サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
blog.livedoor.jp/rftibet
生前のツェコ・トゥクチャク RFA(自由アジア放送)などからの情報によれば、昨日3月7日、現地時間午後5時頃(ダラムサラ・キルティ僧院プレスリリースによれば午後3時半頃)、アムド、ンガバ(ཨ་མདོ་རྔ་བའི་འབྲོག་སྡེ་རྨེའུ་རུ་མའི་རུ་ཆེན ། 四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県)メウルマ郷の街中でツェコ・トゥクチャク(ཚེ་ཁོ་སྟུག་ཆགས། 44)が中国のチベット支配に抗議するための焼身を行い、その場で死亡した。ネット上に彼が仰向けで丸焦げになった写真が広まっている。周辺の多くのチベット人が彼の焼身を知り、悲しみを現しているという。 在オーストラリアの元チベット人政治犯でありツェコ・トゥクチャクと同郷であるメウルマ・クンガムが現地と連絡を取り伝えるところによれば、「ツェコは普段から政治意識が高くチベットの文化と言語を守ることに熱心であり、喫
ボイスオブアメリカ( VOA)によれば、5月2日、アムド、サンチュ、ボラ(བླ་བྲང་བསང་ཆུ་རྫོང་འབོ་ར་ཞང་甘粛省甘南チベット族自治州夏河県ボラ郷)で1人の男性が焼身を行ったという。ボラは現在厳戒態勢が敷かれているという。複数ソースによる確かな情報と判断されるが、当局の情報統制が厳しいと思われ、焼身者の生死、身元などの情報は今のところ入っていない。 ボラ僧院のあるボラは2012年から13年にかけ焼身抗議が連続した場所である。 参照:5月3日付 VOA 英語版 http://www.voatibetanenglish.com/a/3835866.html
12月8日、アムド、マチュで中国政府に対する抗議の焼身を行い、死亡したタシ・ラプテン。 彼は中国語で遺書を残していた。母語であるチベット語ではなく中国語で書いたのは中国人にも訴えたいという思いが強かったと思われる。「13億人の人権と民主のために吶喊(時の声を上げる<中原注)したいと願うばかりです。」と書かれているから彼の訴えは、チベット人と中国人の違いを明らかにしながらも、中国人の訴えでもあることになる。 文中には日本への言及もあり、「私は日本人が好きです。敬慕しています。」と書かれている。日本人にも手を差し伸べてほしいと思っていたであろう。 すべての焼身者たちの心情をよく代弁する、素晴らしい文章と思う。彼の最後の願いが世界に届きますように。 以下、劉燕子さんのフェースブックから。 原文は最後に。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 燕のたより (日)ルンタからの情報により、1
昨日、12月8日現地時間午後6時頃、アムド、マチュ(མདོ་སྨད་རྨ་ཆུའི་རྫོང། 甘粛省甘南チベット族自治州瑪曲県瑪曲)の街中の歩道の上でチベット人が焼身した。 スマホでこれを撮影したと思われる映像がフェースブックにいくつかあげられている。その中には焼身者が炎に包まれながら前へ歩く姿や、街路樹のそばに倒れこみ、手を空に向けたままの姿勢で燃え盛る炎の中で動かなくなっている、というものある。 1人の女性が近づき「ダライ・ラマ法王よ照覧したまえ。この方が悪趣に落ちることから守りたまえ。中有においても守りたまえ」と唱えている姿が映っている。子供が近づき、じっと燃えるその人を見つめているというのもある。しかし、かつてよく見られたように、目撃したチベット人たちが焼身者を取り囲み、お経をあげながら見守り、当局が遺体を持っていかないようにする、というシーンは今回は見られなかった。 1日経つが
ソナム・ツォ RFAが5月6日までに現地からの情報を元に明らかにしたところによれば、約1ヶ月半前の3月23日、アムド、ンガバ(四川省アバ・チャン族自治州)、ゾルゲ県で5児の母が中国政府に抗議するため焼身・死亡していた。RFAは当局による情報統制と目撃者が少なかったことが、外地に情報が伝わるのを遅らせた原因ではないかとコメントしている。 現地時間の昼過ぎ頃、焼身したソナム・ツォ(བསོད་ནམས་འཚོ། 50)は夫と共にゾルゲ県アキ郷にあるセラ僧院(ཛོད་དགེ་རྫོང་ཨ་སྐྱིད་སེ་ར་དགོན་པ།)の周りをコルラ(右繞)していた。ツォは夫に「自分はちょっとお堂に寄って行くから、先に行っておいて下さい」と告げた。その数分後にツォは境内で焼身した。焼身を目撃した僧侶は「彼女は燃え上がりながら『チベットに自由を!』『ダライ・ラマ法王のご帰還を!』と叫んでいた」という。 �ツォの
チベット人の中国政府に抗議する焼身は昨年8月末を最後に半年間途絶えていた。多くの人がこれでもうチベットの焼身という抵抗運動は終わったのではないかと考え始めていた。しかし、2月29日、2人の若いチベット人が内地と外地で示し合わせたように同じ日に焼身した。今年も3月10日のチベット蜂起記念日を前に内地における締め付けが強まり、チベットの自由への思いが募り始めているのであろう。政治的に敏感な若者が思いを抑えきれず、焼身に走ったと思われる。 北インド、デラデュンで16歳の学生ドルジェ・ツェリンが焼身、3日後に死亡 ドルジェ・ツェリン 2月29日、午前8時半ごろ、デラドゥン近郊ハバートプールにあるチベットキャンプ内、養老院の近くで、ムスリのチベット難民学校の高校1年生ドルジェ・ツェリン(རྡོ་རྗེ་ཚེ་རིང།)、16歳が焼身抗議を行った。近くにいた母親の目の前で彼はガソリンを被り燃え上がった
僧ロプサン・ジャミヤン。 15歳の僧侶がンガバで1人デモ 先月辺りから、焼身のメッカであるアムド、ンガバでチベット人による1人デモが連続している。今日(10月5日)、ダラムサラ・キルティ僧院の内地連絡係りである僧ロプサン・イシェと僧カニャク・ツェリンは、新たに9月中にデモを行った3人の消息を明らかにした。 それによれば、9月23日、現地時間午後4時頃、ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ジャミヤン、15歳が、焼身者が多い通りとして地元のチベット人たちから「勇者の道」と名付けられている僧院近くの道から大通りにかけ、「チベットには自由が必要だ!ダライ・ラマ法王をチベットへ!」と叫びながら、歩いた。直ちに警官が駆けつけ、彼はその場で拘束された。その後の消息は不明のままという。 僧ロプサン・ジャミヤンはンガバ県メウルマ郷第二村の出身。父の名はチュペル、母の名はツォモ。幼少時よりキルティ僧院の僧侶とい
昨日17日目の現場。 中国政府がラサでチベット自治区成立50周年式典を行った2日後の9月10日、チベット難民社会最大の独立派組織であるTYC(チベット青年会議)はインドの首都デリーで自らの執行部員3人による無期限ハンストに入った。TYCはチベット問題解決を訴えるために、これまでにもデリー、ジュネーブ、ニューヨークで何度も無期限ハンストを行っている。 今回無期限ハンストを行っているのは会の副議長であるタムディン・リチュ、会計長のテンジン・ワンチュク、情報外務長のツェワン・ドルマの3人である。彼らは水以外の飲食を取らず、無期限(死をかけた)ハンストに入っている。今日(9月27日)で18日目である。RFAによれば、3人とも体重減少が顕著だが、特に容態の変化ということもなく、普通に来客に対応しているという。 この無期限ハンストの目的は一般的にはチベット内地の状況に世界の目を向けさせことと、内地の同
焼身・死亡したタシ・キ。 8月28日付けチベットタイムスなどによれば、昨日27日の夜、アムド、サンチュ県(甘粛省甘南チベット族自治州夏河県)サンコク郷でタシ・キと呼ばれる女性が焼身抗議を行った。 「目撃したチベット人たちが命を救おうと火を消したが、夜中の(今朝)3時頃死亡した」と現地から伝えられ、さらに「夜明け頃に警官隊と軍隊が大勢遺族の家に押しかけ、遺体は奪いされれた」と言われる。 �タシ・キはサンコク郷グルラ村の出身。その他、年齢や家族構成などの詳細はまだ伝わっていない。 内地焼身抗議者143人目。内外合わせ148人目。この内124人が死亡している。 今年に入り7人目。 新たな情報が入り次第、続報をお伝えする。 参照:8月28日付けTibet Times チベット語版 8月28日付けTibet Express 英語版 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <続報>タシ・キは55歳、5
僧ジャミヤン・ジンバ。 昨日の続き。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーあなたたちが山に逃げた後だと思うのですが、1人捕まり拷問を受け、亡くなっていますよね。 ジャミヤン:山に逃げた後、一番心配していたのは彼のことでした。彼は我々のようにデモを先導したわけではないのです。後について来た2、30人の中の1人でした。彼はお堂の中にいたところを逮捕されたのです。普通中国ではデモ等を先導した人は重い罪を受けるが、他の人たちは軽かったり、解放されたりします。彼の名前は私と同じジャミヤン・ジンパでした。ですから、私は彼は私と勘違いされて逮捕されたのではないかと心配したのです。 僧院の中に兵士が入ってきて、彼が逮捕され、ひどい拷問を受けました。拷問を受けて、確か1週間ほどで家族に引き渡されました。家族に引き渡されたときにはもう歩ける状態ではなく、担架で運ばれてきたそうです。足
ロプサン・イシェの生前写真。 昨日・一昨日、当ブログで紹介した元尼僧ダムチュ・ドルマの証言の中でも詳細に語られているように、チベットの政治犯は拘置所や刑務所で、ほぼ例外なく激しい拷問を受ける。そして拷問の末、死亡するケースが後を絶たない。チベット人権民主センター(TCHRD)によれば、2008年以降だけでもその数は100人を越える。先日、四川省の刑務所内で死亡したリタンの高僧テンジン・デレック・リンポチェも刑務所内における虐待がその死亡原因と国際人権団体はみなしている。 7月23日付けRFAなどによれば、鉱山開発に抗議し、2年の刑を受け、ラサのチュシュル刑務所に収監されていたロプサン・イシェ(65)が7月19日、ラサの病院で拷問死した。 チベット自治区チャムド地区ゾガン県トンバル郷(མཛོ་སྒང་རྫོང་སྟོང་འབར་ཡུལ་ཚོ།)出身のロプサン・イシェ(བློ་བཟང་ཡེ་ཤ
僧ソナム・トプギェルの遺書 今月9日にジェクンド(ユシュ、ケグド、玉樹)のケサル広場で焼身を行った僧ソナム・トプギェル(27)が、翌日、西寧の病院で死亡していたことが明らかとなった。地域の情報網が遮断されていたが故に昨日まで情報は伝わることがなかった。彼の焼身後、家族も数日間警察に拘束されていたという。さらに、彼の焼身を映したビデオと彼の遺書も伝わった。 ダラムサラ在住のジェクンド出身者ロプサン・ツェリンが伝えるところによれば、「ソナム・トプギェルが焼身した後、彼の家族4人が当局に拘束された。家族の内、誰が拘束されていたのかは分っていないが、13日には全員開放されたという。その後、家族が彼の僧坊を片付けていた時、日々唱えていたと思われるお経の上に遺書と思われるものが見つかったのだ」という。 彼の遺書の最初には「中国政府指導者及び、特に地域の少数民族担当官へ」と書かれている。中国政府宛に書か
昨日(7月9日)、現地時間午後5時頃、青海省玉樹チベット族自治州玉樹県玉樹(ジェクンド/ケグド/ユシュ)の街の中心部にあるケサル広場で1人のチベット人僧侶が、中国政府のチベット政策に抗議するために焼身した。彼は病院に運び込まれたとの情報があるが、病院に運び込んだのが警察なのか、地元のチベット人なのかは明らかではない。また、焼身者の生死、氏名、年齢、所属僧院名なども現在玉樹一帯の情報網が遮断されており、未だ不明である。 玉樹(ジェクンド)は2012 年4月14日、大地震に襲われ、政府発表でも3000人の犠牲者が出た場所である。その後の復興の過程で、膨大な義援金が世界中から集まったにも関わらず、現地のチベット人たちは3年間もテント生活を強いられ、また政府が進める都市計画により多くのチベット人が土地を取り上げられた。これまでにこの街では土地強制収容に抗議する焼身が2件起こっている。 チベット内地
6月1日付けICT(International Campaign for Tibet)リリースによれば、先週5月27日に甘粛省甘南州ツォネ県で焼身抗議を行い、その場で死亡した2児の母サンゲ・ツォ(36)は焼身直前に短い遺書を走り書きしていたという。その他、目撃者の情報も伝えられている。 現地よりの情報によれば、サンゲ・ツォは焼身する前に「ダライ・ラマ法王に長寿を。パンチェン・ラマはどこにいらっしゃるのか?チベットに自由を」と書かれた紙を残したという。 また他の情報によれば、彼女は武装警官隊と軍隊の詰め所の前で夜明け前に焼身したが、そのとき、ダライ・ラマ法王の写真を掲げる仮の祭壇を作り、線香による供養を行っていたという。 また、早朝コルラ(右繞)していて、彼女が焼身するのを目撃したという老夫婦にコンタクトしたという情報も入っている。その老夫婦の話は以下である。「コルラをしているとき、少し遠く
先の5月20日、四川省カンゼ州タウ県で焼身抗議を行ったテンジン・ギャンツォ(35)の生死は数日間不明のままであったが、その後亡命側に伝えられた情報により、彼が次の日までに亡くなっていたことが判明した。 RFAが亡命タウ出身者が得た情報として伝えるところによれば、「当局は木曜日(5月21日)の午後3時ごろギャンツォの家族に電話をかけ、彼が火傷の結果死亡したことを伝えた。そして、家族に遺体を処理するためにダルツェンドに来るようにと命令した」という。 しかし、現地の人たちは「どうせ家族がダルツェンドに行っても、これがギャンツォの遺灰だというものが渡されるだけだろう」と噂しているという。 焼身したい者にはガソリンを支給してやる テンジン・ギャンツォが焼身し、部隊が消化器で火を消し、彼を連れ去ろうとしたとき回りにいたチベット人たちはこれを阻止しようとして部隊と衝突した。その結果、10人が拘束された。
翌日現地より送られてきたサンゲ・ツォ生前写真。 チベットタイムズによれば、今日5月27日、現地時間早朝4時頃、甘粛省甘南チベット族自治州ツォネ(ཀན་སུའུ་ཞིང་ཆེན་ཀན་ལྷོ་ཁུལ་ཅོ་ནེ་རྫོང་། 卓尼)県にあるチャプッシ僧院近くにある中国の武装警官・軍隊合同駐屯地前で、36歳、2児の母親サンゲ・ツォ(སངས་རྒྱས་མཚོ།)が抗議の焼身を行い、その場で死亡した。 遺体は部隊によりツー市に運び去られたと伝えられる。彼女が焼身した後、彼女の里には大勢の警官が現れ、村を封鎖し、家族や付近の住民を尋問しているという。 焼身したサンゲ・ツォは、焼身する前日に、中国のソーシャルサイトであるWechat(微博)上に焼身をほのめかすような書き込みをしていたという。これに気付いた家族はすぐに彼女の行方を探したが、朝になり彼女が焼身し遺体は当局に奪われたことを知ったという。 残
ちょうど今日、朝日新聞が『ブーム去り、悲惨な運命たどる中国のチベット犬』と題されたニューヨークタイムズの記事を日本語に翻訳したものをネット上で発信しているのが目にとまった。4月19日付けのこの元記事はチベット関係者の中ですぐに話題となっていた。 このニューヨークタイムズの記事は愛犬擁護的視点から書かれているが、チベット人たちの視点はもっと複雑なものであった。 ウーセルさんは5月6日のブログでこの記事を受け、この悲しいチベタン・マスティフの運命がどれほど今のチベット人の運命と重なっているかということを説かれている。 原文:唯色;作为隐喻的藏獒 翻訳:@yuntaitaiさん ◎隠喩としてのチベタン・マスティフ (写真説明)ネットから転載した2011年11月28日のニュース……牛という名の男性は北京の南四環でチベタン・マスティフ基地を経営していると言った。基地内で交配させるため、彼はわざわざ純
テンジン・ギャンツォ 昨日(5月20日)現地時間午後8時頃、四川省カンゼ州タウ県カンサル郷でテンジン・ギャンツォ(བསྟན་འཛིན་རྒྱ་མཚོ།)、35歳が抗議の焼身、生死不明。 タウでは、ダライ・ラマ法王80歳の誕生日を前に警戒が厳しくなり、街の至る所に部隊が展開し、愛国教育が行われているという。これに批判的態度を示したチベット人たちが暴力を受けていた。このような中国当局の態度に抗議するためにテンジン・ギャンツォは抗議の焼身を決意したと思われている。 彼が焼身した後、部隊が駆けつけ、彼を連れ去った。その後の消息は不明のままである。 彼には妻と4人の子供がいるという。 内地焼身者139人目。
焼身死亡したネキャプ。写真右側の花を持っている写真は、彼が焼身する直前に彼が友人のスマホに送ったものという。 4月16日、アムド、ンガバで1人の男性が焼身抗議を行い、死亡した。 焼身者の指名その他については未だ、情報が錯綜している。以下、複数の情報を並記する。男性の名前はネキャプ(ནེ་སྐྱབས།)と伝えるメディアと、ダムカル(དམ་དཀར།)と伝えるメディアに分かれる。年齢は40歳と伝えるメディアもあるが45歳前後が優勢。 焼身場所は、ンガバ県ラデ・カップマ郷(ལྷ་སྡེ་འགབ་མ།)にある自宅の中庭である。焼身後の燃え尽きた遺体の写真が伝わっている。彼は焼身前に家の外壁の前に仮の祭壇を作っていた。その祭壇(仏壇)にはダライ・ラマ法王と10世パンチェン・ラマの写真、その傍に妻と娘たちが写る家族写真が置かれていた。その前には花、香、水をはじめとするチベットの伝統的供養物が丁寧に並べら
炎に包まれ座り込んだ尼僧イェシェ・カンドに、駆けつけた警官が消化液をかけている。 尼僧イェシェ・カンドの焼身後の生死は不明であったが、4月10日付けRFA英語版等によれば、次の日の9日、警察が家族に死亡を知らせたという。しかし、家族は遺体を引き取らせてもらえず、遺灰もなく、本当に尼僧が亡くなったどうかは分らないと話しているという。 最近家にいた彼女は焼身の前日珍しく尼僧院に現れたという。そして尼僧院の仲間たちと話をするなかで、彼女は「明るく、楽しむべきだわ。でもチベットのために何かやることも大事だわ。焼身とかね」と言ったという。しかし、その時には誰も彼女が本気に焼身するとは思ってもいなかったという。 「イェシェ・カンドはとても控えめでした。勉強や修行をたくさん終えていましたが、まったく鼻にかけることもなく、親しみ易い性格でした」と仲間の尼僧は語る。 カナダ在住の日本人画家井早智代さんが尼僧
尼僧イェシェ・ドルマ(又はカンド) 4月10日付けTibet Timesによれば、4月8日、カム、カンゼ(དཀར་མཛེས་རྫོང་།四川省カンゼ・チベット族自治州カンゼ県カンゼ)の中心街の路上でイェシェ・ドルマ(ཡེ་ཤེས་སྒྲོལ་མ།)と呼ばれる一人の尼僧が中国の圧政に抗議するために焼身を行い、その場で死亡した。 遺体は駆けつけた部隊により運び去られた。地元のチベット人たちは遺体を家族の下に帰すべきだと、警察に要求していると言われるが、現在の状況は伝わっていない。 焼身したイェシェ・ドルマについてはチョクリンガガンゾモ尼僧院の尼僧であり、カンゼ県ダクセ郷の出身ということ意外は今のところ分っていない。 チベット人の焼身抗議は、先月ンガバで47歳の女性ノルチュクが焼身して以来、約1ヶ月ぶりである。 内地焼身138人目、内外合わせ143人目。 今年にはいり2人目である。 カンゼでの焼
ショクジャン。 3月19日、アムド、レゴン(青海省黄南チベット族自治州同仁県)の警察は作家・ブロガーであるショクジャンとその義理の兄弟を拘束した。数日後、義理の兄弟は開放されたが、ショクジャンは理由も明かされず拘束され続けているという。 ショクジャンはペンネームであり、ドゥクロが本名といわれる。レゴン県ゲンギャ郷出身の彼は現代のチベット人の生活を詩情豊かな文章で綴るのみならず、一般人の視点から法や警備のあり方についてのコメントをしばしば発表している。 彼が拘束されるのはこれが2度目である。2010年、彼がまだ北西民族大学の学生であった時、仲間の作家テウランと共に、2008年蜂起の真実を雑誌に発表したとして逮捕されている。その後しばらくしてショクジャンは開放されたが、テウランは4年の刑を受けた。 ショクジャンの拘束を受け、刑期を終え開放されたテウランを始め、何人かのチベット人作家がブログ等で
僧ロプサン・ケルサン。 ンガバで僧侶が1人デモ ダラムサラ・キルティ僧院によれば、3月17日現地時間午後3時40分頃、アムド、ンガバ(བོད་མདོ་སྨད་རྔ་པ་རྫོང་། 四川省ンガバ州ンガバ県)の大通りで、ンガバ・キルティ僧院僧侶ロプサン・ケルサン(བློ་བཟང་སྐལ་བཟང་།、19歳が左手でダライ・ラマ法王の写真を掲げ、右手でルンタ(祈りの紙切れ)を空に撒き上げながら、「チベットに自由を!」と叫び、行進した。中国共産党のチベット弾圧に抗議したものと思われる。 焼身抗議が頻発するンガバは今チベットでもっとも警戒の厳しい街である。ただちに警官が駆けつけ、彼は取り押えられ、連行された。その後の消息は不明。 僧ロプサン・ケルサンはンガバ県チャルワ郷チュクレーカプマ村の出身。父ツェリン、母デチェンの息子。幼少時よりンガバ・キルティ僧院の僧侶。 参照:3月17日付けTibet Ti
ダラムサラ・キルティ僧院リリースによれば、今日3月8日現地時間午後1時半頃、四川省ンガバ州ンガバ県ンガバの路上でンガバ・キルティ僧院僧侶ゲンドゥン・プンツォク(18)が1人で中国政府に抗議するデモを行った。 僧ゲンドゥン・プンツォクは、頭上に黄色いカタを掛けたダライ・ラマ法王の写真を掲げ、「ダライ・ラマ法王のチベット帰還を!チベットには自由と平等が必要だ!」と叫びながら道を進んだ。数分後警官隊が駆けつけ連行されたという。 その後の消息はない。 僧ゲンドゥン・プンツォクはンガバ県チャ郷チュクレカプマ村の出身。父タシギャ、母リクゴの息子。幼少時、ンガバ・キルティ僧院に入り、僧侶となる。 僧ゲンドゥン・プンツォク ンガバは3月10日に向け厳戒態勢下にある。そのような中で6日には焼身が、8日には1人デモが行われた。監視が厳しくもはや集団のデモを計画することは困難となり、それぞれ個人が誰にも告げず1
3月10日は「(1959年)ラサ蜂起記念日」ということで、チベットで1年の内もっとも政治的に緊張する日となっている。2008年のラサに始まった全土的大蜂起もこの日から始まっている。2009年に始まり現在まで136人が内地で焼身抗議を行っているが、この3月10日前後は毎年起こり易い時期となっている。そこで、当局もこの日に合わせ、焼身抗議などの政治的抗議活動が起こらないようにと、様々な手を打ってくる。今年、チベット人たちは2月14日のロサ(チベット正月)から3月10日に向け、平和を願う祈りや行進を行ったり、非暴力の象徴として刀等の武器を破棄したり、自然保護の観点から毛皮を集め焼却するというイベントを行ったり、と当局が武器による恐怖で支配しようとすることに対し、非暴力と平和を願う運動を積極的に行っているように思われる。 左の写真は3月5日、アムド、クンブン僧院僧院で一連の正月恒例行事の一つである
久しぶりに@yuntaitaiさんがウーセルさんのブログを翻訳して下さった。 以下、昨年1月18日、「パンチェン・ラマ10世円寂25周年記念日」にウーセルさんがパンチェン・ラマを思い出しながら書かれたものである。ウーセルさんは高校生の時、実際にパンチェン・ラマに会っている。そのときには、チベット語も話せない自分たちを批判し、チベット人としてのアイデンティティーの重要さを説くパンチェン・ラマに対し反感を感じたという。その後、チベット人としてのアイデンティティーを持つことの大事さに目覚めた彼女は、そのときの自分の反応を恥ずかしいと感じるようになったという。 原文:唯色:“但是你们的肉和骨头怎么办呢?” 高校生だった私が参加した西南民族学院でのパンチェン・ラマ10世の講演(ドキュメンタリー映像「パンチェン・ラマ10世」より) ◎でも、あなたたちの肉と骨はどうするのか? ちょうど働き盛りで突然亡く
ダラムサラ難民一時収容所。 今週日曜日に鎌倉であったチベットイベントでは小川まりえさんが作られた『ソナム』というドキュメンタリー映画が上映された。ダラムサラの難民一時収容所に到着したグループの中から偶然、チベットの匂い一杯の10歳の男の子を見つけ出し、その子の収容所での生活を追うというものだ。その後のトークで、チベット難民の現状が話題となり、私は2008年以降難民が激減したという話をした。 ちょうど昨日Tibet Timesがその収容所に行き、所長に昨年の難民の数等を確認したという記事が載っていた。それによれば、昨年1年間にダラムサラの一時収容所に辿り着いたチベット難民の数は120人という。 2008年以前には毎年2500~3000人の難民がヒマラヤを越え亡命していたのである。今後もこのトレンドは変わらないだろうということで新しく2008年に規模を拡大して作られた新しい収容所は出来上がった
被弾した僧侶の腕。 12月23日にタウのニャンツォ僧院公安派出所前で焼身した僧ケルサン・イェシェを守ろうとした僧侶たちに向かい軍隊が発砲し、少なくとも2人が被弾したという。 僧ケルサン・イェシェの焼身について昨日のブログでは「部隊が空に向かって発砲した」と伝えたが、今日現地から写真とともに伝えれた情報によれば、部隊は空に向けて発砲したのではなく、僧侶たちに向かって発砲したという。 部隊は集まった僧侶たちを蹴散らすために、発砲と共に、催涙弾も発射し、電気棒などを使い僧侶たちを殴りつけたという。被弾した僧侶たちは、拘束されるのを怖れ、病院にも行かず、僧院内で治療を受けているとも伝えられる。 焼身した僧ケルサン・イェシェの死亡は部隊がダルツェンドに運ぶ途中で確認したとされる。遺体はダルツェンドに運ばれた後、すぐに当局により電気火葬され、その後家族が2人呼ばれ、強制的に遺灰を川に流させられた。遺灰
写真:焼身・死亡したサンゲ・カル 今日(12月16日)現地時間午前9時頃、アムド、ラプラン・アムチョク(བླ་བྲང་ཨ་མཆོག་ཞིང། 甘粛省甘南チベット族自治州夏河県阿木去乎鎮)の警察署前でサンゲ・カル(སངས་རྒྱས་མཁར།)が、明らかに中国政府のチベット人弾圧に抗議するため焼身、その場で死亡した。遺体は駆けつけた警官隊により持ち去られたという。 サンゲ・カルはアムチョク鎮ルタン郷の出身。父ワンロ、母ユドンの息子。34歳。2人の幼い娘がいるという。 その他の詳細は未だ不明。 チベット人の焼身抗議は、9月21日、ツー(合作)で22歳の学生ラモ・タシが行って以来ほぼ3ヶ月ぶりである。中国政府によるチベット人弾圧は終わるどころか激しくなっており、焼身抗議も終わっていないのだ。 内地焼身者134人目、内外合わせたチベット人焼身者の数はこれで139人となった。 今日はゲルク派の祖師ジェ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『チベットNOW@ルンタ ダラムサラ通信』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く