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blog.goo.ne.jp/maruness2002
人間の「思考」は,「言語」によって行なわれる.ここでいう「言語」は,母語・文章ということから離れて,広い意味でいうところの「言語」を指す.即ち「言語的表象」「記号的表象」というニュアンスである. 僕が日頃,言葉の乱れに対して神経質になるのには,このことが第一に関係する.意識無意識の如何に係わらず,言葉=「言語」に対して配慮のない人間から,秩序ある「思考」が生まれ得るとは到底思えない.言うなれば,言葉の使用はその人の一人格者としての資質をも決めるのだ.「思考」なる人間の主体が人体に根付く為には,その土台となる「言語」が確実なものでなければならない. 特にこの20年間で,日本語は劇的に変化したと言われる.現在の日本語は,20年前の人々にはまるで通じないものとなったに違いない.その激変の原因は,以前紹介したサイト「Snufkin」で指摘されるように,「バブル崩壊」後の露骨な「減点式社会」の到来に
日本語は論理的でないとよく言われるが,理科系としては日常的に実感するところである.僕の認識では今のところ,その原因はおもに次の三点によっている.すなわち, (I) 関係代名詞を持たないために,形容句と被形容句の関係が不明瞭である. (II) あいまいな表現が多い. (III) 話者がかってな表現を作ることができる.つまり定義なしに言葉を使ってしまう. の三点である.それぞれについて以下に詳述しよう. (I) 関係代名詞を持たないために,形容句と被形容句の関係が不明瞭である.これは,有名な「背の高い鈴木さんの妹」とかに代表されるものである.だがこれは「あれ,背の高いのはだれ?」と疑問が生じるだけまだいい.もうちょっと入り組んでいるものとしてたとえば, 「日本人にいちばん多い病気」 という文章がある.これは一意的でない.考えられうる意味としては,次のものがある.すなわち, (i) 日本人がかか
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