく思えた。 それまでのパソコンはいわばフォントというものを蔑ろにしていた。第一現在のように白い背景に黒い文字ではなく当時は黒い背景に白、グリーンといった文字が表示されていたのである。 だからこそMacPaintやMacWriteでまさしく白い用紙をイメージしたモニタに思うさま複数の書体を混在でき
Altair 8800の成功はまずポピュラー・エレクトロニクス誌の企画なくしては始まらなかったと考えられるが、その後はユーザー同士の口コミの効果も大きかった。そしてどの時代にも並外れて行動的なユーザーが存在し、この個人で所有できるコンピュータの存在を積極的に広めた人物も目立った…。 そうしたパワーユーザーとして知られている人物の1人がスティーブ・ドンピアだ。 建築業者だったドンピアはポピュラー・エレクトロニクス誌の記事に啓示を受け、早速MITS社に小切手を送りすべての部品と周辺機器を1つずつ欲しいと注文する。 彼はすでにコンピュータに興味を持ち、ELIZAプログラムの一種を楽しんだりBASICブログラムを勉強しつつ自宅にテレタイプを購入していた人物だった。 ドンピアは一日も早く組立に必要な部品を手にしたいと考えたが同時に果たしてMITS社という企業は本当に存在しているのか...を確かめたく
ビッグコミックスペリオール発の漫画だという「スティーブス」が面白い!最初はKindle版を購入して読み始めたがそれはそれとしてコミック版も買ってしまった。作者は「漫画:うめ(小沢高広・妹尾朝子)」、原作:松永肇一という方々だが、「スティーブス」という作品の存在は知っていたものの、申し訳ないが…近年漫画はほとんど読んでいないのでそれ以上の予備知識はまったくなかった。 そんな私でも「スティーブス」は面白い。二人のスティーブの物語は自分が関わった1980年代からリアルタイムで実体験し、また近年になってからはあらためてAppleという特異な企業の歴史を調べてきたのでいわば耳タコのはずなのだ。しかし生き生きと、そして丁寧に描かれたスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの物語は何度読んでもワクワクしてくる...。 現時点では4巻が出たばかりだが、アップル黎明期の混乱とジョブズたちの狂喜狂乱ぶ
1989年7月10日、幕張の東京ベイNKホールは異様な熱気につつまれていた。Apple Computer社の創業者であり、自らが「生涯砂糖水を売って過ごすのですか...世界を変えてみたいと思いませんか?」と誘ったジョン・スカリーに追放された彼が新しいマシンをたずさえて我々の前に登場したのだ。そのコンピュータの名はNeXT...。 今の私たちはMacWorldExpoの基調講演などで、Apple Computer社CEOであるスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションの妙を知っている。私もサンフランシスコのExpoなどで、彼の基調講演を直接何度も聞いたが確かに話の間の取り方、話題の順序、常に客席を意識した話し方などなど関心することばかりである。 私がスティーブ・ジョブズのプレゼンテーションを最初経験したのはすでに彼がAppleを辞め、NeXT社が開発したマシン宣伝のために来日したその時が最初だ
DiskWarrior は2006年から使い始めたから今年で9年ほど愛用していることになる。MacのメンテナンスソフトとしてはこれまでNorton UtilityをはじめTechTool Pro、Drive 10、ドライブジーニアスなどなどを使ってきたが、個人的に一番信頼しているのがこのDiskWarriorだ…。この度長らく待たされたが、新バージョン “DiskWarrior5” がUSBメモリでリリースされたので早速使っている。 コンピュータのハードディスクは一般的にいえば、使用時間に比例して具合が悪くなるものだし意外に頑健かと思えば一瞬で壊れるものだ。常にメンテナンスが必要な消耗品という認識がないといざという時に被害は甚大になってしまう。やはり理想は大きな問題となる前に対処を怠らないことにある。 さてハードディスクのトラブルといっても多々あるが一番多いケースはディレクトリエラーではな
1976年にApple 1が1977年にApple II が登場という事実から考えても、パソコン登場から今日まで40年ほどの歳月が過ぎている。その間、コンピュータの性能や能力は計り知れないほど向上しマウスといった新しいポインティングデバイスも登場した。しかし40年間基本的に変わらないものがある...。それがキーボードだ! 勿論キーボードという文字入力、コマンド入力デバイスがまったく変わっていないわけではない。薄型軽量の製品、持ち運びが可能な製品、ワイヤレスの製品といった様々なキーボードも登場した。さらにiPhoneなどでは物理的なキーボードではなくソフトウェアキーボード(仮想キーボード)が実用になっている。ただし、QWERTY(クワティー)配列が標準であることはもとより、キーボードの使命とその重要性は些かも変わっていない。 ※Apple II スタンダードのキーボード(部分) ※iOSでも
僅かであるが会社時代の遺物が残っている。そのうちのひとつが契約書類だが、先般私の会社のアプリケーションをApple Performaにバンドルするための「ソフトウェア販売契約」の書面が出てきたので今回はバンドルのお話しをさせていただこう...。 Mac用アプリケーションと一言でいっても様々なジャンルがあるが、私の会社では当時QuickTimeをサポートした映像系の製品といわゆるエンターテインメント系の製品が稼ぎ頭だった。 それらのパッケージソフトは現在のようにインターネットを通じてダウンロード販売といったビジネスが出来得ない時代だったから、大手の流通会社に売り込んで全国のショップ店頭に並べてもらい、ユーザー諸氏の手に渡るよう努力を続けていた。 一方、1990年の半ばにもなるといくつかの自社開発ソフトウェアのバンドル依頼が舞い込むようになった。自分たちを卑下するわけではないが、極小企業の我々
別途連載しているニフティのログ公開を整理しているとき、1995年8月15日発行の「愛と哀しみのコンピュータ企業」という書籍についての発言を思い出した。同書は別冊宝島230号として出版されたものだが、興味深いことに当時のアップルジャパン社長の椅子が何故不人気なのか…についての記事があり、そのタイトルは「『社長の』のスカウト、私も断りました」という過激なもの(笑)。今回は今だから話せるアップルジャパン社長の椅子に関しての昔話である。 この本が印象深かった点は、丁度三田聖二社長が解任されたというニュースが飛び交った時期と重なったことだ。その三田社長は本書の中にも数度その名が紹介されている…。 ご承知のようにApple Japanは1996年11月から東京オペラシティータワーに本社を置いているが、2011年10月30日に合同会社となりアップルジャパンを吸収して現行の体制となった。そして株式会社でい
Appleのスペシャルイベント(米国時間2015年3月9日)で待ちに待ったApple Watchのオフィシャル情報が公開された。個人的には安価なモデルを手にしたいと考えているが、実は Apple Watchに惹かれるのはデザインでもなければ腕時計としての機能でもない。それが私たちのライフスタイルを再び激変させるであろう予感があるからだ。 さて、Apple Watchはスティーブ・ジョブズが亡くなってから初めて登場する新製品である。思えば iPadの発表以来実に5年ぶりだ。ただし状況を考察するにApple Watchはジョブズの生前にそのコンセプトの一端はすでに存在していたと考えて良いだろう。 ※3月9日(米国時間)のスペシャルイベントでApple Watchに関してスピーチするティム・クック CEO なぜならまずスティーブ・ジョブズ自身も "腕時計" というアイテムが決して嫌いではなく、公
スティーブ・ジョブズがAppleを辞職した原因と当時の状況をより深く知りたいと情報を集め続けているが、Appleにとってこの重大事は後から見ればAppleが大きく飛躍するために必要な犠牲だったようにも思う。ジョブズ自身、例のスタンフォード大学におけるスピーチで「当時は分からなかったが、Appleをクビになったことは私の人生にとってもっとも重要なことだったと今では思う」と発言している...。 ジョブズは「…クビになった」という言い方をしているが別項「スティーブ・ジョブズはAppleを首になったのか?」で考察したとおり、彼は決して文字通りのクビになったわけではないことは明らかだ。追い出した側のジョン・スカリーもまさかジョブズが辞めるとは考えていなかったことが伺える。 しかしジョブズが自身で「Appleを首になった」と振り返っていることは自身の人生にとって重要な事だったにしてもスピーチ当時決して
昨年末に届いたリーアンダー・ケイニー著「ジョナサン・アイブ」(日経BP社刊)をまずは速読してみた。ただし個人的にはジョナサン・アイブのデザインに一抹の不安要素を感じている1人だし、彼の人生を知りたいとは思わない(笑)。ただただ本書への期待はアップルのIDg(工業デザイングループ)の様子とジョブズとの接点を知りたいと考えたからだ…。 スティーブ・ジョブズが1997年にアップルに復帰してからの活躍はあらためて申し上げることもないと思うが、その原動力となったのはデザインチームにいたジョナサン・アイブだった。しかしどうにも自分の実体験からしてジョナサン・アイブには全面的な信頼を持てないでいる…。 それらの実例としては過去に「私がジョナサン・アイブへ不信感を持っている理由(笑)」で述べた通りだが、それはそれとしてもジョブズ亡き後、アップルをアップルたらしめる人物はCEOのティム・クックを別にすればジ
スティーブ・ジョブズは日本贔屓だったといわれている。蕎麦や寿司が好きだった、あるいは日本の版画家である川瀬巴水や橋口五葉の作品を好み、京都にも度々足を運んだという。また若い時には永平寺を訪れて禅僧になろうかと思った時期があったほどのジョブズだったが、彼が禅とか日本文化を好んだのはそのミニマリズムにあったと思われる。それらから後年彼の口癖となった感がある「クール」とか「シンプル」という意識に通じる閃きを感じたに違いない。 スティーブ・ジョブズは大学をドロップアウトした後も宗教寺院を訪ねたり禅を実践したり、結局インドにまで旅をすることになる...。 とはいえ彼が日本文化そのものや禅の奥義を知り尽くし極めたというはずもなく、若い時には自分の未来に光明を照らす何かを求めた過程の行為だったと考えるのが妥当だろう。 ではそもそもスティーブ・ジョブズが日本文化とそのミニマリズムの魅力を知り興味を持った
パーソナルコンピュータの開発あるいはその市場の創造に大きく貢献したユニークな人々の人生を取り上げてみたいとこれまで「パソコン世界を創造した傑物たち」と題して5人の人物を紹介してきたが、肝心な1人...そうApple IIの開発者でありAppleのもう1人の創業者、スティーブ・ウォズニアックを加えなければ完結しない...。 スティーブ・ウォズニアックという人物は現在でも時々ネットを賑わす言動があるから比較的最近Apple製品のユーザーになった方々もご存じに違いない。ただしウォズニアックという人間にあらためてフォーカスし、彼なりの人物像を浮かび上がらせたいと思うと意外に難しい人物でもある。 ※スティーブ・ウォズニアック まず最初に申し上げておくが、本編はウォズニアックを単純に「天才」で「よい人」というような見方はしていない。しかし決してウォズニアックという人物やその輝かしい業績を否定し、彼の経
スティーブ・ジョブズがビル・アトキンソンらとゼロックス社パロアルト研究所(PARC)を訪れた際のエピソードはこれまで虚々実々のいわれ方をしてきた。しかし、その一瞬はAppleの歴史にとっても最も重要なシーンだったことは間違いない。今回はその日、その時に焦点を当ててみる。 後年WindowsがMacに似すぎていると文句を言ったスティーブ・ジョブズ(以後S.ジョブズ)に対し、Microsoft社のビル・ゲイツが「ゼロックスの家に押し入ってテレビを盗んだのが僕より先だったからといって、僕らが後から行ってステレオを盗んだらいけないってことにはならないだろう」と言い放ったという話がある。 この物言いは、当時Apple Computer社(以後Apple社)のS.ジョブズがPARCに乗り込み、PARC側の意志を無視して文字通り技術を奪い取ったとも受け取れる発言だし、これまで一部のマスコミでも同種の扱い
スティーブ・ジョブズといえばApple。Appleといえばスティーブ・ジョブズ…という印象は大変強い。彼はAppleの創業者の1人だったし一度はAppleから離れたものの奇跡とも思える復職を果たしただけでなく、いつ倒産してもおかしくないほどのAppleを世界一の企業にした。しかしジョブズの人間形成に大きな影響を与えたのはAppleよりPIXARの方かも知れないのだ。 Macintoshは勿論のこと、スティーブ・ジョブズはApple復帰後にiPod、iPhoneそしてiPadと矢継ぎ早に私たちの生活を変えてしまう製品を世に送り出した。我々にしてもAppleといえばスティーブ・ジョブズだし、スティーブ・ジョブズ自身にとってAppleという会社は人生のすべてであったかのように思いがちだ。 実際にそうだったのかも知れないものの、彼がAppleと同時にかかわったもうひとつの企業 PIXAR…すなわち
iPhone 6 Plusを手に入れてから2つ目のケースを購入した。最初のケースは1番ベーシックでiPhone 6 Plusのデザインを損なわないもの…という主旨からsimplismの0.7mm極薄透明ケース(ストラップ付)を装着したが、今回は10日間ほど実際に使った感想をもとに、より安全性が高いと思われるsimplismの「カードポケット&背面グリップバンド付シリコンケース」を買ってみた。 個人的にこの「カードポケット&背面グリップバンド付シリコンケース」に期待する点は2点である。本製品はケース本体がシリコン製であり、0.7mm極薄透明ケース(ストラップ付)などと比較してイヤフォンコネクタやLightningコネクタ部分もカバーが付き、保護という面から安心感が増している。そしてシリコン製のケースは手にしっかりと馴染むだけでなく滑りにくいこともポイントだ。 ※トリニティ社製simplism
Appleの iPodが我々の音楽の楽しみ方を大きく変えたわけだが、その22年前にソニーが発表したウォークマンはそれまでになかった軽妙なヘッドフォンと共に音楽のリスニングをステレオの前から開放し、歩きながらでも楽しめる先鞭をつけた。実はその最初期…すなわちファーストロットのウォークマンにはソニー会長の盛田昭夫や井深大といった創業者たちの溢れる遊び心がこもっていたことをご承知だろうか…。 ソニーの初代ウォークマンは初期ロット3万台製造されたというが、同じ初代ウォークマン(TPS-L2)といっても大別して3種知られておりその外装の作りに違いがあるのだ…。 その最たるものはヘッドフォン端子部位にプリントされた“GUYS & DOLLS” というテキストだ。初代ウォークマンは会長の盛田の発案で2人一緒に音楽を聴けるようにとヘッドフォン端子を2つ装備してあった。何故なら盛田はウォークマンを1人で独占
私は長い間Appleのユーザーであると同時に約14年間アップルジャパンのデベロッパーとしてMacのソフトウェア開発を仕事としてきた。それはAppleの製品やその文化が好きだったからに他ならないものの反面「製品好きの会社嫌い」といったことも公言してはばからなかった。そんな私でも日経BP社刊「沈みゆく帝国」は実に後味が悪い本だった。 Appleのことならどのような事でも知りたいとこれまで膨大な時間をも費やして突っ走ってきた。しかし当ブログをお読みいただければお分かりの通り、決してAppleやそのCEOであったスティーブ・ジョブズに媚びを売るような発言はしていないつもりだ。良い点は良いとするものの駄目なところは声を大にダメだと主張してきたつもりである。事実ジョブズに苦情の手紙を送ったこともあったしデベロッパー時代はアップルジャパンにとって実に御しがたい奴だったに違いないとも自負している(笑)。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『バナー広告募集について - Macテクノロジー研究所』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く