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大谷翔平
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満を持して『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(川端裕人 岩波書店)を紹介します。本書は、日本語で書かれた初めての「一冊まるまるドードー」本です。日本のドードー知識を、一気にワールドクラスにアップデートします。 個人的にも、2010年代に自分が行った最大のプロジェクトの報告となりました。前作の『色のふしぎと不思議な社会』(筑摩書房 川端裕人 2020年)と同時期に取材をしていた裏表の関係にあり、自分自身の仕事の中で、本作はキャリアハイ(色覚本と一緒に)だと思っています。ぜひ確かめてあげてくださいませ! 取材を始めた2014年からの7年間くらい「堂々めぐり」してしまったので、なんとか形にできた今、ほとんど抜け殻になっています。 でも、気力を振り絞って紹介をします。 その内容を一言でいえば「ドードーチェイス」です。 1647(正保4)年に、日本の出島まで生きてドードー
紹介するのが、ちょっと遅くなってしまいましたが、「青い海の宇宙港」の文庫版が書店に並んでいます。 文庫版も上下巻(春夏篇・秋冬篇)で、表紙のイラストは、おとないちあきさん、ブックデザインは、bookwallさんです。 解説は小川一水さんが引き受けてくださいました。小川さんの『天冥の標』シリーズは、今年完結しましたが、日本が誇る宇宙SFです。小川さんの目から見て、本作品がどう見えたのか、よい解説をいただきました。 そして、帯には宇宙飛行士の毛利衛さん。ぼくが宇宙もの(というかロケットもの)を書くに至った発端にいる人物です。毛利さんは科学未来館の館長として、多くの人材を科学解説の世界に送り出しており、いわば「毛利さんの子どもたち」とは時々仕事をさせていただくことがあるのですが、考えてみると毛利さんと同じ場所に名前が並ぶのははじめてかもしれません。うれしいことです。 さて、本作についての「能書き
〈写真に深い意味はありません↑〉 現在、色覚のサイエンスと「色覚多様性」をめぐるノンフィクションを準備中です。 いわゆる「色覚異常」について、これまでも多くのことが語られてきましたが、それを21世紀のサイエンスの知見を大いに踏まえた上で、考えて直してみようという内容です。 取材を続ける中で、20世紀から21世紀にかけて、わたしたちの社会において、「色覚異常」と、「色覚異常の当事者」が置かれている状況は変わってきたことを実感しています。 そこで、ネットを使ってエピソードを募集してみることにしました。 基本的には「色覚異常」を持つ当事者、あるいは当事者が身近にいる人を想定しております(もっとも、強い思いがありましたら、どなたでも歓迎です)。ブログのコメント欄(非公開にします)や、twitterのダイレクトメール(@Rsider)、Facebookのメッセージなどで、ご連絡くださればと思います。
〈↑窓辺に置いてみました。骨はドードーの嘴のキャストです〉 2013年から取材をはじめていたアジアの原人についての本をやっと上梓できました。 ほっと胸をなでおろしています。今回は国立科学博物館の海部陽介さんとの共同作業です。とても勉強になり、達成感に満ち満ちております。 ぼくにとっては2015年末に、ドイツのマックスプランク宇宙物理研究所の小松英一郎所長と一緒に作った「宇宙の始まり、そして終わり」(日経プレミアシリーズ)に続く、新書判型のノンフィクションであり、「ぼくらのはじまり」について探求する「起源本シリーズ」の第二弾になりました。 さて、本書のウリはなにかというと── いくつか、類書にない部分があって、おそらくは「●●について詳述したはじめての一般書」という冠がいくつかもらえるはずです。 1)サピエンス以前の多様な人類の知識をアップデートして、アジアの「かつての隣人たち」を描こうとす
伝説の民俗学論文「国家の装置としてのPTA」に加筆して、堂々の刊行です。 『PTAという国家装置』(岩竹美加子 青弓社) http://amzn.to/2or5nZg 岩竹さんは、戦前にさかのぼったPTAの起源(たとえば、連合婦人会)の研究や、PTAがPTAとなった後の教育行政や地域組織との関係、社会関係資本との関係を考察していきます。基本、「PTAいらない!」系の本です。 岩竹さんは、杉並区でPTA会員を体験してから、その後はヘルシンキ。おそらくは内情をある程度知りつつ遠巻きに見られる環境と、アプローチの仕方もあって、非常にマクロなPTA論になっていると思います。 その中では、小田桐誠、川端裕人、大塚玲子、山本浩資らによる、21世紀になってからのPTA論説(?)は、まとめて── 「PTAを維持しようとする真の意図は何なのかを問うことなく、表層の活動を積極的に、あるいは楽にやっていこうとい
「動物園にできること」(第3版)をKindle書籍として出版しました。 この後、紙の本としてもオンデマンド出版できるように準備中です。そちらはBCCKSというサービスで提供予定。かなりのクオリティのものになりそうですよ。 さて、この本の電子書籍化は、かなり長いこと懸案でした。 1999年に単行本、2006年に文庫版が出て、しばらくは流通していたものの、この数年は中古でしか手に入らなくなっていました。「ほしいけど、ない」という声を聞きつつ、「中古で1円で売ってるよ(送料別)」と切ないインストラクションをしておりました。 ところが、最近、中古価格か高騰しはじめて、とうとう4万5000円とか馬鹿げた値段がつくようになり、これは「切ない」ではすまない事態になってしまったのです。 〈↑ ふざけた値段〉 そこで、なんとか電子書籍化、できれば、オンデマンドの紙書籍にしたいと考えたのが2週間前。たまたま連
(写真はペルーのイキトス近辺の国立公園にて) 2016年の回顧を終えて、2017年の話。 抱負といいますか、ビジョンといいますか……そのどっちでもなく、「やりたいこと」を書いています。 前のエントリ「2016年回顧・物書きとしての川端裕人の第一大周期が終わったような気がする」に書いたとおり、大きな周期をひとつ終えたように感じています。真っ白に燃え尽きたわけじゃないですけど、よくやりました◎!という気分ではあって、次の大周期ふの抱負もビジョンもないんです。 しかし、ただやりたいことだけがある、と。 いいかんじのスピード感でやりたいことを表現できる場は維持しつつ(その代表がメルマガ「川端裕人の秘密基地からハッシン!)、Webなり雑誌なり、書籍なりで、書いていきたいことをざっくり書き出します。 編集者と話をしているものも、まったく自分の中で考えているだけのものも全部、同じに扱います。 小説系 ・
アクセス解析をみてみると、「PTA再活用論」や「PTA進化論」関係で、このサイトを見つけてくるれ人が増えている今日この頃です。 たぶん、来年度のPTAの「改革」を考えている現役員さんやら、新年度役員に内定した人やら、お子さんが就学を控えた「もうすぐ会員かも」な人たちが検索してくれているのだと想像します。 そういう方は、上の「PTA再活用論」を読んでいただいたり、その後新聞連載した「PTA進化論」(ここで読めますし、印刷・配布に適した形のPDFならコメント欄に書き込んで頂ければお送りします)を読んでいただければ「ためになる」こと請け合い。 類書・類文書(今、手に入りやすくまとまったものとして。ほかにも「岩竹論文」というのがありますが、それはおいおい)はありませんから。 しかし、それぞれ「過去に考えたこと」であることも否めず、今の言葉で伝えたいこともあったりいたします。そこで、特別企画として、
民俗学の岩竹美加子氏による「国家の装置としてのPTA 」、最初のセクション「A小学校のケースから」から、引用しつつコメントをしていく。 「内なる異文化」を見据える民俗学者に、PTAはどのように映ったのか。 今回は、「入会」をめぐるセクションから。 ここでは、強制的な入会の問題と、PTAがとことん「従属的」な存在であることが述べられる。 大々的に引用しつつ、ぼくの実体験・取材体験に基づいたコメントをつけていく。 まずは、岩竹氏のお子さんが入学し、PTA会員になった際の強烈な違和感から。 新入生の親に配られる『P.T.A.規約』を読んでも、活動の具体的内容はわからない。PTA会長の名で書かれた「PTA入会について」が加入申込書と共に渡される。そこには、PTAは「民主的に組織された団体」であり、「子どもが入学したら自動的に会員になるのではなく、本人の意思により入会していただく形をとっておりますが
民俗学の岩竹美加子氏による「国家の装置としてのPTA 」、最初のセクション「A小学校のケースから」から、引用しつつコメントをしていくシリーズは前回にておしまい。 ただ、それらは、論文の中のフィールドワーク部分を取り出したもので、そのあとのオリジナリティある考察は、追いかけていない。 先を知りたい人はなんとか入手して、読んでくださいませ。 とはいえ、具体的にどんな展開が待っているのか、冒頭の「論文要旨」を読めばある程度わかる。ここはフル引用してしまっていいだろう。 以下、「国家の装置としてのPTA」の冒頭の「論文要旨」。 ******************* 本稿は、東京都杉並区の公立小学校のケースから、日本最大の組織の一つとされ ながら見えにくい組織であるPTAを国民化の装置として論じる。戦前と戦後を断絶よりも連続の視点から捉え、戦前と戦後を共に国民国家による近代化プロジェク トに位置づ
日本の小学校で教えられる「かけ算の順序」とは、逆に教えるのが英語圏の流儀のようで。 その証拠(?)写真。 これはちょっと古いのだけれど、1983年にニューランド教育省が発行した教科書(検定制度ではなく、当時NZでは教育省がじきじきに教科書を出していた。今はやってません) 2009-2010にかけてNZに滞在した際、この古い教科書を学校が廃棄する現場にたまたま出くわし、一冊持ち帰った中に、かけ算の導入部が含まれていた。 ご覧のように日本の算数指導で「正しい」とされる順番とは正反対。 かけ算の順番は、指導法として教えやすい方法で教えるのがよいだろうが、その順番自体が、数学・算数的に「正しい」「正しくない」というものではない、ということも押さえておいてほしいもの。 というのも、「かけ算には正しい順番がある」と教える人・信じている人は、それが、数学として「宇宙的に普遍的」なものと感じているフシがあ
本が出ました。 「『研究室』に行ってみた。」。 なんだ、ナショジオ日本版のウェブサイトの連載と同じじゃないかと思った方、正解です。同じです。これまで42回続いている月イチ連載のうちの6回(6つの「研究室」)をまとめました。 基本的に高校生むけを意識して説明をかみ砕いたり、削ったり、付け加えたりして、つまり再編集しています。 さらに、登場いただく6名の研究者による「研究を志す若い人へ」というコラムも収録。 これまでバラバラに置かれていたものが、ひとつの「本」としてパッケージされたことで、生まれる新しい価値のようなものを、ぼくは感じております。 用途として── ・想定読者対象である高校生(たぶん中学生や、教養課程の大学生も)に読んでもらいたいと思った周囲の人が、「これ、おもしろそう」とか言いつつ、当人に手渡す。あるいは目の届くところにおいておく。 というのが、ぼくが考える一番自然なものです。
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