サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
blog.goo.ne.jp/agrico1
明治期までの日本人が、今と比べればとてつもない体力を持っていたということは、当時日本を訪れた外国人の残した多くの文献に記されている。今回はその中の幾つかを紹介してみたい。 まずは、ドイツ帝国の医師・ベルツの手による「ベルツの日記」から。 エルヴィン・フォン・ベルツ(1849~1913)はドイツ生まれ。ライプツィヒ大学で内科を修めた後、27の歳に明治政府によって招聘され、以後29年間日本に滞在する。幕末から明治にかけて日本が「殖産興業」を目的に先進技術や学問・制度を輸入するために雇用した、いわゆる「お雇い外国人」の一人だった。東京医学校(後の東京大学医学部)において医学や栄養学を教授し、滞在中日本人女性(花子)を妻に娶っている。 そのベルツが、ある日東京から110km離れた日光に旅行をした。当時のこととて道中馬を6回乗り替え、14時間かけやっと辿り着いたという。しかし二度目に行った際は人力車
外食の折、その日は週末だったので店内には家族連れが多かった。小さな子どもらと席に着いた若夫婦が「ほら!おいしいから食べなさい」などと言いながらわが子に料理を食べさせようとする。それはそれである意味微笑ましい風景なのだが、当の子どもたちはと言えば、コップを抱えて席を立ち通路を行き来すること多い。見ると奥には「ドリンクバー」のコーナーがあって、そこで思い思いにジュースを注いでいるのだ。 そうか、子どもらはドリンクバーが好きなのか。だからここは家族連れの客が多いとも言える。店としては支払単価の高い客を呼び込む一つのエサとしてドリンクバーを設けているんだろうし、また家族側とすれば、ともすれば駄々を捏ねがちな子どもをなだめる一つの方策として、好きなジュースを好きなだけ飲ませておくことができる。子どもにとって甘いものは至上の快楽である。ここで「店・親・子」の三者の利益は合致してるのだ。因みにこの店で私
砂糖は実は胃にも腸にも悪い。消化がいいか悪いかなんてものじゃない。単に不調にさせるのではなくて、機能を停止させ、臓器の位置までも変えてしまうのである。 まず砂糖を摂取した時の体の反応として「糖反射」というものがある。 胃の中に食べものが入ると、胃は消化活動を行うと同時に、およそ15秒に一回の割合で動いて内容物を腸の方へ絞り出す。しかし糖分が入ってくると、なぜか胃の動きがピタリと止まるのである。この現象は東大で「糖反射」と名付けられた。 糖反射は角砂糖5分の1、キャラメル4分の1個程度の量で作用する。順天堂医科大学学長・故有山登氏の研究によると、この現象は胃腸の浸透圧と同じ濃度(5.4%)以上の糖液15ccで現れるという。つまりほんの僅かのお菓子やジュースで簡単に胃は止まるのだ。面白いことに、砂糖をチューブで胃を経由せず直接小腸に流し込んだ場合も、やはり胃は収縮運動を止めるそうだ。 胃に入っ
あの時の酒の味は、まだ忘れてはいない。 あの頃飲んだ酒は、もう何という名前だったのかほとんどが思い出せなくなってるけれど、折りしも人並みの暮らしをうち捨てて、この先どこまで続くかわからない貧乏生活を決めこんだばかりの僕にとっては、一滴一滴が身から溢れ落ちる至福となり、苦しかった時も頑張れる力を与えてくれるかけがえのない宝であったことを、今でもこの体が憶えてくれている。 僕は脱サラして北海道に渡ったばかりだった。山の雪解けにはまだ間のある冬のさ中から、道央に近い山合いの小さな町で畑作農家の手間をしながら生計を立てていた。3月ともなるとビートのポット苗の生産が始まる。そのプラントで土まみれになりながら、僕の心は社会人になりたての遠いあの日のように、爽やかな風と新鮮な気概に満ち満ちていた。 札幌郊外にあるあの店と出会ったのは、ある民宿の紹介だったと記憶している。当時僕にはまだ幾分の蓄えもあったの
受け取るコメントは他所のBLOGで自分が出すコメントの数だけある。・・・BLOGを始めて間もない頃、私はそう思った。 いくら自分の記事を充実させ、かつ来るコメントに懇切丁寧に応えていても、コメンテイターは更なるコミュニケーションを求めているしブロガーの多くはやはり自分のBLOGに来てコメントを残してもらうことを期待している。コメントを頂いて嬉しいのであれば、自分もまた相手が喜ぶことをしてあげたいしそれが潤滑油となってブロガー同士の意思疎通が進むことにもなる。だから私はその頃来るコメントごとにその相手を訪問しては自分のコメントを残していた。また新しいBLOGに出会うべく積極的にいろいろなBLOGを訪問して歩いてもいた。 冒頭のコメント理論は、もちろん私の場合である。世の中にはさまざまなBLOGがあるので、皆一概に同じとは言えない。 そして今から一年以上前、私のBLOGも毎日来るコメントのレス
「つき合いコメント」と 個人的には言っているのだが、 なにかしら「思い」の込もったコメントをいただいた時に、 今度はこちらからその人のBLOGを開いて、これはと思う記事にコメントを送ろうとする。 トラックバックをいただいたりする時も同様。 そんな動機によるコメントの出し方を、自分なりにそう呼んでいる。 ある時気がついてみたら、 自分の出すコメントのほとんどが「つき合いコメント」になってしまっていた。 そして後で読み返してみて、なんだこんな詰まらないことを書いたのかと、 我ながら情けなく思ったりする。 そりゃあ、つき合いコメントも悪いわけではないけれど、 ほとんど全部がつき合いになってしまったら、 本当の自分をどこで出すというのだろう。 どうやら最近、頭も心も疲れてきているみたいだ。 そんなうわべのつき合いをBLOGにまで期待しているわけじゃなかった。 それやこれやで最近思うところがあって、
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blog.goo.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く