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ブックレビュー
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多田井喜生『昭和の迷走──「第二満州国」に憑かれて』(筑摩選書、2014年) 戦争遂行に必要な条件は軍事、外交、財政。日本が中国大陸での侵略戦争を進めるにあたって財政面ではどのように資金調達を行っていたのか。本書によれば、朝鮮銀行の創案した「預け合」という錬金術的なからくりが活用されていたという。「“預け合”とは、日本円勘定で朝鮮銀行に振り込まれる華北の軍事費を、朝鮮銀行が現地に設立した中国連合準備銀行との預け合契約によって連銀券を調達して現地軍に支出し、手元に残る日本円は国債購入に回して国庫に還流させる仕組み」である(15頁)。 このからくりを使えば好きなだけお金を引き出すことができる。それは同時に、現地経済でハイパーインフレを引き起こすことでもある。日本経済へもたらされる経済的混乱は相当なものになるはずだが、「明治期に大陸に渡って通貨戦争を繰り広げた日本円は、本土→朝鮮・台湾→満州・北
将基面貴巳『言論抑圧──矢内原事件の構図』(中公新書、2014年) 日中戦争が勃発して日本国内でも世情が騒がしくなりつつあった1937年の12月1日、東京帝国大学教授・矢内原忠雄が辞表を提出した。彼が『中央公論』に掲載した論文「国家の理想」などの言論活動が反戦的で「国体」に反するという非難を受けて政治問題化したため、辞職へと追い込まれた、いわゆる矢内原事件である。滝川事件や美濃部達吉の天皇機関説事件、あるいは矢内原事件後の平賀粛学による河合栄治郎の休職処分、津田左右吉の早大教授辞職──時系列に沿って並べると、一連の言論抑圧事件の中のあくまでも一コマに過ぎないが、本書では敢えてその一コマを詳細に描き出すマイクロヒストリーの手法が念頭に置かれている。 私自身はもともと、例えば竹内洋『大学という病──東大紛擾と教授群像』(中公文庫)や立花隆『天皇と東大』(文春文庫)などで描かれている当時の東大教
中北浩爾『自民党政治の変容』(NHKブックス、2014年) 政治思想としての「保守主義」は何らかの教条体系に基づいて成立しているものではない。そもそもフランス革命における破壊主義的な傾向に危機感を抱いたエドモンド・バークによる考察から始まっていることからうかがわれるように、防衛反応的な性格を持っている。1955年に自由民主党を誕生させた保守合同もまた同年の左右社会党の統一に触発された側面が強い。 自民党の結党当初から、組織的動員力の面で社会党と比べて立ち遅れているという自覚を抱く政治家の間で、組織政党への脱皮、すなわち「党の近代化」が主張されていた。組織改革の試みがどのような帰結をもたらしたのか。本書は、理念と組織の両面で社会的現実への適応を図ったプロセスに着目しながら自民党政治の変容を描き出し、その中で近年における自民党の「右傾化」を位置付けようと試みている。 利益誘導政治が自民党の特徴
【映画】「KANO」 3月8日に台南の威秀影院で馬志翔監督「KANO」を観た。脚本を書いた魏徳聖は本作ではプロデューサーにまわっている。以下、内容に関わる記述もあるので、気になる方は注意されたい。日本でも今年中には上映されるらしい。 今まで一勝すらしたことのない、だらけきった野球チーム。周囲からは白い目で見られてばかり。そこへ突然現れた謎の鬼監督。無駄口など一切たたかず、一方的に命令ばかりする高圧的な態度に、部員たちは戸惑う。しかし、「一緒に甲子園へ行くんだ!」という監督の気迫は徐々に彼らの心中にも浸透、チームは瞬く間に生まれ変わり、快進撃を始める──。 ある意味、スポ根ドラマの王道である。そういう映画として観ても十分に面白いし、そもそも野球に興味のない私でもいつしか感情移入しながら興奮していた。三時間近くの長丁場だが、テンポが良いので飽きさせない。それ以上に私の場合には、当時の時代背景を
重田園江『社会契約論――ホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』、仲正昌樹『〈法と自由〉講義――憲法の基本を理解するために』 一定の社会秩序が成立すれば必ず制約が生まれるが、他方で一人ひとりの多様なあり方を押しつぶしてしまっては社会的な活力が失われてしまう。自由と秩序の両立という政治思想上の根本的なアポリアに対してどのような解答を与えるか? 社会契約論はそうした課題から編み出された卓抜な概念装置と言える。現実における諸々のノイズがシャットアウトされた原初状態という舞台だからこそ原理論的考察が可能となる。 社会科学のあらゆる古典についても言えることだが、社会契約論として提示された結論だけを見てもあまり意味はない。むしろ、そうした結論を導き出すに至った個々の思想家たちの思考過程はどうであったのか、社会構想をめぐる葛藤を追体験していくところに思想史の醍醐味がある。そこから受ける知的刺激は、現代に生
【メモ】ジグムント・バウマン+デイヴィッド・ライアン『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について――リキッド・サーベイランスをめぐる7章』 ジグムント・バウマン+デイヴィッド・ライアン(伊藤茂・訳)『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について――リキッド・サーベイランスをめぐる7章』(青土社、2013年) ・ソリッドな近代からリキッドな近代への変容を様々な論点から分析している社会学者ジグムント・バウマン。本書は、情報化社会における監視研究で著名なデイヴィッド・ライアンとの対話で構成されている。バウマンの議論では、モダニティ/ポストモダ二ティという区別はとらない。現在はむしろモダ二ティがますます深化している時代であると考え、そうしたモダニティの変容をソリッド/リキッドという表現で捉えている。 ・ベンサムが発明した刑務所の監視システムであるパノプティコンに、フーコーが規
木村俊道『文明と教養の〈政治〉──近代デモクラシー以前の政治思想』(講談社選書メチエ、2013年) 現代の我々が暮らす社会で「政治」について考えるとき、暗黙のうちにデモクラシーが自明の前提となっている(もちろん、デモクラシーとは何か?というテーマ自体が論争的であるにしても)。しかしながら、「政治」なるものの多様な可能性を探ってみるなら、こうした自明の価値とされているものもいったん括弧にくくって問い直してみる作業も必要であろう。そこで本書が探求の対象とするのは、デモクラシーがまだ「普遍」的とは考えられていなかった初期近代(=近世、16~18世紀)のヨーロッパ政治思想史である。近代と近代以前、政治思想における双方の知的パラダイムの相違がくっきり浮き彫りにされているところに興味を持ちながら読み進めた。 「文明」と訳されるcivilization、この言葉が広く定着するようになったのは19世紀以降
「台湾アイデンティティー」 台湾の人々にとっての1945年は、日本とはまた違った意味を持つ。戦争の終わり。束の間の解放感。やがて来る幻滅──「日本人」として教育されてきたにもかかわらず日本からは見捨てられ、新来の統治者である国民党政権の下では二二八事件や白色テロで沈黙を強いられた。いずれの「国家」にも自らをアイデンティファイできない矛盾。台湾の作家、呉濁流は日本の植民地統治下でひそかに書いた小説で「アジアの孤児」と表現したが、そうした状況は戦後の台湾史にも当てはまる。 映画「台湾アイデンティティー」はいわゆる「日本語世代」の台湾人6人へインタビューを重ねた記録である。 黄茂己さんは戦時中、日本の高座海軍工廠で働いた。戦後、台湾へ戻って教員となったが、白色テロに怯えた日々を回想する。張幹男さんは独立運動への関与を疑われて火焼島(緑島)の政治犯収容所へ送られた。釈放後、旅行代理店を立ち上げ、働
楊海英『植民地としてのモンゴル──中国の官制ナショナリズムと革命思想』(勉誠出版、2013年) ナショナリズムがいびつな形をとったとき、対外的には攻撃的な排外主義が煽られ、国境線の内部ではマイノリティーへの抑圧として表われる。近年の中国における愛国主義の昂揚は尖閣問題、南沙問題等にも顕著に見られ、日本においても、それこそ日中友好を願う人々の間ですら懸念は広がっている。 他方で、こうしたナショナリズムは中国内部の民族的マイノリティーに対してどのように暴力的な作用を示しているのか。本書は、内モンゴル自治区出身のモンゴル人民族学者という立場から中華ナショナリズムの問題点を抉り出そうとしている。 かつて日本軍が大陸へ侵略したとき、満洲国や蒙古聯合自治政府といった形で内モンゴルを事実上支配していたことがある。その意味で、内モンゴルは日本と中国の両方から植民地化を経験した。「日本刀をぶら下げた奴ら」と
広中一成『ニセチャイナ──中国傀儡政権 満洲・蒙疆・冀東・臨時・維新・南京』(社会評論社、2013年) 「大一統」「漢賊並び立たず」といった時代がかった表現を使うかどうかは別として、天下=中国を統べる政権はただ一つ、分立はあり得ない──こうした観念がとりわけ濃厚な中国の歴史観において、政治的正統性をめぐる相克は歴史解釈にそのまま直結している。政権の正統性を主張するにあたって妥協のない苛烈さは、例えば現在の中台関係を見ても明らかだろう。ましてや「傀儡政権」とみなされた場合、もはや抗弁の余地はどこにもない。 本書が取り上げるのは、満洲国(溥儀)、蒙古聯合自治政府(徳王=ドムチョクドンロプ)、冀東防共自治政府(殷汝耕)、中華民国臨時政府(王克敏)、中華民国維新政府(梁鴻志)、そして汪兆銘政権──いずれも1930年代から日本軍が中国大陸に打ち立てた「傀儡政権」である(他にも小さな政権が多数成立して
五四運動/新文化運動の特徴の一つは啓蒙的リベラリズムにあるが、そうした思潮が台湾へ流れ込んだルートの一つとして雑誌『自由中国』に集った知識人たちが挙げられる。 『自由中国』は1949年11月20日、台北で創刊された。胡適を名義上の発行人としているが、実際の編集実務は雷震(1897~1979)が取り仕切っていた。雷震自身、旺盛に執筆していたが、寄稿者の中でもとりわけ活躍した一人として殷海光(1919~1969)の名前も逸することはできない。 雷震は浙江省の生まれ。1916年に日本へ留学し、京都帝国大学では森口繁治や佐々木惣一のもとで憲法学を学ぶ。雷震が憲政重視の姿勢をとるようになったきっかけはこの日本留学にあったと考えられるだろう。1917年に東京で開催された五九国恥記念会で知り合った張継と戴季陶の紹介により中華革命党に参加、1926年に中国へ帰国すると蒋介石の側近となった。抗日戦争から国共
岩崎育夫『物語シンガポールの歴史──エリート開発主義国家の200年』、田村慶子『多民族国家シンガポールの政治と言語──「消滅」した南洋大学の25年』他 シンガポールはもともと出稼ぎ移民の寄り集まりに過ぎなかった。歴史的・社会的な背景に基づいて国家が現われたのではなく、国家が成立してからその内部としての社会が形成された点では、世界史的に見て独特である。いわば無から国家が立ち現われていく上で、リー・クワンユー(李光耀)のイニシアティヴが極めて大きかった。人材以外にこれといった資源もない狭小な島国が生き残るため徹底した効率性を求める統治スタイルは、リー・クワンユーを創業者とする株式会社に見立てると分かりやすい。 岩崎育夫『物語シンガポールの歴史──エリート開発主義国家の200年』(中公新書、2013年)はこの国の歴史を叙述する中で経済立国の特徴を明らかにしてくれる。 最先端の金融センターとして高
「セデック・バレ 太陽旗編/虹の橋編」 台湾における日本の植民地支配が安定しつつあるように思われていた1930年10月、原住民族セデック族の頭目、モーナ・ルダオが率いる約300人が台湾中部の霧社で武装蜂起した。駐在所を襲撃した後、その日に開催されていた運動会の会場に乱入、集まっていた日本人を次々と殺害し、首をはねていった。犠牲者は約140人に及ぶ。驚愕した日本側はただちに警官隊や軍隊を動員して反撃に出たが、山地を駆け回るセデック族の戦士たちは神出鬼没、ゲリラ戦では彼らの方が圧倒的に強い。攻めあぐねた日本軍は当時としては最新鋭の機関銃や大砲、飛行機、さらには毒ガスまで投入し、またモーナ・ルダオと反目するセデックの別の部族も動員して同年12月までにほぼ鎮圧した。蜂起したセデック族の多くが戦死したばかりか、残された家族も自殺して果てた。いわゆる霧社事件である。 日本軍の圧倒的な戦力を前にして勝ち
石弘之・石紀美子『鉄条網の歴史──自然・人間・戦争を変貌させた負の大発明』洋泉社、2013年 花壇が荒らされて困るから何とかして欲しい──そんなありふれた要望が鉄条網発明のきっかけだった。普通のワイヤーとトゲ付きのワイヤーとを組み合わせて安定化させるというちょっとした工夫から19世紀後半のアメリカで実用化されたグリッデン型鉄条網はあっという間に世界中へと普及していく。 基本的な原理はシンプルで、その後も特段の技術的発展をするわけではない。だが、このローテクは、様々な場面で要請される応用力を持っていた。本来何もないところに人為的な障壁を作るのが鉄条網の目的である。それが力による排除という意図と結びつくと非常に効果的な作用を示す。本書は、鉄条網に視点を据えて人類の負の歴史を描き出していく。 アメリカの西部開拓において土地の囲い込みに鉄条網は活用された。しかしながら、鉄条網を境として作り上げられ
川田稔『戦前日本の安全保障』(講談社現代新書、2013年) 日清・日露戦争を勝ち抜いた日本は中国大陸での特殊権益を確保、アジアにおける大国として国際的な地位を向上させた一方、中国への急速な進出は列強からの警戒心をも招いた。とりわけ国際的な大国として突出した影響力を発揮し始めていたアメリカとの関係が大きな課題となる。本書では、山県有朋、原敬、濱口雄幸、永田鉄山という4人のキーパーソンが抱懐していた国際認識と外交・安全保障構想について検討することを通して、当時の日本が直面した政策的対立軸が整理される。それは、対中関係・対米関係をにらみながら、国際協調路線を取るのか、それとも自主国防路線でいくのか、という選択肢に集約されるだろう。 現在の視点からその是非はともかくとして、中国大陸における権益を維持しつつさらなる進出を図るのが当時の日本が国策を決める前提であった。パワーポリティクスの観点を持つ元老
ヤコヴ・M・ラブキン(菅野賢治訳)『イスラエルとは何か』平凡社新書、2012年 著者は旧ソ連のレニングラード出身で科学史、ロシア史、ユダヤ史を専攻。後にカナダへ移住して、現在はモントリール大学教授。すでに邦訳されている『トーラーの名において──シオニズムに対するユダヤ教の抵抗の歴史』(平凡社、2010年)の内容を圧縮した上で加筆し、一般向け普及版として刊行されたの本書である。 著者自身もユダヤ人であるが、軍事大国化した現在のイスラエル国家に対して極めて批判的だ。イスラエル建国の起動力となったシオニズムの暴力性はユダヤ教の本来の姿から大きく逸脱していると説くのが本書の趣旨である。シオニズムの思想的来歴をたどりながら、それは正統的なユダヤ教解釈に基づくものではなく、むしろ近代ヨーロッパの国民国家思想に起源を持つことを明らかにする。そして、脱ユダヤ教化したイデオロギーを世俗的民族主義に代替させる
周婉窈(濱島敦俊監訳、石川豪・中西美貴・中村平訳)『増補版 図説 台湾の歴史』(平凡社、2013年) 版元からは早い段階で刊行情報は出ていたものの、遅れに遅れて、台湾史に関心を持つ人々をやきもきさせていたが、ようやく出た。私自身は原書の《台灣歷史圖說 増訂本》(聯經出版、2009年)をすでに読んでいたが(→こちらで取り上げた)、書店でこの日本語訳を見つけ次第、早速購入した。パラパラ流し読みしたところ、訳文はこなれていて読みやすい。図版も豊富で、台湾史の概略を知りたいという人には本書をお勧めする。 台湾史の概説的な本は日本でもいくつか刊行されているが、それらがおおむね大陸から渡来した漢族の動向を中心としているのに対して、本書では従来の「漢族中心史観」では無視されてきた原住民族について先史時代から説き起こしているのが一番の特徴である。さらにスペイン、オランダ、日本など外来の支配者の存在も合わせ
スティーヴン・M・ウォルト(奥山真司訳)『米国世界戦略の核心──世界は「アメリカン・パワー」を制御できるか?』(五月書房、2008年) スティーヴン・ウォルトはハーヴァード大学ケネディ行政学院教授、国際関係論におけるネオリアリズムの理論家として知られる。ブッシュ政権によるイラク攻撃を批判してネオコンとは対立した。リアリズムでは国益優先が議論の大前提だが、未熟な大国という自己認識を踏まえ、アメリカの単独優位を長期的に保つためにこそ、過剰なレトリックに走らず自己抑制が必要だと指摘する。 アメリカという単独優位のスーパーパワーの存在自体が、友好国であれ敵対国であれ、脅威と受け止められる。他国は、圧倒的に不利な状況下であってもアメリカの足を引っ張る手段を持っている。アメリカはやりたい放題できるかもしれないが、そのかわりコストが高くつき、結果として国益を大きく損ねてしまう。たとえアメリカ自身は主観的
筒井清忠『昭和戦前期の政党政治──二大政党制はなぜ挫折したのか』(ちくま新書、2012年) 1925年の男子普通選挙によって日本でも本格化した二大政党政治は1932年の五一五事件で犬養毅首相が暗殺されて幕を閉じ、わずか8年間しか続かなかった。もちろん、日本が内発的に議会政治を持ち得たという事実は、その経験が戦後政治にも接続された点で実は非常に大きな遺産であったと言える。本書でも指摘されるように、浜口雄幸、若槻礼次郎、幣原喜重郎といった国際協調主義を取った政治家の名前はアメリカの要人にも記憶されており、軍国主義が暴発した一方でリベラルな勢力も存在していたという日本認識がGHQの占領政策を穏健な方向へ導いたという影響も決して無視できない。だが、そうではあっても、政党政治が短期間に潰え去ったという端的な事実を振り返るとき、痛恨の思いを以て検討せざるを得ない。 護憲三派の形成から犬養内閣の崩壊に至
家近亮子『蒋介石の外交戦略と日中戦争』(岩波書店、2012年) 戦後日本における中国現代史研究は、大陸での情報ソースの不足や、侵略をしてしまった過去の経緯への贖罪意識も手伝って、中国共産党の公式見解をそのまま反映する傾向があったと言われる。ところが、近年、新たな史料の公開や発掘に伴って実証的な研究蓄積も進み、イデオロギー的な歴史理解から距離を置いた著作も次々と世に問われつつある。蒋介石関連の史料、とりわけ2006年よりスタンフォード大学フーヴァー研究所で公開が始まった蒋介石日記を活用した本書もまたそうした成果の一つと言えよう。 著者の前著『蒋介石と南京国民政府』(慶應義塾大学出版会、2002年)では、蒋介石は自らの政権の正当性を内外にアピールすることに努めつつも、その権力基盤は必ずしも磐石ではなかった事情が分析されていた。本書では、1935年以降、蒋介石が権力を掌握していく過程において政治
シアヌークの死去を受けて、彼の激動の生涯も興味深いと思い、何か読んでみようと手始めにミルトン・オズボーン(石澤良昭監訳、小倉貞男訳)『シハヌーク──悲劇のカンボジア現代史』(岩波書店、1996年)を手に取ったのだが、むしろシアヌークの政敵として立ちはだかったソン・ゴク・タン(Son Ngoc Thanh、1908年12月7日~1977年)の方に興味が引かれた。彼の名前は、つい最近読んだばかりの玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢──志を継いだ青年たちの物語』(平凡社新書、2012年→こちら)にも出てきて、気になっていた。 近代的なナショナリズムから植民地支配に抵抗しようとしたところ、「敵の敵は味方」の論理に従って、後から登場した日本軍と協力したという軌跡は東南アジア各地の革命家たちもたどったパターンの一つである。また、当初の親日的姿勢が戦後は反共意識から親米となった経緯は、例えばタイのピブ
藤原辰史『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012年) ふだん我々が何気なく使っている台所。しかしながら、よく考えてみればこれは自然、技術的進歩、社会的意識、様々な知が集約された実に驚異的な空間である。台所というフィルターをすかすと、当時の社会的動向もまたヴィヴィッドに浮かび上がってくる。 ナチズムという政治体制は様々に奇妙な顔を持っているが、「血と土」というシンボルに表われた非合理的な情緒性と、テクノロジカルに効率を重視する合理性とが共存している矛盾は容易には理解しがたい。ところが、こうした矛盾のせめぎ合いの中にこそナチズムが人々を動員するメカニズムの一端が見出される。そこを本書は「台所」をめぐる人物群像を通して描き出していく。 第一次世界大戦後の劣悪な住宅事情に応えるべくリホツキーが設計したフランクフルト・キッチンはテイラー主義の影響を受けている。家事の合理化によ
田野大輔『愛と欲望のナチズム』(講談社選書メチエ、2012年) ヌード写真の掲載された雑誌が流通し、全裸の女性のアトラクションも催される。婚前交渉や不倫も容認され、銃後の女性や若者たちは性戯にふけり、兵隊や捕虜にまで売春宿が設置されていた。ドイツ第三帝国で日常生活に広まっていた「性」のあけっぴろげな放埓さ──。上意下達の総力戦体制は倫理面でもリゴリスティックな抑圧を行き渡らせていたと思われがちだが、本書は一次資料に依拠しながら強面のナチズム体制にまつわるそうした通念を崩していく。単に建前と偽善という当たり前な話ではなく、性的欲望の解放もまたナチズムを支える駆動力となり得ていたカラクリを論証していく手際が本書の面白いところだ(この点で、フロイトの精神分析学を踏まえて性的抑圧がファシズムを生み出したと考えたヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの大衆心理』とは正反対の結論となる)。 ナチスもまた神な
ラナ・ミッター(吉澤誠一郎訳)『五四運動の残響──20世紀中国と近代世界』(岩波書店、2012年) 反日デモの激しさを目の当たりにして、中国とは良好な関係を維持したいと考える一人としては当惑を禁じえない。領土問題や愛国主義の是非についてここで語るつもりはない。ただ、「愛国」という一つの正統的言説が打ち出されたとき、それを中国国内で相対化する言論上の力学が働きづらいのはなぜなのか、やはり気になるところである。表面的に言えば体制の不安定化を恐れる現政権の言論統制によるということになるのだろうが、そこに至るまでの歴史的背景から捉え返せば、より明確な見通しが得られるかもしれない。 1919年5月4日、ヴェルサイユ条約で中国におけるドイツの権益がそのまま日本に引き渡されるというニュースに接し、国際正義のダブルスタンダードに憤った北京の学生たちはデモ行進で街頭に出た。このいわゆる五四運動には愛国主義が
ロメオ・ダレール(金田耕一訳)『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか──PKO司令官の手記』(風行社、2012年) ようやく待望の翻訳が出た。以前、原書のRoméo Dallaire, Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda(New York: Carroll &Graf Publishers, 2005、悪魔との握手:ルワンダにおける人道の失敗→こちらで取り上げた)を一読したとき、司令官として任務にあたったダレール自身の後悔を叩きつけるような強烈な思いが印象深く、これは是非日本語でも紹介して欲しいと思い、待っていた。 1994年にルワンダで起こったジェノサイドの凄惨な記憶はしばらく消えることはないだろう。自分たちは平和維持軍としてやって来て、まさに目の前で大虐殺が繰り広げられているにもかかわらず、何もで
玉居子精宏『大川周明 アジア独立の夢──志を継いだ青年たちの物語』(平凡社新書、2012年) 私はだいぶ以前からアジア主義というテーマに関心を持っていたものの、それを素直に表明できない微妙な居心地の悪さも同時に感じていた。「アジア解放」という大義名分が、かつて日本の国策としての対外的膨張政策に利用された経緯はどうしても否定できず、そこへの慮りを常に意識しなければならないからだ。ただし、「アジア解放」という理想を純粋に信じて生き、そして死んだ人々がいたことも無視できない事実であり、このあたりの複雑な絡まり具合を解きほぐしながら理解していくのはなかなか容易ではない。 そうした複雑さを体現した人物の一人としてはまず大川周明が挙げられるだろう。彼はクーデター騒ぎに参画するなどアクティヴな活動家であり、またアジア主義のイデオローグとして戦犯指名を受けたため、毀誉褒貶が激しい。他方で、篤実な学者であっ
来週は8月15日を迎える。67年前、日本の無条件降伏というニュースは地球の裏側にあたるブラジルで、日本とは違った形で大きな波紋を引き起こしていた。第二次世界大戦直後のブラジル日系人社会で、日本の敗北という事実を受け入れた「負け組」(認識派)と、「日本は勝利したはずで、負けたなどと言うのは非国民だ。けしからん!」と怒り狂った「勝ち組」(信念派)との対立が激化、「勝ち組」の臣道聯盟という組織が「負け組」の人々を暗殺するという事態にまで発展してしまった。 先日、この事件を題材にしたヴィセンテ・アモリン監督の映画「汚れた心」を見て、もう少し詳しいことを知りたいと思ったのだが、原作のFernando Morais“Corações Sujos”はポルトガル語の原書だけしか刊行されておらず、邦訳はおろか英訳もない。このフェルナンド・モライスという人はブラジルでは著名なノンフィクション作家らしく、例えば
龍應台(天野健太郎訳)『台湾海峡 一九四九』(白水社、2012年) 龍應台の「台」は台湾の「台」である。しかし、これにはある種の「よそ者」感覚がまとわりついていると自身で記している。なぜ親はこのような名前を付けたのか? 一時滞在のつもりで来たこの土地でたまたま彼女が生まれたのを記念するため、ということらしい。ある世代には同様の意味合いを帯びた名前の人が多々見られるという。例えば、ジャッキー・チェン。彼の本名は陳港生。「港」は香港の「港」である。彼の親もまた流浪の果てに香港へたどり着いたという背景が息子の名前からうかがえる。 著者は台湾南部、高雄の近郊に生まれた。しかし、小学校に通い始めて気付く──クラスの中で自分はただ一人の「よそ者っ子=外省人」であることに。自分が住んでいるのはいつ引っ越すか分からない公務員住宅。でも、台湾人には祖先代々の家があり、清明節にお参りするお墓もちゃんとある──
篠田英朗『「国家主権」という思想──国際立憲主義への軌跡』(勁草書房、2012年) 現代社会において「国家主権」をめぐるアポリアの一つは、ある国家の内部で深刻な人権抑圧が生じているとき、国際社会がその問題に向けて何らかの対処を検討すると「内政干渉だ! 主権の侵害だ!」と反発され、事態が何も進まないというケースである。例えば、国連安全保障理事会常任理事国として指定席を持つ某2カ国。最近のシリア情勢をめぐっても具体的な決議には及び腰だ。いずれも脛に傷もつ身であり、同様の矛先が自分たちにも向けられたら困るので、先例は作りたくない…というのが理由の一つとして考えられる。 ただし、内政干渉による「国家主権」の侵害という反発は、そう簡単に無視するわけにはいかない。場面によっては単なる自己弁護に過ぎないことが明らかではあっても、少なくともそのロジックに一定の正当性が認められている以上、さらに包括的で説得
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