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大谷翔平
bunchosha.hatenablog.jp
昨年の1月から小説を書いている。 三日前に、その初稿を書き上げた。だから、初稿をあげるまでに1年と1ヶ月くらいかかったことになる。 わたしはこれまでに三つの小説を書いているのだけど、それぞれ原稿用紙100枚程度で、それは新人賞に応募するのに必要な分量だった。今回書いたのは、多分原稿用紙300枚くらい。こんなに長いのは初めて書いた。 書きながらよく「自分は何を書いているのかな」と思う。 わたしはライターとして記事を書くこともあるのだけど、ライティングには素材がある。残すべきインタビュイーの言葉、書き留めるべきイベント、広めるべき作品。それらときちんと向き合い、言葉を探し出す作業。 でも小説はまるで違う。素材が自分の中にあるのだけど、その素材も、それが野菜なのか魚なのか、いやそもそも食べ物なのか? よくわからない。よくわからないものだけど、確かにそこにあるし、これを使って書きたいな、と思う。書
文鳥社の初めての本、『100年後あなたもわたしもいない日に』ができて、1ヶ月が経った。初刷分はすべてわたしの手元からなくなり、今は二刷目を届けている。奥付を見ると、それぞれの年月日。それから、この本に携わった人々の氏名。 最後にはこういった一文が添えられている。 「この本は、職人による手作業の工程をたくさん経て、完成しました」 わたしはまだお会いしたことのない彼らの名前を見て、ひとりひとりに感謝する。そのうちのひとりが欠けても、この本は存在しなかった。ひとりひとりの名前を見ながら、手をかけてくださって本当にありがとうございます、と思う。 この本のデザイナーは、岸本敬子さんという。 敬子さんをデザイナーとして迎えたいと、本の構想ができあがってすぐのころに柳下さんが言った。 「ブックデザインは初めてだと言っていたけど、彼女に頼みたいんだ」 わたしはそれより前からずっと、マガザンキョウトというホ
わたしたちの出版社を「文鳥社」と名付けたのは、文鳥が歌を学ぶ生き物だから。 「文鳥のオスは、歌をうたってメスに求愛する。 その歌が複雑であれば複雑であるほど、メスを惹きつけるそうだ。 時折、歌が複雑になりすぎるオスがいるのだという。 その歌は、もはや繁殖のためではなく、美を追求する、芸術に昇華されるのだそうだ。 そういう話を、この夏にある文庫本で読んで、ずっと覚えていた。 気に入ったのは、文鳥が後天的に歌を学んでいくというところだった。 先天的な能力だけではなく、後天的な努力によって歌を磨いていく。 わたしもそうありたいと思うし、そうある人の言葉を大事にしていきたい。 わたしは言葉を信じている。 だから、文鳥社と名付けた」 文鳥社を立ち上げて初めての日記に、そう書いた。 「文鳥社」という名前を口に出すたび、文字にするたび、自分がなぜ「文鳥社」と名付けたのかを振り返る。 そうだそうだ、文鳥の
会社にしようと決めてから、いろいろな書類を用意した。 申請書類のほかにも、住民票とか印鑑登録証明証とか戸籍謄本とかいろいろ必要だったので、全部、一個一個揃えていった。 わたしはそういう、書類を揃えるということがとても苦手だ。 法務局の方に懇切丁寧に教えていただいても、うまく頭に入ってこない。 書類を前にするとしどろもどろになるわたしを気の毒がって、柳下さんは「僕がやろうか」と何度も言ってくれたけれど、「自分でやる」と言い張った。 会社をつくるということを、自分でやってみたかった。 会社とはどういうふうにできるものなのか、その構造や流れを、身をもって理解したかったのだと思う。そうでないと、手から離れていってしまう気がした。なんとなく。 屋号は、「合同会社文鳥社」にした。 「社」の字を旧字体にしたのは、名刺のデザインをお願いしている方が、いくつかのデザイン案の中に「文鳥社」と旧字体でデザインし
言葉はいつも、こだまのようだ。 それは、口から出たものか指先から出たものかに依らず、発すれば、いつまでもいつまでも反射を繰り返して、僕らの想像の及ばないところまで、遠く遠く届いていく。そして、長かったり短かったりの時を経て、やがてまた、自分のもとに戻ってくる。エコー。 僕は、目の前の誰かに話すのも、遠い山に暮らす誰かに話すのも、実はまったく変わらないんじゃないかなって思っている。 「ヤッホー! 僕の話を聞いてよ!」なんて、ただ、情熱をもって発するのみ。 大切なのは、それだけじゃないかな。 今、生まれようとする僕ら文鳥社は、自由な出版レーベルだ。 本が好きで、言葉に救われてきた僕らが作る、在野の意気だ。 京都・荒神橋に生まれつつある僕らは、たった二人で、それが、とてもとても軽やかなんだ。 誰でも一生に一冊は本が書けるなんて聞いたことがあるけれど、それは嘘だと思う。だって、本を書くって途方もな
「文鳥社」という出版レーベルを立ち上げた。 立ち上げたと言っても、「やろう」と決めただけで、まだほとんど何もしていない。 でもともかく、出版をすることを決め、「文鳥社」という名前をつけた。 そのことがわたしにはすごく大きな事件で、自分の人生に「文鳥社」というものができて、今、とても嬉しい。 文鳥社の始まりについて考えると、柳下さんのある言葉がきっかけだったように思う。 柳下さんというのは文鳥社の相方で、フルネームを柳下恭平さんという。 めがねをかけていて、髪の毛がもじゃもじゃしている。 わたしの息子は最初「もじゃもじゃのおじさん」と呼んでいた。 天然パーマだと聞いて、驚いた。 手が大きいので、文庫を片手でめくることができるというのにも、驚いた。 彼は神楽坂で鷗来堂という校閲会社をやっていて、かもめブックスという本屋さんもやっている。それから、誰でも本屋が作れる仕組みの「ことりつぎ」というサ
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