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「マラソンと日本人」書評 明治以来の「走る」異端児たち|好書好日
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「マラソンと日本人」書評 明治以来の「走る」異端児たち|好書好日
マラソンと日本人 [著]武田薫 マラソンと駅伝。どちらも日本人には人気の高いスポーツである。前者は... マラソンと日本人 [著]武田薫 マラソンと駅伝。どちらも日本人には人気の高いスポーツである。前者は明治末期から、後者は大正期から国内で大会が開かれている。 しかし、前者はオリンピックやボストンマラソンなどが目標となるのに対して、後者は国内で完結している。前者は個人、後者は団体という点も異なる。両者の違いに目配りしつつ、明治以来の「走る」歴史を、膨大な資料やデータを通して明らかにしたのが本書である。 もちろんオリンピックには、日本という国家の影がまとわりつく。だが本書に登場するマラソン選手の多くは、国家や組織に反抗し、自己流を貫く異端児であった。例えばベルリン大会で金メダルを獲得した孫基禎は、君が代を聞きながら悲しみの涙を流した。メキシコ大会で銀メダルを獲得した君原健二もまた、必ず日の丸を揚げると意気込むコーチに反発した。逆に東京大会で銅メダリストとなった円谷幸吉は、「島国の重い大気」に押し