サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
bible-cafe.com
今週、キリスト教福音宣教会の私たちの教会では「現在が結局を決定する」という主題で御言葉が伝えられました。 核心的な内容としては、こんな感じでした。 将来のこと、未来のことを考えずに、今が良ければ良いという考えで刹那的な生を生きてしまうと将来と未来に希望がなく、将来と未来において苦労して後悔する人生になってしまう。たとえ今現在が大変で苦労をしたとしても将来と未来のために生きるなら希望に満ち溢れた人生になる。 つまり、現在が結局を決定する。 だから、将来の自分の希望のために生きよう。 そして霊の運命は永遠だから、永遠な霊の生のために生きよう。 御言葉は以下の聖句を本文として伝えられました。今日はこの聖書の御言葉を熟考してみたいと思います。 今回はテモテへの第一の手紙ですが、これはパウロがテモテに宛てて書いた手紙と言われています。 テモテへの第一の手紙6章17〜19節 :17)この世で富んでいる
岡山は倉敷には大原美術館という美術館があります。 この美術館は岡山の実業家・大原孫三郎と画家・児島虎次郎によって設立されました。 大原孫三郎は倉敷絹織(現在の株式会社クラレ)を創業するなど岡山の実業家でした。 またクリスチャンでもあり、同じくクリスチャンで孤児院事業の活動をしていた石井十次に影響を受けて社会福祉事業を積極的に行いました。 その大原は児島虎次郎のパトロンであり良き支援者でした。 その二人の熱い情熱によって設立されたのが大原美術館でした。 その大原美術館にはエル・グレコの「受胎告知」が所蔵されています。 この受胎告知が日本の地にあるというのは奇跡と言えることでしょう。 以下はエル・グレコ「受胎告知」の概要です(大原美術館HPからの引用) ■解説 エル・グレコ(1541-1614)は、ギリシアのクレタ島の出身。本名は、ドメニコス・テオトコプーロス。 エル・グレコとは、古いスペイン
ザアカイの悔い改め イエス様に出会って信仰的・宗教的な喜びに満ち溢れたザアカイは自らの罪を悔い改めるようになります。 ルカによる福音書19章8〜10節 :08)ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。 :09)イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。 :10)人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。 ザアカイは取税人という立場を利用して不正な取り立てをしていました。 その罪を悔い改めたザアカイは騙しとったものを4倍にして返済すると誓います。 モーセの律法では人から騙し取った場合には120%の返済をしなければならないと規定しています。 レビ記第6章5節 :05)または偽り誓ったすべての物を返さなければならない
Googleが持株会社であるAlphabetを設立したニュースが話題となっていますが、新しくGoogleの新しいCEOになったサンダー氏に関するニュースを今日は取り上げたいと思います。 以下は抜粋になります。 インド出身のグーグル新CEO サンダー・ピチャイが愛される理由 ある日、部長達が社内の秘密プロジェクトについてミーティングをしていると、ペイジが割り込んできて、全く関係のない話をはじめ、そのまま部屋を去ってしまったことがあった。すると、サンダーが部屋に入ってきて、ペイジが何について話していたのかをみんなに説明した。「ペイジがモーゼだとすると、サンダーは(モーゼの兄の)アロンの役割なんだ」と関係者はコメントしている。この話はサンダーが「ペイジの考え」の代弁者であることを物語っている。(http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150816-0
詩篇145篇14節 主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます。 これは日本に福音を伝えるためにアメリカから来日したある宣教師のお話です。 ずいぶん長い間日本で暮らしていたために、日本語もとても上手で、日本人の気持ちも良く理解できるので、大勢の人から慕われていたそうです。 元気で明るい奥さんは、日本人の奥さんたちの間でも人気者で、宣教師ご夫妻は、とても楽しそうに神様のために働いていたそうです。 大勢の人がこの宣教師に導かれてクリスチャンとなりました。 いつもにこにこ優しい笑顔を浮かべているので、苦しいことや悲しいことは何もないように思われます。 ところが、教会の集会で賛美歌を歌っていたところこの宣教師の心にこのような考えがふっと起こったそうです。 「神様は本当にいらっしゃるのだろうか」 そのような神様に対する疑念の思いに宣教師自身が驚きました。 「自分は、この神様を伝
水野源三さんは9歳の時(小学4年生)に赤痢に罹って、その高熱の影響で脳性麻痺になってしまいました。 それ以来、口もきけず、手も動かず、足も立たず、ただ瞬きによってしか、自分の意志を伝えることができない身体になってしまいました。 どのようにして行うのかというと、家族の方がひらがなの五十音表を指さします。 その指先を見て、自分の伝えたい文字の所に来ると瞬くのです。 あるいは五十音を耳に聞き、表現したい音の箇所でまばたきます。 それを紙に書き留めてもらうのです。 たとえば、「神」と言う言葉を書こうとすれば、アカサタナの「カ」でまばたきし、「カキクケコ」の「カ」でまたまばたきします。これで「か」が伝わります。 次に、「アカサタナハマ」の「マ」でまばたき、次にマ行の「ミ」でまばたくのです。こうして「かみ」ということばを伝えるのです。 こんな不自由な中にもかかわらず、彼は何万という、詩や短歌を作り、多
ヘレン・ケラーの物語は多くの人が教科書などで知っていると思う。 視覚と聴覚の重複障害を持っていた彼女の人生は一人の先生との出会いで変わりました。 それがアン・サリバン先生との出会いでした。 (ここではヘレン・ケラーとアン・サリバンとのエピソードについては割愛したいと思います。) さて、そのサリバン先生自身も実は盲目で障害を持っていたということを皆さんはご存知だったでしょうか。 幼いころトラコーマという病気を患った彼女は母の死と弟の死、そして自身の自身の盲目という苦痛と困難の中でうつ状態になってしまう。 リトル・アーニーと呼ばれた彼女は誰にも心を開こうとせず、だれもが彼女を諦めて、ついには当時いた施設(精神病院)の地下にある独房に入れられてしまいます。 みんなが彼女の救いを諦めた中でたった一人、彼女の救いを諦めなかった女性がいました。 彼女はクリスチャンでした。 彼女は昼休みになるとおやつを
偉人・有名人は神様をどのように考えていたのでしょうか。 偉人・有名人の語った言葉から神の存在について考えるシリーズ第二弾です。 ジョージ・ギャラップ アメリカの世論分析家・統計家 George Horace Gallup(1901〜1984) アイオワ大学卒。ドレーク大学ジャーナリズム学科主任(1929〜1931)、ノースウェスタン大学ジャーナリズム・広告担当教授(1931〜32)、コロンビア大学ピュリツァー・スクール・オブ・ジャーナリズム教授(1935〜1937)を歴任。 1935年にアメリカ世論研究所を創立して理事長となり、翌年にはイギリス世論研究所も創立した。 『私は統計学的に神を証明することができるといえます。たとえば、人間の体につ いて考えてみてください。一人の体のすべての機能が造られるためには、どのくら いの偶然が重ならなくてはならないのでしょうか。これを計算すると、統計的に見
偉人・有名人の聖書観シリーズの第五回は作家・物書きです。 ヘレン・ケラー アメリカの女流著述家・社会事業家 Helen Adams Keller(1880〜1968) 身体の三重のハンディキャップを克服して、障害をもつ人々を鼓舞激励した。 『私が毎日、もっとも愛読する書物、それは聖書です。私の辞書に”悲惨”という文字 はありません。 聖書はダイナミックなカであり、変わることのない理想を示すものです。』 サムエル・ジョンソン イギリスの作家・辞典編集者 Samuel Johnson(1709〜1984) 確かな眼識をもつ、18世紀イギリス文壇の大御所であり、力強く調和のとれた散文体で有名である。 後世の研究でうかびあがってくるジョンソン像は、「困難に遭遇してもくじけず、しいたげられたまずしい人々に同情し、不屈の精神で真実を探究した、卓越したヒューマニスト」である。 『青年よ、ここに生前いくら
サルトル フランスの哲学者・戯曲家・小説家・政治ジャーナリスト Jean Paul Sartre(1905〜1980) 実存主義を主導した代表的人物。 『私は自分が偶然の産物、宇宙のほこりだとは思わない。むしろだれかに期待され備えら予示された存在、つまり創造者である神だけがここに置くことができた存在だと思う。』 アーノルド・トインビー イギリスの歴史家 Arnold Joseph Toynbee(1852~1883) 政治的国家の継承としてではなく、文明の継承として歴史をとらえる歴史観によって知られる。オックスフォード大学のベーリオル・カレッジにまなび、1911~15年、母校の研究員兼チューターとなる。ついで19~24年にロンドン大学でギリシア・ビザンティン史の教授として教壇にたったが、第1次世界大戦後のギリシア・トルコ戦争に際して、ギリシア人によるトルコ人虐殺事件の通信記事を発表したため
さて、しかし聖書を見てみると偶像崇拝・偶像礼拝を神様は禁じています。 出エジプト記20章4節 :04)あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 有名なモーセの十戒の二つ目の戒めがまさに偶像崇拝をしてはいけないということでした。 キリスト教の歴史的な背景を見てみると、プロテスタントの教会は偶像崇拝を完全に撤廃するためにそのような像を廃してきました。 ではキリスト像やマリア像が教会にあるカトリックの教会は聖書に反しているのでしょうか。 決してそうではありません。 私たちの教会の牧師先生はこう教えてくださいました。 『像は象徴です。その本体を考えるために象徴としての像があるのです。新約聖書でイエス・キリストは「私を見たものは神を見たのだ」とおっしゃった。イエス・キリストという象徴を見るこ
さて聖書の中心人物シリーズ:ヨナ篇、遂に最終回です。 ヨナによって悔い改めたニネベの町。神様はそれをご覧になってニネベの町を裁くことをおやめになりました。 しかし、ヨナには神様がどうしてそのようになさったのか分かりませんでした。 そして、事の始終を確かめようと町の東で町を見守るようにしました。 トウゴマの神の恵み ニネベの町は半乾燥気候で季節によってはとても暑い地域で最高気温は50度近くまで上昇します。 そのような状況において神様はヨナにトウゴマによって日陰を与えてくださいます。 (トウゴマについてはこちら⇢[聖書の動植物①]トウゴマ) ヨナはこのトウゴマをとても喜びます。 枯れたトウゴマと怒るヨナ しかし、トウゴマは虫にかまれて枯れてしまいます。 このためにヨナは激しく怒ります。 そのヨナにむかって神様はおっしゃいました。「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」と。 神様はヨナに語り
さて、神様に背を向けたヨナは魚に飲み込まれてしまいます。 そしてヨナは神様に向かって祈ります。その祈りはとても切実な祈りでした。 その中の一節をご紹介しましょう。 ヨナ書2章6節 :06)わたしは地に下り、地の貫の木はいつもわたしの上にあった。しかしわが神、主よ、あなたはわが命を穴から救いあげられた。 ここで 地の貫の木はいつもわたしの上にあったとあります。 貫の木とは、戸締まりのために左右の扉に横向きに差し通す木のことです。 地の貫の木が常に自分の頭の上にあった。 この表現から自分自身の力では決して抜け出すことのできない罪の暗闇の中にいるヨナの苦悩を感じることができるのではないでしょうか。 罪を犯し、神様の前であまりにも小さくて足りない自分。 到底神様の前に顔向けできないような状況。自分自身の力では到底抜け出すことができないような状況。 それでも神様は手を差し伸べ、命を救ってくださる。罪
今日はイエス様のおっしゃった「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」という御言葉を考えてみたいと思います。 今日の話はまさに目からうろこです。 聖書の舞台というのは中東やヨーロッパです。 そのため、日本語の聖書はすべて翻訳されたものです。(←当たり前ですが) 聖書を理解するときに翻訳されたものであるということを知っていると、とてもよく理解することができます。 私に聖書を教えてくださった牧師先生も聖書を読むときは「時代背景・歴史的背景」を知らなければならないと教えてくださいました。 では、早速聖書を開いてみたいと思います。 マタイによる福音書第19章16節~30節 :16)すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。 :17)イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ね
偉人・有名人の聖書観シリーズの第二回、今回は自然科学系の学者シリーズです。 物理学や数学などの学者たちが専門分野を通して神の存在を確信し、聖書の素晴らしさを語っています。 アイザック・ニュートン イングランドの哲学者、自然哲学者、数学者。(1642〜1727) ニュートン力学を確立し、古典力学や近代物理学の祖となる。 『いかなる世界の歴史におけるよりも聖書の中には、よりたしかな真理がある。』 ジョン・アンブローズ・フレミング イギリスの電気技術者、フレミングの法則で有名な物理学者(1849〜1945) 『四つの福音書にあるこれらの出来事(復活とその他の奇跡)の記録を研究してみなさい。そうすれば、あなたは確証済みの科学的事実や科学の原理の中には、何一つ、奇跡を信じることを妨げるものはない、ということがわかるであろう。』 アーサー・ホリー・コンプトン アメリカの実験物理学者で、コンプトン効果の
偉人・有名人の聖書観シリーズの第三回、今回は文学者・哲学者・教育者シリーズです。 ゲーテ ドイツの詩人・劇作家・小説家・科学者(1749〜1832) ゲーテの詩には、自然や歴史や社会と人間精神との関わりへの革新的な観察眼があらわれており、その戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされている。 『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら 私は聖書を選ぶ。』 世界的詩人であるゲーテが獄中にたった一冊持ち込むことが許されるなら聖書を選択すると言い残していることを思うと、聖書の与える影響の大きさを感じざるを得ません。 アルフレッド・テニスン イギリスの詩人。「イノック・アーデン」などの代表作がある(1809〜1892) 『聖書を読むこと。そのことが教育である。』 イマヌエル・カント ドイツの哲学者(1724〜1804) 『聖書の存在は、人類がかつて経験した
取税人ザアカイ イエス様がエルサレムに行かれる途中、エリコという町を通るようになります。 (イエス様はその後、十字架に架かるようになります) エリコという町にはザアカイという一人の取税人がいました。 ルカによる福音書19章1〜10節 :01)さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。 :02)ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。 :03)彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。 :04)それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。 :05)イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。 :06)そこでザアカ
世界一のベストセラーである聖書。 世界中の多くの偉人や有名人も聖書の素晴らしさを語っています。 偉人・有名人の聖書観シリーズとしてまとめたいと思います。 今回は人文・社会学系の学者シリーズです。 三笠宮崇仁親王 日本の皇族、歴史学者(専攻は古代オリエント史)、東京芸術大学名誉客員教授、大正天皇第四皇子、今上陛下の叔父上。(1915〜) 『私は戦時中に敵を知ろうと、キリスト教を調べ聖書にぶつかった。初めは文明を誇る白人がなぜこんなものを信じるのかと笑ったが、聖書が歴史的事実と知ったとき、聖書から離れられなくなった。』 ※この言葉は古代オリエント史を専攻する殿下がなぜ歴史を学ぶようになったかについて述べたときのものです。 南原 繁 日本の政治学者で、東京帝国大学の総長も務めた。東京大学名誉教授。(1889〜1974) 内務省にはいり、日本最初の「労働組合法」草案の作成にかかわった。学生時代から
『良書を読むということは、その著者である過去のすぐれたひとたちと会談するようなもの』 方法序説|デカルト 流石、偉大な哲学者は言うことに味があります。確かに著書というものは著者の思想を凝縮したようなものです。 すなわち歴史の過去の人物たちとも本を読むということによって会談することが可能だということです。 では、世界一の良書である”聖書”を読むということはどういうことでしょうか? 聖書はモーセをはじめ、40人ほどの人々によって書かれたとされています。 しかし、聖書に書かれてある通り聖書の真の著者は神様です。 テモテへの第二の手紙3章16〜17節 :16)聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 :17)それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 すなわち、聖書を読むこ
明治〜昭和初期の農業経済学者・教育家(1862〜1933年) 新渡戸稲造は、明治・大正期の教育家であり、国際連盟事務局次長としても活躍した人物で、旧五千円札の肖像ともなっているので、その顔にはたいてい見覚えがあるはずです。 新渡戸稲造は、札幌農学校の学生時代に、クラーク博士の影響のもとで、クリスチャンになりました。 クラーク博士の言葉「少年よ大志を抱け」(Boys, be ambitious)は有名ですが、本当はこの言葉は「少年よキリストにあって大志を抱け(Boys, be ambitious in Christ)」であり、本来は「キリストにあって」がついていたのだが、それを抜かした言葉が世間では有名になっていると言われています。 新渡戸稲造も、その言葉に従い、キリストにあって大志を抱いた人物です。 それは「われ太平洋の橋とならん」というものでした。 彼は日米を結び、また世界を結ぶ架け橋と
聖書は英語で「the Bible」です。 「The book of books」とも呼ばれ、本の中の本、書物の中の書物とも言えるのが聖書です。 聖書はギネスブックに登録されている! 実は聖書は「世界一発行されている本」としてギネス・ワールド・レコーズに登録されています。 1年間に世界中で約6億3300万冊が配布・販売された(2000年)くらいですから、どれほどでしょうか!! 聖書の語源 聖書(bible)の語源は、ギリシャ語の「biblo」からきており、「パピルスに文字を書いたもの」を意味します。 その語源からも想像できるように、最初に聖書が記録された紙はパピルスでした。 ※パピルスは紀元前3000年ごろエジプトにおいて考案されました。草の髄を縦に裂いて重ね、シート状にして作ります。 聖書については過去の記事も参考にしてみてください。 聖書の訳の違いについて[口語訳/新共同訳/文語訳/新改
聖書の中心人物シリーズ:ヨナ篇でヨナ書について書きましたが、ヨナ書4章を見るとトウゴマという植物がでてきます。 今日はこのトウゴマという植物について書きたいと思います。 トウゴマ(唐胡麻、学名:Ricinus communis)
さぁ、ザアカイは遂にイエス様と出会うようになります。 ルカによる福音書19章5〜7節 :05)イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。 :06)そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。 :07)人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。 イエス様がいちじく桑のところに来られると、ザアカイを見つけてこう言います。 「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから。」と。 ここで不思議なのはザアカイの名前をイエス様が呼ばれたこと。 イエス様はザアカイのことを知らなかったわけですから、ザアカイもさぞかし驚いたことでしょう。 そして喜んでザアカイはイエス様を迎えました。 当時の時代背景を考えると、どんな身分の
マタイによる福音書を読んでみると、このような場面があります。 マタイによる福音書17章24~27節 :24)彼らがカペナウムにきたとき、宮の納入金を集める人たちがペテロのところにきて言った、「あなたがたの先生は宮の納入金を納めないのか」。:25)ペテロは「納めておられます」と言った。そして彼が家にはいると、イエスから先に話しかけて言われた、「シモン、あなたはどう思うか。この世の王たちは税や貢をだれから取るのか。自分の子からか、それとも、ほかの人たちからか」。:26)ペテロが「ほかの人たちからです」と答えると、イエスは言われた、「それでは、子は納めなくてもよいわけである。:27)しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」。 カペナウムはガリ
天使のはしご©聖書の話 みなさんはこのような自然現象を見たことはありますか。 太陽が雲に覆われて、雲の隙間から光が放射状に地上に降り注いで見えるこの現象、学術的には薄明光線(はくめいこうせん、crepuscular rays)と言います。 一般的には天使の梯子(はしご)と言われます。 さてこの天使の梯子という名前、実は旧約聖書からきているんです。 創世記28章12節 :12)時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。 信仰の父、信仰の先祖とも言われるアブラハム。そのアブラハムの孫ヤコブ。 そのヤコブがカナン(ベエルシバ)からハナンへと向かう途中、ルズという町である夢を見ました。 夢では地上から天に達する一つのはしごがあり、その梯子を天使たちが上り下りしていました。 『ヤコブの夢』ウィリアム・ブレイク ヤコブはこの夢を見
これは私が尊敬しているある牧師さんの幼かった頃の話です。 その牧師さんの弟さんがお母さんから聞いた話を話してくださいました。 これは60年くらい前の話になります。1955年くらいのことでしょうか。 その牧師さんが小学生くらいの頃のことです。 とても貧しい時代で、その牧師さんは山奥に住んでいたそうです。 9歳くらいからその牧師さんは教会に通うようになったそうですが、そのきっかけは教会に行くとあめ玉がもらえるからだったそうです。今はあめ玉一つ買うのに10円もしませんが、その当時はあめ玉がとても貴重な時代だったそうです。 ある時、教会からその牧師さんが走って帰ってきたそうです。教会から家までは4kmくらい離れていたそうで、汗だくだったそうです。牧師さんのお母さんは「そんなに汗だくになってどうしたの?」と聞いたそうです。 するとその牧師さんは手を差し出して握っていたあめ玉を見せてこう言ったそうです
映画「レフト・ビハインド」が公開されました。私もつい先日観てきました。 映画を観て感じたことはこの映画は聖書の知識やキリスト教の知識がないと楽しめないということ。というか良く分からないだろうなということ。 そこで、まだ映画を観ていなくてこれから観に行こうとしている方や映画を観たけれどチンプンカンプンだったという方のためにこの映画を理解する上で知っておきたい聖書の知識をご紹介します。 ちなみにこの映画は同名小説を映像化した作品です。 携挙・引き上げ この映画のテーマはずばり携挙・引き上げです。では引き上げとは何なのでしょうか。テサロニケ人への第一の手紙を見てみましょう。 テサロニケ人への第一の手紙4章16~17節 :16)すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、:17)それ
キリスト教徒、キリスト教の信者のことをクリスチャンと言います。 このクリスチャンという単語が一番最初に使われだしたのはいつだか分かりますか? 使徒行伝11章26節 :26)彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 使徒行伝を見るとアンテオケで初めてクリスチャンという単語が使われたということが分かります。 聖書を読むと詳しいことは書かれていないので分からないですが、クリスチャンというのは当初は卑下する言葉、蔑む言葉、軽蔑の言葉でした。 なぜでしょうか。 自らをキリストと自称して、当時最も重い刑であった十字架によって亡くなったナザレのイエスを信じることはユダヤ教の人々にとっては狂気の沙汰でした。(今の時代でいうならカルト教団の信者のような扱いだったでし
聖書の中心人物シリーズ:ヨナ篇の第二回です。 第一回の前回はヨナ書についてそのあらすじを書きました。 ヨナのストーリーはピノキオの話のモチーフとも言われています。 さて、ヨナ書をより詳しく深く理解するためにヨナの時代について、また当時の情勢について見て行きたいと思います。 地理 ニネベの町は現在でいうイラクの北部に位置するモースルという都市です。 ちなみに、このモースルという都市、最近はISISが古代アッシリア遺跡を破壊したということでニュースになりました。(http://www.cnn.co.jp/world/35061396.html) ヨナは神様にこのニネベの町に行って、悔い改めるように伝えるように言われたのでした。 しかし、ヨナはその神様の言葉に逆らってタルシシに逃れようとします。そして、ヨッパ(現在のイスラエルの地中海に面した港町、ヤッファ)という町へ向かいます。 さて、ヨナは神
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『bible-cafe.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く