万葉集に歌われた干潟 現在熱田神宮がある場所(名古屋市熱田区)は、縄文・弥生時代は岬のようになっており、名古屋市の熱田神宮以南は海の中にありました。 7~8世紀頃、熱田神宮から木曽川河口には広大な干潟が広がっており、その頃編纂された万葉集では、「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る」(高市連黒人)という歌で、干潟に渡来する鳥たちの賑わいが詠まれています。「桜田の方へ鶴(白く大きな鳥の総称といわれている)が鳴いて渡っていく。あゆち潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴いて渡っていく。」という意味の歌であり、桜田は現在の名古屋市南区元桜田町付近、あゆち潟は名古屋市熱田区あたりの干潟で、このあゆち潟は愛知県の語源になったとも云われています。 江戸時代の初めには、熱田神宮(名古屋市熱田区)のあたりから、藤前干潟から3~4km上流にある下之(しもの)一色(いっしき)(名古屋市中川区)という町まで海岸