サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
blog.goo.ne.jp/tomotubby
1957年「島の女」と時を同じくして作られた新東宝「海女の戦慄」以降、題名に「海女」を冠したキワモノ的な「海女」映画が、1960年代半ばから1970年代半ばにかけては全く作られず、1970年代後半に今度はポルノに変質した「海女」映画が量産されたことを指摘したが、この空白の十年間にはいったい何があったのだろうか。70年代半ばになって海女に対して何らかのネガティブ・キャンペーンが行われたようにも邪推してしまう。まさか今さら古事記の「海彦山彦」よろしく、海洋民族の末裔に圧力がかかったとも思えないが。 ここで忘れてならないのは、題名に「海女」を冠してはいない、重要な「海女」映画のシリーズが存在していたことだ。それは三島由紀夫の代表作「潮騒」の映画化作品である。「潮騒」は、三島がギリシャの「ダフニスとクロエ」から着想を得て三重県鳥羽市神島で取材のうえ執筆した、漁師・久保新治と海女・宮田初江の恋愛を描
1992年7月2日発行「映画宝島 Vol.2 怪獣学・入門!」を編集した町山智浩氏の記事を発掘。 ======================================= 『ウルトラセブン』の第十二話「遊星より愛をこめて」は現在、TVでもビデオでも見ることができない。そこに登場したスペル星人に関する記述も、出版物からその姿を消している。この「幻の十二話」に二十余年間もこだわり続けている人物がいる。 森直彦氏、一九五六年生まれ。現在、精神遅滞者の更正施設で生活指導員として働きながら、スペル星人事件の関係者に質問状を送ったり会見したり、事件の顛末を調査研究し続けている。学生時代は、「狭山闘争」などの被差別の解放運動に積極的に参加していた彼は、かねてから気になっていたスペル星人放送中止にいたる正確な事実関係を知りたいと考えた。努力の末、ついに糾弾側の人物に接触し、回答の代わりに『“ひばく怪
このブログで何度か台湾の美味しい「魯肉飯」のことを取り上げましたが、魯肉飯は豚ホホ肉の肉味噌をご飯にかけたものでした。で、今回おすすめは駒沢公園の近くにある「かっぱ」というお店の「牛肉の煮込み」、但しモツ煮ではないので御注意。この煮込みを白いご飯にかけていただくと、気分はもう「魯肉飯」なのです。 このお店、店構えや縄のれんからして、お酒を出すような雰囲気ですが、メニューは煮込みとご飯とお漬物(と、お茶漬け)だけで、お酒はありません。カウンター席しかない店に入ると、頼みもしないのに皿に溢れるように盛られた煮込み(並)が供され、ご飯の量を問われます。店は一見怖そうなご主人と女将さんが切り盛りしていて、二人のどちらかによってご飯とお漬物が供されると、老夫婦の視線を物凄く感じながら、お客は皆無言で黙々と煮込みを頂くわけです。その視線を浴びながらこんな写真を撮ってきた Tomotubby もなかなか
Unknown (鶉屋) 2010-09-28 01:10:56 怖すぎる...ファンなのに..。 大沢たかおも見たら喜ぶかしら? 返信する
長編小説「ピストルズ」読了に際して作中に出てくる音楽の音源を調べてみた。アーティスト名のないものは、独断でふさわしいものを選んだ。作家阿部和重はもともと映画界志向の人でシナリオの延長で小説を書き始めたというのも納得できる。通して聴くと小説のサウンドトラックのようだ。個人的に知らない曲も多いが、1960年代後半から1970年にかけてヒットしたものばかりらしい。お隣の中国は上海万博で熱いが、日本がちょうど万博の初開催に向けて熱かった頃になるのだろう。メインは、主人公菖蒲みずきの秘術「愛の力」で歌われる Jackie Deshannon「What the world needs now is love」になろう。バート・バカラック作曲で、おバカ映画「オースティン・パワーズ」でも使われていた曲なので私も知っていた。 The Traffic「Utterly simple」(P.31) Claudin
平井堅や彼の歌が特に好きなわけではないんですが、「CANDY」という歌のプロモーション・ビデオがどこか寺山修司っぽくて気に入っています。平井堅がおばさん(BUBUKA編集の人の twitter によると朝岡実嶺という「往年の美人AV女優」で有名な方らしい)のいるフロントを素通りしてエレベータで上ると、そこには船のような丸窓の並ぶ廊下が続き、廊下に沿っていくつもの客室を巡るのですが、部屋の中はいずれも個性がある内装で、そこではまるで「上海異人娼館」のようなことが行われているのです。平井堅がキャンディを女たちの口に入れてあげるのですが、そのへんが特にエロティックです。 ビデオをはじめて見たとき、この撮影場所はどこかの古いラブホテルなのだろうとすぐに察しました。天井が低いのが気になりますが、一昔前の建物の内装はなんとも趣があり、以来このホテルがどこにあるのか?と気になっていました。 まず、PVに
前にマイケル・ジャクソンのデスマスク画像(←クリック注意)をブログに載せたところ、あれはタブロイド誌が作成した「まったくのデタラメ」とのご指摘を頂きました。個人的には、故人とはエラの形が違うような気がするので、やはりガセネタではないかと思います。今では、左の「Q」という雑誌の表紙に使われた写真に誰かが手を加えて作ったのではないか。と疑っています。顎や鼻はよく似ています。 余談ですが表紙の「JACK WHITE」とは、何もマイケルを揶揄しているのではなく、The White Stripes という姉弟グループの弟の名前です。次代を担うギタリスト君です。 父への嫌悪から鼻を整形した。また事故によって鼻の骨が折れて整形した。などきっかけはあったのかもしれませんが、マイケルは一種の「身体醜形障害」だったのではないかと思います。美醜の判断基準は「白人」のものだったのでしょう。一度どこかを醜いと感じて
あめのしょぽしょぽふるぱんに からすのまとからのそいてる まてつのきぽたんぱかやろう さわるはこちせんみるはたた さんえんこちせんくれたなら かしわのなくまてつきあうわ あかるのかえるのとうしゅるの はやくせいしんちめなしゃい ちめたらけたもてあかんなしゃい おきゃくしゃんこのころかみたかい ちょうぱのてまえもあるてしょう こちせんしゅうきをはちみなしゃい そしたらわたしはたいてねて ふたちもみっちおまけして かしわのなくまてぽぽしゅるわ 大島渚「日本春歌考」で吉田日出子演じる在日高校生、金田幸子の歌う「女のうた」の歌詞がさっぱり判りませんでした。でも聞くうちに、この歌が朝鮮訛りの日本語で、朝鮮人娼婦が日本人客を誘う歌であることが理解できました。ネットで調べたところ、正式な題名は「満鉄小唄」というそうで、「どこまで続くぬかるみぞ...」という一節に聞き覚えのある「討匪行」(作詞:八木沼丈夫
1990/01 フランス小説の新しい流れ 1990/02 90年代カルチュア・マップ 1990/03 サリンジャーをさがして② 1990/04 バルガス=リョサ 1990/04臨時増刊 ワールド・ミュージック 1990/05 オスカー・ワイルド③ 1990/06 レイモンド・カーヴァー 1990/07 開高健 1990/08 ベトナム戦争とアメリカ 1990/09 アンディ・ウォーホル 1990/10 ラファエル前派 1990/11 スティーヴン・キング 1990/12 ゴッホ 1991/01 P・K・ディックの世界 1991/02 ミラン・クンデラ 1991/03 ケルト 1991/04 鈴木清順 1991/05 ソ連カルチュア・マップ 1991/06 セシル・ビートン 1991/07 ランボー③ 1991/08 本の博物誌 1991/08臨時増刊 モーツァルト③ 1991/09 アーサ
1969/07 特集なし 1969/08 特集なし 1969/09 特集なし 1969/10 特集なし 1969/11 特集なし 1969/12 特集なし 1970/01 特集なし 1970/02 萩原朔太郎① 1970/03 特集なし 1970/04 幻想の文学 1970/05 サミュエル・ベケット① 1970/06 特集なし 1970/07 現代アメリカ文学の冒険 1970/07 宮澤賢治① 1970/08 ホルヘ・ルイス・ボルヘス① 1970/09 中原中也① 1970/10 日本の世紀末 1970/11 神話の構造 1970/12 現代詩の地平 1971/01 モーツァルト① 1971/02 シュルレアリスム・夢と狂気 1971/03 富永太郎 1971/04 カフカ① 1971/04臨時増刊 ランボオ① 1971/05 60年代の詩と詩人 1971/06 立原道造 1971/07
しつこい風邪から抜けきれず三連休は家から一歩も出ないで過ごしました。土日は天気がよくてお出かけ日和なのに勿体ない限りでしたが、まだ元気がなくて起き上がる気がしませんでした。今日は少し元気になったので、「文化の日」にあわせて、青土社・刊「ユリイカ」のほぼ40年分のバックナンバーの特集リストを作ってみました。バックナンバーがネットで簡単に手に入るようになったので、購入時の参考にしたくて、また実家などのいろんな場所に置いてある所有分を二度買いしないためにも、前から暇なときに作ってみようと考えていたのです。ほぼ40年、特集スタイルを変えていない本誌の姿勢はリスペクトに値するものだと思うし、文学以外にも、美術や音楽や映画、マンガまでに特集対象を広げてきたその歴史はたいへん興味深いものがあります。 「ユリイカ」特集内容一覧 (1970~1980年代) 「ユリイカ」特集内容一覧 (1990~2000年代
7/25日、フジロックフェスティバル'08 White Stage。GALACTIC の MC 付きのステージ、特に Boots Riley のノリノリのステージの後、21:10、いよいよ Bootsy のステージが始まります。裏の Green Stage では KASABIAN の後、少し遅れ 21:30 からは、活動再開中の MY BLOODY VALENTINE が出演。White なのか Green なのか、このへんは音楽に対する嗜好で観客がはっきり二分されるんでしょう。 開演前から気になっていたのが... ①今回のステージが「Bootsy Collins」名義ではなく「Bootsy Collins Tribute to the Godfather of Soul」というタイトルであること。 FUJI ROCK FESTIVAL のウェブサイトのアーティスト情報を見ても、最後まで、
ここのところ、このブログをどこぞの掲示板と勘違いしている方がおられるようです。鈴木一文さん、あなたのことです。ただ高円宮家のことにも主旨は違えど触れてあるし、「時空旅行」についてコメントすることもトラベルブログにおいては真っ当のようにも思えてきました。そして、何よりコメントのぶっ飛び具合が秀逸で、消してしまうにも惜しいため、ひとまず放置・静観することにしました。さっそく別の人からツッコミが入り、なんだか困惑されているようで可笑しいです。以下再録。 真実を教えよう (鈴木一文) 2008-06-22 11:15:21 米国のガンクレイジーの真髄は先住民族の95%を民族浄化した事に在る。歴史に従えば日本民族は5%になる。頼れる仲間達~黄河文明は日本文明の源。しかし、華人は喫人を愛する食人族。日本民族とは明らかに違う種類のホモサピエンス。政治的な動乱が起きると、政治敵を襲って食べ合い、肉屋で人肉
「ウルトラジャンプ」連載時にはあまり気にならなかったのですが、お正月に荒木飛呂彦「スティール・ボール・ラン」のコミックスを読み返していると、ベルギーのシュールレアリスム画家、ルネ・マグリットの作品の引用と思われる箇所がいくつも見つかりました。最近は「回転」の原理に黄金比がでてきたりするし、荒木さん、アートにご執心なんでしょうか? まず、前にコメント欄で指摘したと思いますが「ウルトラジャンプ8月号」の表紙絵。そしてコミックス第9巻の表紙絵です。 林の中に見え隠れする乗馬像は、色合いが違えど、どこかマグリットの「白紙委任状」を思い起こさせます。 「白紙委任状」 表紙絵では連載の物語から離れて絵が描けるせいか、荒木さんが楽しんで描いているように思えます。 次は「すみませぇん」が口癖の、大統領の刺客(小林信彦の「オヨヨ大統領」シリーズみたい。復刊希望)ブラックモア。雨滴を空中で固定して、それを足場
少しピンボケではありますが、印画紙に焼き付いた皇后婉容の様々な表情の中でも、花のかんばせ、最も無邪気で幸せそうなスナップではないかと思います。婉容はふさげて太監、つまり宦官の被る帽子を奪って被ってみたのでしょう。背景の樹木からして、どこか見晴らしのいい場所に上って撮った一枚ではないかと思います。紫禁城の中なら一番北詰の御花園、城外ならば、そのさらに北に位置する景山ではないでしょうか。 容易に想像できることですが、このとき婉容の周りには、帽子を被った御付きの宦官たちがいたのでしょう。宦官とは、ご存知の通り、男性として生まれるも去勢されて男性機能を喪い、皇帝の奴隷として後宮に仕えた異形の集団です。もともと、このような制度は、古代中国で死刑を免じる代わりに去勢を行った刑罰「宮刑」が始まりで、前漢の時代に「史記」を著した司馬遷や後漢の時代に紙を発明した蔡倫はこの刑を受けたものとして有名です。しかし
本来、この記事はナムジュン・パイクについての特集記事四回目の前置きなんですが、脱線して長くなりそうな気配なので独立させて、何回かに分けました。 朝鮮の伝統衣装チマチョゴリの変遷を調べていて驚いたのは、李氏朝鮮時代末期にチョゴリの丈がどんどん短くなって、下着にあたる胸当てが丸見えるまでに露出度が高くなったことでした。いわば「ミニ・チョゴリ」。儒教を国教とする李朝に相応しくないセクシーな風俗のような気がして、これは妓生(キーセン)のような花柳界の女性に限定された風俗だったに違いない。と考えました。例えば↓このような美人画のモデルは髪型から判断して妓生です。 「ミニ・チョゴリ」作者不詳、李人文、申潤福の美人画 ところが当時の風俗画を調べていくと、「ミニ・チョゴリ」は李氏朝鮮で広く普及・流行していたことが分かります。例えば↓のような絵。カラフルなチマ・チョゴリから両班階級(科挙官僚階層)を描いたも
前回(←物凄く残酷な話です)ご紹介したジョン・ゾーンのアルバム「凌遅 LENG TCH'E」のジャケット写真は、ジョルジュ・バタイユが自著「エロスの涙」に載せていた「凌遅刑」の四枚の組写真のうちの一枚、それもバタイユの所有していたという一枚の写真をトリミングしたものでした。以前、大学の図書館で絵画の図版の多い「エロスの涙」のページをパラパラとめくっていて、これらの写真を見つけて目が釘付けになり、残酷なシーンが暫く網膜に焼きついてしまった経験があります。 バタイユは写真に次のような注をつけています(手元にあるのは筑摩書房版で翻訳がひどいですが引用してみます)。これらの写真は、一部分、デュマとカルポーによって発表された。カルポーは、1905年4月10日に処刑を目撃したと証言している。1905年3月25日、「政報」は次のような皇帝布告を出した(光緒帝の治下)。「モンゴルの諸王は、アオ=ハン王殺害
日本の国際連合安全保障理事会常任理事国入りに関して、中国でインターネットを利用した大規模な反対署名活動が行われていて、29日時点で1000万人を超える署名が集まったそうです。未だに日本に対する根強い不信感が残っているようで、昨年初めに報道された海南島の東條英機の銅像のことを思い出してしまいました。 その名も「東條英機跪地雕像」。海南省海口の高級ホテル「海南凱威大酒店」の前に作られたその像は、跪いて謝罪する東條英機の像なのです。首には「日本甲級戦犯東条英機 向中国人民謝罪」と書かれた札が掛けられています。 戦争犯罪人として極刑が下された東條を半世紀経た現代に甦らせ謝罪させ、小突いたりする行為は、中国で言えば「死者に鞭打つ」というのではないでしょうか。「史記」の中の「伍子胥伝」で、伍子胥が父兄の敵である楚の平王の死体を掘り出し鞭打って恨みを晴らしたという故事から「死んだ人の生前の言行を非難した
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Tomotubby’s Travel Blog』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く