エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
全共闘世代とは何だったのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
全共闘世代とは何だったのか? - 文藝評論家=山崎行太郎の『 毒蛇山荘日記(1)』
やたらに分厚い本を書く小熊英二と、作家の高橋源一郎が、「文学界」五月号で、小熊の最新作『1968』を... やたらに分厚い本を書く小熊英二と、作家の高橋源一郎が、「文学界」五月号で、小熊の最新作『1968』をめぐって対談している。『1968』は全共闘世代の「若者たちの叛乱」を描いたものだが、僕は、小熊の全共闘世代の政治運動に対する分析的批判にも全共闘世代の反抗する若者の一人であったことを自認する高橋の自己弁護的な解説にも、ともに深い違和感を持つ。実は、僕も、世代的には全共闘世代だが、いわゆる全共闘世代の政治運動や叛乱とは一切無縁であった。むしろ徹底的に批判的であり、嫌悪しながら大学時代を過ごした。その頃、僕は「保守反動」を自称し、哲学や文学の本ばかり読んでいた。だから、全共闘世代と称する「革命ごっこ」に狂奔した元若者たちのナツメロ風の回顧談を読むと、身体中に「虫唾」が走る。僕は、その頃ドストエフスキーやニーチェ、あるいは小林秀雄や江藤淳を手始めに、西田幾多郎やデカルト、ベルグソンというような、哲

