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d.hatena.ne.jp/frigidstar
「のも、ひでお」と云うアナウンスの、珍妙な発音が、子ども心におもしろおかしく感じられて、それだけは今でも記憶に残っている。あれは小学生の時分のことである。学校から帰って、家でドラフト会議中継を見ていたその瞬間、自分は野茂英雄に出会った。 野茂が日本球界に背を向け、単身海を渡ったとき、それはまさしく翼賛的な挙国一致メディアによって「石もて追われる」形であったのだが、少なくとも自分の周囲の学生で、野茂のことを悪く言うものは、一人もいなかった。教師の中でも、(野球部の顧問だった担任を含め)悪く言うものは一人もいなかった。親や親戚筋も野茂を応援していたし、当時高校生だった自分には、何故「世間」がかくも野茂を叩くのか、全くもって理解できなかった。思えば、「世間」なるものが、しょせんはメディアが作り出した「架空の世界」であることに、あの時点で気付いているべきだったのだ。 時系列を少し戻すと、野茂騒動が
この前のパンクラス観戦記で書き忘れたのだが、梅木レフェリーは、そのSDMの処理における技量に関して、修斗の鈴木レフェリーと双璧と呼べる、日本でも屈指の実力を身に付けるに至ったと思う。具体的に云うと、選手の攻防と試合の流れを阻害することなく、ただクルっと向きを変えるだけで、とても自然にSDMを成立させてしまう、修斗ではお馴染みの光景が、パンクラスのリングでも見る事が可能になったのだ。あの「クルっ」、修斗を見慣れた方なら分かりますよね? あの「クルっ」です。 そんな梅木レフェリーが、あれだけSDMに苦労するなんて(そもそも中央で再開する必然性はあったのかな)、明らかに尋常ではない。下のコメント欄では、単純に梅木レフェリーは大一番でのプレッシャーに弱いだけなのではないかと推測したが、果たして本当にそれだけなのだろうか(無論、大晦日の桜庭 vs. 秋山が念頭にある)? やはり、リング上での裁量を持
…その内容は、私が有する知識とは異なっているし、故に私における歴史認識とは異なっている。そして、常に複数であり得る歴史に対する「認識」とは違い、歴史に唯一客観のものとして存在する「真実」があり得るのだとして(いや存在すると断言出来るのであるが)もなお、私はその「真実」を知り得る立場にも、語り得る立場にもない。 但し、一つだけ。 沈黙は金であり、雄弁は銀である。この至言に反し、世界は雄弁に語った者が勝者となり、歴史は勝者の歴史として紡がれ、そして語り継がれることが往々である。沈黙は必ずしも、金ではない。であるからこそ、沈黙に託された意思を守る為に、誰かが雄弁に語らなければならないこともまた、確かである。 しかし、雄弁には責任が伴う。自己に対する責任、そして他者に対する責任が。その責任はいついかなる時をもっても、私を含めた万人に降りかかる。故に私はここで筆を置かねばならない。どうやら、私もまた
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